自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

難治喘息Mさん其の後

2013年12月13日 | 自然治癒力(生命力)セラピーの本質

新幹線に発作なく乗れた! 平成25年12月13日

******************************

今年6月に最後の手記を投稿されて

今年の夏休みは新幹線で・・と家族旅行

への抱負を語ってくれたMさん、

半年たった、近況の報告です。

                      夏休み旅行

 

前書き)

~今年の夏~と表題して、Mさんは最近の状況を

送ってくれました。

ブログを読んでくださっている方には、

Mさんの闘病体験をすでにご存知でしょう。

 

私の手元に 2011年6月3日に

彼女が初めてアートマセラピーを受けたときの

病歴記録があります。

私の病歴]

6~11歳ごろまで心臓が弱い。 

中学2年腸疾患で入院。

肺炎、腎盂炎、喘息(7年前から)、

子宮筋腫(昨年秋から半年間出血が止まらず)、

昨年は身体の半分がしびれ、頭に異変を感じる。

現在、難治喘息と診断され8年間通院している。

これまで大学病院、専門病院など8つの医療機関で

治療受けるが多くの先生方から ”死にますよ” などと

言われてきました。

最近は耳の痛み、めまいが時々ある。”

 

さらに、お話しを聞くと、それに書かれていない

体験が次々とMさんの口から語られました。

自殺未遂や家庭内暴力、登校拒否や鬱病、

精神的不安定な状況が続いた時期の苦しさの

過去があったのです。

今では、何をするにも当たり前のことが当たり前

にできるという実感だけで嬉しいありがたいの

毎日だそうです。

付記)

これらのプライバシーに関して

Mさんは 公にして構わない、

多くの人達がこれらのことで悩んでいる

はずだから、少しでも共感できる立場であることを

理解していただけたら~

そして自分が元気になったことをお話しして

希望を持ってもらえたら~

と理解を示してくれました。

 

  Mさん手記 ~

過去の薬歴と簡単な状況)

ゾレアに関して)

S大学病院の治療は 去年の春から開始。

開始当時 2週間に一度 2本の注射。

一年後、1ヶ月に一度 一本の割合。

 その後半年程で2ヶ月に一度、量は 1/4本 に減量。

 

ステロイドに関して)

2011年セラピーを始める前までは

8年間に渡り服用し 点滴は数百本。

最後の3年間 毎日8錠を服用。

 

アートマセラピーを始めてから

3か月で、初めて遠出の泊りがけの

旅行ができた。

ステロイドは、半分の4錠前後に減った。

さらに 2錠になったのだが、 

自らの判断で1錠に減らしたところ、

バランスを崩し、

2012年1月 緊急入院。

退院後から ステロイド錠剤は、

更に減り始める。

現在は 1錠服用。

 

睡眠に関して)

喘息になり8年間 どんなに疲れていても、

どんなに具合が悪くても 一度も真上を向いて

体を伸ばして眠り続ける事が出来なかった。

発作が強いので 上半身を起こして寝る状態。

何故かセラピー中だけは、初めから、

2時間 布団の上にあおむけで体を横たえられて

いたのが不思議だった。

 

次第に布団で寝れるようになる。

新幹線に乗れるようになった半年前から

10年間で初めて、7時間 ぐっすりと

眠る事が出来た。

 

現在 時々、浄化作用で

痰を出す為に 睡眠中途中起きるときがあるが

平均5時間以上は必ず安眠できる事が

有り難い。

 

*******************

Mさん投稿記事: 今年の夏

***********

皆さん、お久しぶりです。

 

以前ブログのなかで難治喘息のお話で

出して頂いたMです。

その後の経過も含めて少し皆さまにも

ご報告が出来たらと思い書かせていただきます。

 

今年の夏は、家族で 新幹線に乗り

厳島神社や出雲大社まで行くほどにまで、

元気になりました。

4年程前ですが、実家へ行く2時間の

新幹線の道のりで大きな発作を起こしたことがあり、

それ以来、どうしても怖くて、

新幹線に乗る事は出来なかったのです。

 

今回の広島まで4時間の新幹線の旅は、

私にとっても、そして何より家族にとっても

大きな意味のある旅でしたが、

その車内も元気に家族で和やかに過ごす事ができて、

4日間の旅は本当に楽しく、幸せな思い出旅行に

なりました。

 

旅行後は数回、須田先生からセラピーをして頂き

少しずつ、自己セラピー指導もしていただきました。

初めは少し自信がありませんでしたが、

その後しばらくして再びアートマセラピーを受けた時に、

もう自己セラピーで充分に順気が整っていると

言われました。

 

その直後、大学病院の定期受診日で

担当医師が 肺の音を毎回念入りに

チェックしました。

すると、

“今までで一番いい状態ですね!

とても澄んでいるようです。”

と言われ、血液での代謝を表す数値も、

“今まであれだけ薬が入っていた人だと

思えない程とっても良いですよ!!

と話され、とても嬉しいことでした。

 

広島での旅行体験のお話もしたら、

“新幹線で?

しかも4日間も広島と島根に行って

大丈夫だったのですか?”

と凄く驚かれました。

 

担当医師とは なるべく自己見解、

自然治癒力で直していきたいという姿勢を

理解していただくために、お話しさせていただい

ていました。

この時も、医師と相談し、薬は、1/4まで

減らす事が出来ました。

今も少しずつですが、こちらの要望を理解

していただき、さらに、減らす努力で臨んでいます。

 

通院回数も 2012年は月一度でしたが、

今は2か月に1度になりました。

S病院にお世話になるまで、

喘息になってから8年近く経過していました。

多い時で週に6日間も、小さな子供を連れて

辛い体で、這う思いで半日以上の時間をかけて、

様々な、病院へ通い続けていたころを思うと、

この事は今でもまだ信じられないほどです。

 

最近では、私がとても元気に見えるらしく、

子供たちは、良くわがままを言って困らせたり、

今まで、我慢してきた分を取り返すかのように

甘えてきたりしています。

 

前までは そんなわがままな事言わなかったのにと、

つい腹をたててしまう事も多いですが、今では

“こんな普通の出来事も、本当に幸せだな・・・。”

と感じられます。

家族でテレビを見る事も、誰かと飲むお茶も、食事も、

毎日普通に流れて行くどんな些細な瞬間も 

今の私には、とても大きな幸せに感じられます。

 

今後も 大学病院の治療や1錠のステロイドを

ゼロにする希望を強く持ち続け、またその事を信じ、

前に進んでいきたいと思っています。

 

そして自己セラピーを開始して、3か月が経ちます。

ひとつひとつですが、前に進めているのではと

感じています。

 

今は何より自分の本質、アートマに深く心を合わせる事、

そしてそこから溢れ、流れる究極の癒しを感じ

過ごす事を心がけています。

 

今後は、もし出来る事ならば、自分の体験をもとに、

少しでも多くの方に自分の本質、アートマを知っていただき,

誰もが持つアートマから溢れる大きな力で、

様々な苦しみや悩みを抱えている方も

本当の意味で幸せになるお手伝いが出来たら…。

 

そんな自分になりたいと 心から願っています。

 

そして今後も更に元気になり、いつか完全復活した姿を、

心配し支え、励まし続けてくれた沢山の方々に

完治した元気な自分を御見せ出来る日を信じて、

これからも進んでいきたいと思います。

 

 

***************

簡単な手記がここで、終わっています。

 

アートマセラピーは 誰もが、

行える自己セラピーです。

2年にわたりアートマセラピーを

施術させていただき、

今年 旅行から帰ってきて

自己セラピーを薦めました。

 

Mさんが 不安を持ちつつも、

 自己セラピーを初めて

間もなくの健診で医師から

これまでで一番良い結果だと

言っていただいたことは

喜ばしいことです。

 

これでMさんは、ようやく、

自分の中にある自然治癒力と生命力に

自分の力で、繋がった

という確信が持てたからです。

 

現在、Mさんは小さなバラの花

作りや 原稿まとめで

忙しいようです。

それは、来年1月19日、

町田市役所のホールで

行われる 非営利団体NPO祭り に 

自然治癒力セラピー協会も参加させて

いただくことになったからです。

そのお手伝いをしていただいています。

 

会場で、多くの皆様とお会いできることを

Mさんと一緒に、心から楽しみにしています。 

 

 

 

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赦すこと・愛すること=新たな創造

2013年12月11日 | ハワイの浄化の言葉”ホ・オポノポノ”

ネルソンマンデラ氏の訃報と重ねて・・・ 平成25年12月11日

*******************************

ネルソンマンデラ氏の葬儀に 日本から皇太子殿下が

出席されると聞いた。

各国首脳も参加して、今、世界中の視線を南アフリカ国に

集めている。

マンデラ氏は 27~8年間、投獄され、大統領に選ばれた

時はすでに70歳を超えていた。

若き頃、アパルトへイト撤廃のために戦った

果敢で勇敢な戦士は

いつの間にか愛の伝道師のような政治家に

変わっていった。

 

白人に対する憎しみで一杯だった若いマンデラ氏は

反政府活動主要人物として捉えられ、獄中で、

30年間過ごすことになる。

その間、闘ってきた相手の立場を考える機会を得た。

それは、差別と偏見に満ちた白人たちすべてが

肌の黒い人を嫌っているのではないこと、

彼らは、その政策に従って行動しなければ

ならないだけで、 偏見は造られたものである

ということ。

偏見と差別の心を変えることができる、

それを愛で充たすことも可能なはずだ~

という、ネルソン氏独自の信念が次第に

強く確立されていったという。

 

こうして70歳過ぎて 獄中から出て、

大統領に当選すると、それまでの

報復を恐れていた白人たちに対して、

理解と融和の国を提唱して、共感を得る。

”虹の国” と ネルソン氏は 理想の国を

喩えた。

いろいろな肌の人間がいても、それは結局

一つの光が造りだしている”虹色”と同じ、

お互い人間という一つの光のもと、

虹という希望の架け橋を通り、皮膚の色

にかかわらず、一致団結して行こうという

メッセージでもあった。

 

この話しを書きながら、以前近しい知人から聞いた

エピソードを想いだしていた。

友人は、アメリカに家庭を持っているが、そこで聞いた

ある収容所でのお話しだった。

ある収容所では、

囚人たちが 呪文のような言葉を繰り返すことに

よって、皆和やかになり平和的な模範囚が増えて

いったというのだ。

それが一つの運動になって各地に広がり、

この呪文のような言葉は一般の人の間にも

伝わった。 

 

その言葉は

”I am sorry.

Please forgive me.

Thank you.

I love you."

というごく、単純で短い、4つの文章だった。

意味は、

ごめんなさい、

私を許してください。

ありがとう。

あなたを愛しています~という 

平易で誰もが理解できる

文章だった。

 

それを口に出すとき、特に感情を入れる必要もない。

心で感じていなくても別にかまわない。

ただ 言葉を口に出してみる。

すると、自然と 心に変化がおきてくるという。

この話しを聞いて、筆者も 4つの文章を

口ずさんでみた。

不思議な感覚になった。

この言葉の中にある、赦すこと(許されること)、

感謝すること、愛すること、この基本的な心の持ち方は

きっと、幸せを運ぶキーワードなのだろうと感じた。

 

実際 許す ことと、感謝 は、愛の心の裏表であり、

その癒しの効力は次の話にも伺える。

 

自動車王ヘンリーフォードは 悩んでいる知人たちに

配っていた本があった。

それは、New Thought といわれるスピリチュアルな

本で、”無限と調和する生活”という題名がついていた。

その44ページに次のような実話が載っていると

いう。

 

谷口雅春師の訳*1で引用させていただく。

医者をしている私の友人が、激烈なリウマチに

かかって、苦しんでいる夫人を見舞ったときの話です。

友は この婦人とその妹との間には、けわしい

精神的葛藤があることを知っていましたので、

この婦人の病苦の訴えを親切に聞いてやったのち、

まともにこの婦人の顔を注視して、断然としかし、

深い思いやりのある語調で

妹さんを許しておやりなさい’ と言いました。

 

婦人はびっくりした顔つきで、彼の顔をしばらく

まじまじ注視していましたが、

’私、どうしても妹を許すことはできません’と

応えたのです。

そこでこの友は

そうですが。 それはやむ得ないですね。

この関節の硬直と、あなたの御心の硬くて

赦し難いこととは 親類筋なのですがね’

と言うほかなかった。

 

それから数日たった。

友はまた、再びその婦人を見舞に行ったのです。

と、軽い彼女の足取りが応接室に近づいてきました。

彼女の顔は、健康そうに明るく輝いていました。

’どうして治りましたか?’

と尋ねると、

’私、あなたのご助言に従いましたの。

私、妹を許しましたわ。 

二人はとても仲良しになりました。

するとどうしたわけでございましょう。

二人が仲直りをしたその日から、あの重症の

リウマチが良くなって。

今では、もう跡形もありません’

と答えたのでした。”

 

どうして許すことで、

リウマチが消えたのだろう?

赦すことによって、かたくなな心が開かれ、

かたくなさが形となって表れていた 関節のリウマチ

が、治ったというのだ。

生命力は開かれた心に流れ入る。

愛の心、許す心、感謝の心などを、開かれた心と

するのなら、怒りや悲しみ かたくなさで凝り固まった

心は、閉ざされた心と言えるだろう。

心はエネルギー体、エネルギー体は質を変えて

同等のエネルギー態として現れる。

喩えれば、同じ分量の水が 同じ質量をもつ

氷になったり、水蒸気になって姿を変えるような

ものだろう。

 

だから、赦す(許される)という心の波動、

感謝するという光の波動、

愛するという 波動、

そうした波動が 実際 同質、同量で

身体や心に影響を与える。

形而上的癒しとして 影響効果を持つことは、

クリスチャンサイエンスでも多く実証されている。

 

”長い間私は耳と咽喉との病気に苦しんで

英国でも米国でも専門家の治療を受けました。

少しも良くならず、悪くなる一方。

ところが、クリスチャンサイエンスの本を読み

治った人から’真理と健康’の本を買って

研究するように勧められ、いやいやながら、

読みはじめました。

50ページも読んでいるうち、私の魂が解放

されるような気持ちになり、真理を発見したという

感じがしました。

それ以来私の病気は拭うように良くなりました。

再発もしていません。”

(ウインペッグ市、W.G夫人)(*2)

 

ここでいう真理とは 難しい哲学ではない。

先ほどの簡単な呪文をもっと平たく

真理として砕けば以下のようにも言えるだろう。

 

あなたは 愛されています。

だから、人を愛することを知っています。

あなたは、許されています。

だからあなたは 人を許すのです。

こうした資質はすべてあなたの創造主で

ある、神(大生命力)からもたらされて

いるのです。

神は完全だから 不完全な姿が現れて

いるとしたらあなたが、まだ 完全な神に

ラジオの周波数を合わすように

心の周波数を合わしていないからなのです。

それがわかればただただ、感謝しかない

そして あなたのクリエーターが神である

のなら、あなたの周りの人達のクリエーターも

神であることを認めるでしょう。

貴方が 周りの人たちに、傲慢に振る舞って

いたところはないか?

そうすれば 自然と’ごめんなさい’と

頭を低くして相手に尊敬を持つことは容易に

できるでしょう。

その時、すでに 病など消えるのです。” 

 

 

事実、ヒマラヤの聖者や大師は

人の本来の姿は、円満完全で、調和が保たれ

身体を持っているという感覚すら忘れてしまう

ほど、心も体も軽く明るい状態

であると繰り返し、アメリカの調査団に語っている。

 

こうして考えていくと、

マンデラ氏は、強い信念

偏見と憎しみを 愛と赦しに変える”

と、反勢力の妨害にもかかわらず、

勇気ある行動力によって、

差別政策”アパルトへイト”撤廃の偉業を

達した

それは 闘いの末ではあったが、決して、

武器と力によってもたらされたのでは

なく、愛と赦し、理解によって、もたらされた

ということが、世界中の人を強く鼓舞して、

勇気ずけた理由なのだろう。

 

そして、今日 ご紹介した、4つの短い呪文も

毎日一度でも 口に出していってみるのなら、

ネルソン氏の信条にも劣らない

傲慢な心を崩し、愛と調和の環境をつくる

一つの ”祈り” の効果を持つような気がする。

 

 

*1) & 2)

生命の実相 平成6年 日本教文社 谷口雅春著

 

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誰が悪い?チルチルミチルの蒼い鳥

2013年12月09日 | 廻りまわって”心の浄化”につながるかも・・・

いじめは集団エゴが造りだす?平成25年12月9日

*********************************

 

”ほんとうにむかつくわ”

”許せない!”

腹立たしい思いを、人はしたことがあるだろう。

 

もし、自分が透明人間と想像すると、

誰かを 疎ましく思う理由が

なんだか、わかるような気がする。

たぶん、それは その人から受けた

行為によって”ムカつく”ように見えるが、

実際は、自分自身の、見たくない側面を

見てしまうからなんだと思う。

言い換えれば、自分が その相手と似ているから

その人のある部分が 敏感に感じ取れると

いうことなのだろうと思う。

 

鏡を身近に置いておけば

自分が目に入るように

その人を通して 自分のパンドラの箱の

嫌な部分が引き出されるような気持ちに

なるのかもしれない。

  

何故 むかつくの?~と誰かにきかれて、

あの人の、ケチなところ、

お金にきたない、

貪欲、

権力欲、

支配欲が強い、

ころころ変わりやすい

といった相手の性質や

あの人の風貌 、外見が気に入らない

何となく一緒にいると、イライラするとか

何かに巻き込まれてしまいそう

話しているとわけもなく、重たくなる

など根拠のあいまいな理由もある。

 

ここで覚者は述べる:

”何にしても、その腹立つところ、気になるところ、

イライラさせる部分、として強くあなたが反応する

相手のそれは、実は、あなた自身のエゴの形だ。

その資質を 自分のそれと、

無意識に、同一化(アイデンティファイ)させて

いるから気になって仕方ないということだ。

 

だから、それは自分の中にあるものが

エゴを通して、相手に映っているだけのことだ。

と教える。

 

或いは 印度で聞いたたとえを使えば

”目糞が鼻くそを笑う” という具合だろうか・・・

自分の事を棚にあげて、文句を言う。

 

こうしたことは人間関係だけではない。

自分の周りで起こる事象や、目に見えずに飛び交う

さまざまな波動(オーラ)にも

当てはまる。

特に宗教や信仰に関して言えば、

自分のエゴを完全に同一化させると、

それ以外のものを受け入れられなくなるらしい。

 

自分が信じている教えや解釈のみが真実で、

それ以外は正しくないというする観方がそれだ。

  

こうした一方的に正しいと主張する

人達の ’自分たち’意識を、

集団的エゴ意識と呼ぶ。

 

この集団的エゴ意識は、雪だるま式に

大きくなっていく。

転がるうちに、多くの周りのエゴを引き込んで

ついに、その意識に反対する、他者の存在を

赦さなくなるまでに膨張すると、爆弾のように、

破壊的になる。

たとえば、虐殺や搾取、残虐な行為や暴力、

ひいては、組織の利益とからんで、争いとなり

他国を巻き込めば、戦争まで引き起こすだろう。

初めは些細 な 小我を正当化する意識が

肥大化してパワーを持ち

他者への怒りになって炸裂する。

 

卑近な例でいえば、学校で問題になっている

いじめ もこうしたところから始まっていくのでは

ないだろうか?

 

誰かが ”あいつは 気に入らない”と”レッテル

を貼れば、同調している仲間を巻き込んで

集団的エゴ意識ができる。

その意識にかかわりたくない、自分を守ろうとする

人達は、無言で見て見ぬ振りをするだろう。

”モノ言えば唇寒し” で、一言それに異見すれば

自分がそのターゲットになるかもしれないという

危惧を持つからだ。 

視点を変えれば、いじめの対象になっている

その人こそ、実は、いじめている本人なのかも

しれない。

自分の中の小さなエゴ、

許せない資質に似たもの

を相手の中に無意識に感じて

精神的に肉体的に、相手をいたぶる。

以前ブログでも触れたように、そこには

幼少時代の親とのコントロールドラマの幻影が

潜んでいる場合もあるだろう。

傍観者型、尋問型、攻撃型などの例をとって

書かせていただいたが、親に攻撃され続け

いつの間にか、自分が弱者を攻撃する方に

向く場合もあるかもしれない。

 

いずれにしても、それらの正体は小我のエゴ”だ。

そのタイプのエゴを満足させるには、

自分の正当化”

”自己の優越化” 

でしか成り立たない。

 

どうしたら、こうしたいじめをなくしていけるの

だろう?

弱者や許せないと思う人を 攻撃することで、

正当性や 優越感を欲する人は、ほんとうは、

幸福の青い鳥を探しているのだと思う。

幸福の青い鳥、メーテルリングの童話だが、

主人公、チルチルミチル兄弟がそれを探しに、

いろいろな国を放浪する。

そして最後に見つけた所は、自分の所だった

という寓話だ。

つまり、本質の自分を見出せば、

何も外の世界に青い鳥

を探しに行く必要がないということだ。

幸福になるための、癒す力も 愛も、優しさも、

智慧もすべて自分の中にあることがわかるからだ。

 

”私の” ”私は” とこの言葉を使うほど 個人的な

小我が、自分を主張している。

”私たちの”、”私たち” は 集団エゴになりやすい。

”私たちの権利と正義” と言って、どれだけの

破壊的行為が正当化されてきただろうか?

弾圧や拷問が当たり前であった時代があったのだ。

国家、人種、民族、宗教、イデオロギー、すべて

こうした集団レベルの価値観は、それから何か

利益を還元したいという 集団的エゴと結び

ついて、破壊的行為すら正当化している例は

多くみられるようだ

 

あいつ、むかつく~と言う前に、自分の心を覗く。

自分の意識の中に、自分を正当化させ 自分の

ほうが正義だと想わせたい何かがある・・・

それは 自分自身の心のエゴ意識ではないだろうか?

 

”あいつ、口ばかりだからな”~という前に

自分は”有言実行”なのだろうか?と内面に問う。

”あの人~なのよね” とレッテルを貼ろうとする前に

自分の心の引き出しを開けて自分にその資質が

ないかチェックしてみる。

今までに、”口だけ”の行為を してきて自分自

を忘れていないだろうか?

嫌な面を認めたくないとしまいこんでいた過去は

ないか?

その嫌な面が 自分に潜んでいるのを知っているから、

それを他者の中に目ざとく見つけられたのでは

ないだろうか?

筆者自身は 他者を批判しそうなとき、そう反省する。

では、どうしたらよいのか?~

 

 

何かを責めたり、何かと同一化させたりして、

ざわついている心を ありのままに見つめる事~

で ひとまず感情に流されないようにすること。

 

覚者は言う。

”エゴをありのままに人間の心の集団的な

機能不全として認識すること

そうすれば、誰かのアイデンティティーを

自分のそれと同一化した巻き込まれる前に

ストップがかかる。

 

エゴを受け入れることで、あえてエゴに反応

することもない。

エゴ意識自体が、”本当の自分”の反応では

ないと、観察眼の役目を持つ もう一つの

自意識(アートマ意識)がささやく。

 

五感の感覚が受けた刺激によってもたらされる

”不快だ”、”いらだつ”、”気になる”

という”感情”も、間合いをおくことで、

ストレートに 受け止めることもない。

相手を”非難する”ことも減るだろう。

自分の中にその種があるからこそ

批判が生まれると気が付けば

”目くそが鼻くそを笑う”と、内省することで、

相手の非難にかまっていられなくなる。

 

”誰が悪い? ”誰に文句を言うの?” ”誰が張本人?”

などという、詮索も少なくなるだろう。 

身の回りの問題はおおかたが、その周りにいる

すべての人のエゴにからんで起きた問題だし、

皆のエゴ(無関心)によって、たまたま”誰かが”

浮上したに過ぎない。

 

エゴは反応によって、肥え太るという言葉がある。

相手のエゴのペースに乗れば、いつの間にか自分

のエゴが翻弄させられている。

 

自分のエゴが翻弄すれば、身近な人にしわ寄せが

および、エゴは拡大していく。

エゴは ほとんどの人間関係に潜んでいるだろう。

その関係で、何かいらだつことがあっても、不快に

なっても、それに反応しない限り、

自分自身の安寧と 真の自分、アートマの平安の

中に自分を静かに見出すことができる。

 

その平和な波動が 先方に伝われば、いつの間

にか事は肥大化することもなく、収まっていだろう。

 

”人のうわさも75日” とはよく言ったものだ。

噂に代表される集団エゴ意識は 所詮アブクのような

ものだろう。

小我のエゴ自体の塊が 集団エゴを造る。

小我自体が 時とともに消滅するアブクのような

有って消える存在だから、

時がたてば 集団エゴも自然消滅するだろう。

 

いじめの問題 も”いじめる側”の立場からみたとき

本来の根っこは こうした自分の心の向き合い方に

端を発しているような気がしてならない。

いじめられる被害者の立場、弱者の立場

にたってみれば まわりの人達、ひいては社会が、

少なくても、それぞれが、間接的に関与している

のだということはを、忘れてはならないと思う。

 

世の中の事象、大きな事も小さなことも、結局は

そこに住む人間の心の持ちようが大きく影響を

与えていることは否めないと思う。

私たちは、互いに繋がりあっている存在だと

すれば・・・

 

 

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理念さえあれば祈りが成就する訳

2013年12月05日 | 健康のための心の波動

 見えない世界の祈りの科学とは・・・ 平成25年12月5日

************************************

前回からの続き・・・・

 

神に願うときは、積極的な言葉を使うことです。

只 完全な状態だけを望むことです。

それから、自分の魂に種となる、完全な想いだけを

植え付けるのです。

 

さて、完全な健康が現れてくるように求めるので

あって、病が癒されることを望んではならない。

調和を現し、豊富の実現を求めるのであって、

不調和、不幸、限定から

救われることを求めるのではないのです。

 

こんなものはちょうど、古くなった着物を棄てる

ように、捨て去ってしまうのです。

それは古くて、もう着られなくなったものです。

あなたには、喜んでそれを棄てる余裕はあるの

です。

それを振り返ってみることさえしてはならない。

それは赦され、忘れ去られたのである。

本来の土に還ったのです。

もはや、物ではない、nothing, 無となったのです。

あなたの周囲の空無とみえるものを、無限の善なる

神の思いで満たすのです。

 

ここで、忘れてはならないことは 神という言葉が

種子であるということです。 

それは一人で伸びていくものです。

何時、何処で、いかにして、などという計らいは全部

神に任せることです。

求めた瞬間には、もうそれが成就されていると知った

以上、あなたのすることは、只、欲する物事を言って、

祝福を与えるだけです。

 

成就するために、あれこれ細かいことは、神のお仕事

なのです。

いいですか、神がなし給うのですよ。

あなたはあなたで自分の役割を忠実に果たし、

神の役割は神ご自身にお任せしたらよいのです。

求めよ。

肯定せよ。

欲するものを神に求めよ。

しかして、神の成就し給うものを受けよ。

 

必要によっては、御業の成就を絶えず感謝し続け

なさい。

またと願いを繰り返す愚を演じてはならない。

只、御業の成就と、神はあなたの中で働き給いつつ

あること、あなたはすべての人々に善きものを与えん

がために只善きものを望むのである以上、それを

今受けつつあることを祝福し感謝しなさい。

 

以上を沈黙と隠密の中に行うのです。

あなたの父なる神に密かに祈るのです。

神は 神ご自身の計画をすでに完成されたので

あるということを忘れてはならない。

神は 私たち人間の およそ望み得る善きものを 

これまで総て愛深く惜しみなく、注いて来給い、

いま、さらに 注ぎ給いつつあるのです。

 

神は再び、こう言い給います。

‘われを試みてみよ。 天の窓を開け、収る余地も

なきほどの祝福を注がざるや否や、君を試みてみよ。‘

 

祈りの方法と心構えを説く 大師に匹敵する

智慧をもつ女将(おかみ)は

さらに次のように語りだした。

 

”もし、望みがかなえられない場合は、

その咎(とが)は、自分自らの内にあるので

あって、神にはないことを知らなければなりません。

そのような時は、もとに戻って求め直すのではなく、

エリア*1 のように、コップが満たされるまで

コップを指し伸ばし続けるのです。

 

たとえ、どのような誤った卑俗な考え方が

あなたの周囲を取り巻いていようとも、

祝福と感謝を注ぎなさい。

迷わずに前進しなさい。

望みはすでに、今、此処にある

夢 疑ってはなりません

貴方の信念は報われます。

そうして、信念が智識となるのです。(*2)

 

あなたがたの望むのが例えば、氷としましょう。

そういう時、貴方がたは何の、見境分別なしに

いたるところで 氷 という言葉をしゃべり散らし

ますが、もしそうすれば、貴方がたは自分の力

を四方八方に散らしてしまって 何の得るところも

ないでしょう。

 

そうはしないで、まず第一に、自分の望むものを

心の中で描き、その姿がはっきりと描きあがるまで

辛抱強く思い続けてから、それを心より、放ち

後は普遍的原質に 全託すればよいのです。

この原質は神の一部なのです。

だから、それは、またあなたの一部でもあり、

この原質の中にあなたの必要なものは、何でも

あるということ、神はその原質をあなた方に

使える速さで、貴方がたに押し付けていること

いくら あなたがたが使ったところで、

使い切れるものではないということ。

これまでに、すべて新機軸のものを提供

した人々は意識的には あるいは無意識に、

すべての原質より、獲得したのです。

 

これを知ってください。

あなたがたの想念と想像力を 只元素の

中心原子、即ち、神に集中して、

集中 し続けて、

自分の望みをそれに、刻印するのです。

 

その原子の振動を低めていけば、ついに

氷 となります。

すると それを取り囲んでいる 原子全部が

あなたの望みに従う。

 

その振動が低くなり、中心の分子に粘着して、

一瞬の後には、氷が得られることになるのです。

 

何も水の必要さえない。

只、理念さえあれば、コト足りるのです。”

 

この深い言葉の意味を探るかのように、

調査団の人々は深い沈黙に入る。

すると、部屋の壁に 或る 情景が映し出された。

女将の念で、こうした神秘現象が可能になったのだ。

”これは、その昔、ウィグール帝国最盛期に

起きたある情景の描写です。

西南の人たちがたいへん美しく、土地もあたたかく

明るいことに お気づきでしょう。

 

樹木は微風にそよいでいます。

色まで写っていますね。

ここでは、土地や住民の生活をかく乱するほどの

嵐も襲ってきません。

よく、気を付ければ、話の内容もわかります。

この人たちの動きにつれて、身体の筋肉の

動きまでわかります。”

 

突然、この描写を見ているうちに、調査団一行の

中の三人の隊員の情景が 映し出された。

まぎれもなく、今、ここで一緒に見ている、隊員の

中のメンバーたちだ。

その話声もきこえ、話の内容までわかる。

結局、それは、約10年前の南アメリカの或る場所

で起こった出来事であることが 後でわかった。

 

”私たちは、この大気の中に想念のヴァイブレーション

を放射して、過去の事件の想念のヴァイブレーションを

集めて、所与の点で、それを ぬきだすのです。

それが当時のままの情景となって、再演されて、

私たちの肉眼に映ずるわけです。

摩訶不思議に思われるかもしれないが

お国(米国)の人達がこれと同じように、いろいろ

の情景を再現する*3ことになるのも、そう、遠く

ないでしょう。

 

尤も、それは写真のようなもので機械的なもので

あるが、私たちの場合はそのどちらでもないという

所に相違があるわけです。(*4)

 

キリスト思想の指導者たちは、お互いに相手側の

失敗を狙って、宗派争いに憂き身を費やしているので、

本当の、霊的生活の意味をほとんど忘れ去ってしまって

います。

同様に、東洋人はその思想の中でも密教的、

秘教的、または 科学的な面だけに凝ってしまい、

やはり、霊的なものを見落としがちです。

 

この本当の霊的意義や教育的価値、その功徳、

およそ、人間にとって、可能な業績を最初に

悟るのは、結局、この機会仕掛けでほぼ完全なる

画像を映写する人々の中の若干名になるでしょう。

 

そういう人々こそ、勇気をもって、前に進み出て、

実際に自分たちの造りだした画像で以って、

その成果を公示するでしょう。

これらの仕掛けと、現在、もっとも、物質的と

考えられているこれらの仕掛けを発明した人は

真の霊的理想を実現させたという点で、

貴国民がこれまでに生み出した中で最も

偉大な力であることが わかるようになるでしょう。

 

貴国民は非常に進歩しているので、いずれ、

現在生きている人々の声を再生する場合より

もっと、正確に死んだ人々の声を再生する

装置も発明するでしょう。(*5)

 

私たちが想念の力でやっていることを、ある程度

機械で成就するでしょう。

将来の発明において、この点であなたがたは

世界を凌駕するようになります。”

 

と女将はアメリカ人の未来を予言したのであった。

(*6)

 

 

 *1 ”列王記”下、17章9~16節

*2 結果を見ずして信ずる信念の行為によって

所期の結果が生ずれば、次回からはもはや

それは信念の域を出て、’斯く有り’という

事実を知る知識、智慧の領域に入り、所謂

信念よりは、もっと、一層強固になる。

*3 現代のテレビの事/あるいはヴィデオ

*4 正確に言うなら、宇宙空間には特殊のエーテルが

あり、宇宙創成以来のあらゆる存在のあらゆる

歴史が記録されている。(アカシックレコード)   

*5 現在のカセットテープレコーダーのような装置

*6 この調査隊の記した年代は、1937年以前となる。

 

参考)

 ヒマラヤ聖者の生活研究―自由自在への道 全5巻

S54年6月5日第五版 

ベアード・T・スポールディング著 仲里誠吉訳 

霞が関書房

 

 

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科学的な祈りの成就方法

2013年12月03日 | 健康のための心の波動

地球の秘話?ヒマラヤ山脈&ゴビ砂漠  平成25年12月3日

*************************************

 著者はしがきから

わたしは1894年に極東を訪れた

11人の調査団の一員であった。

3年半にわたる極東滞在中、

ヒマラヤの大師たちに接触した。

大師は私たちが 

偉大なる法則の働きを

実証されるのを実際に見るために、

大師がたの生活の中に親しく

入り込むことを許してくれた。

私のノートを今ここに、

“極東における、大師たちの生活と教え”

と題して、発表するが、そこに盛られた内容を

そのまま受け入れるか、否認するかは、

読者の自由である。

************************

調査隊は以下のように 記している:

                       

”朝食がすむと、その日は宿の女将(おかみ)と

別の御婦人二人が私たちと同行する予定になっていた。

そのうちに、村に病気の子供が一人いて、宿の女将に

きてもらいたがっていると告げられたので、私たちは

その男について、子供に家に行ってみたが、かなり

の重態だった。

 

女将が前に進み出て、手を差し伸べた。

子供の母が女将の腕の中に子供を置くと、その瞬間、

子供の顔が明るく輝き、しばらくは身体を摺り寄せて

丸くなり、二三分もすると、もうぐっすり寝入って

しまった。

 

そこで女将は子供を 母親に返して、私たちは

廟に向かって行った。

道々彼女は次のように、話してくれた。

この愛する人たちが 私たちをあてにしないで、

自分たちの力病気直しができればと思うんです。

そうすれば、あの人たちのためになります。

ところがそれができないので 普段は私たちとは

没交渉でいるのに、いざというときだけ、私たちを

求めるからです。 

まあ、それも悪くはないでしょうが、それでは

何時までたっても自分自身の力に頼るということが

ないのですね                          

私たちとしては、あの人たちに 自らたのんで

欲しいと心から望んでいるのですが、この人たちは

あらゆる点でまだ、子供みたいなのです。“

 

女将の話がここで終わった時、一行は梯子の下に

来ていたので、それを上がって、トンネルに入って

いった。

                                      

”二人の男が私たちに随行してくれたのであるが、

中へ入ってみると、どうしてどうして、十分に明るく、

かなり前方にあるものを見分けるのに事欠かぬほどで

ある。しかも 光は私たちの周りを取り囲んでいるらしく、

影一つささなかった。

 

このことは前日に、気がついていたが、誰ひとりそれに

触れるものがいなかった。トンネルの中をどんどん進み、

階段を上って、三番目の部屋に着いた。

この部屋は下の二部屋より若干広く、両方の壁には、

非常に多くの石の書板が置かれていた。

この部屋の真後ろにも、もう一つ大きな部屋が

くりぬかれていて、そこにも同じような書板でいっぱい

だった。”

 

”これらの書板には赤みがかった、濃褐色で、うわぐすり

が施されている。大きさは 14x24、厚さ2(単位は

呎・フィート)、重さは一枚10~20ポンド。

 

こんなものを、どうやって、山を越えてここまで

運んできたのか不思議で仕方ない。

こうして、不思議がっていると、それは山越えして

運んできたものではなく、この山がまだできない頃、

ゴビ地方が豊穣で、人間がそこに定住しているころ

に持ってきたものであるのだと教えられた。*2

 

山が出来上がって、ずっと後に、万一の破壊から

守るために、この地に移されてきたのだと言う。

 

山が盛り上がる前に、この地方の一部に大きな津波が

やってきて、土地を荒廃させ、生き残った人たちは外界

から切り離されて生計の手段を失い、遂に、現在 

ゴビの処々方々に出没して荒らす窃盗団の先祖と

なったのである。”

”現在のヒマラヤ山脈とゴビ砂漠のあるあたりは、

もとの ウイグール大帝国*3 のあとで、当時は

高度の文明をもった、民族の大都市があったのである

が、津波で滅びてからは、

寄せ来る砂に覆われ尽くしてしまったそうである。*4

 

後に私たちは書板から、翻訳して書き写したものに

したがって、これらの失われた都市の内、三つまでは、

われわれの手で発見した。

何時か発掘がもっと、進み、完成した暁には、これらの

記録や言い伝えが真実であることが証明されるものと

信じている。”

”これらの記録によれば、この文明の栄えた時代は

数十万年前となっている。

最も あなたたちは、本書版を探索しようとする目的で

ここには来ていないのでどうやら本論から逸れたらしい。"

と話すと、次の話題に移った。

 

一番目の部屋に戻りながら、隊長が 

’望みというものは、表現すれば、すぐに満たせるもので

しょうか?’と尋ねたからだ。女将はそれに応えて、

’正しい形をとって、表明すれば、叶えられるものです。’

というのであった。

 

更に言葉を続けて、

’望みというのは、祈りの一形式であって、イエスの祈りは

聞かれたから イエスの用いた祈りの方法こそ、正しい形

といえるでしょう。

いつも聞かれる祈りこそ真の祈りでなければなりません

亦、したがって、科学的でなければならない。

科学的である以上、一定の法則に従うものでなければ

なりません。’”

彼女の説き明かしは続く

“その法則というのは‘汝の悟れる程度に、汝の祈りは

叶えられたり’であり、‘また、汝、何を望むとも、そを

祈るに、すでに受けたりと知れ、しからば、そを得ん。‘

であります。

 

もし、私たちが何なりとも求めた物は、すでに私たちの

ものとなっている(かなっている)と積極的に知るならば

私たちは、法則にしたがっていると知ると良いでしょう。

 

もし、望みが満たされれば、法則が満たされたのです・

過ちはわれわれにあるのであって、神にあるのではないと

知るべきです。 

故に、心配、不安、不信を以てではなく、

自分の必要なものは、すでに自分のものとなっていると知り、

歓び、晴れ晴れとした感謝の心を以て 

己自らの魂深く沈着することです。”

それが正しい祈りの時の心的態度だと 女将はいう。

イエスの祈りが最も正しいと女将(おかみ)が

答えているには理由がある。

イエスのみならず、覚者は 正しい祈りをしっているのだが、

アメリカ人の調査隊にとって最も身近い、大覚者で

ある イエスの言葉を例にだすことで、もっとも彼らに

とっての説得力があったからだろう。

だから、ここで言われる神という概念も

キリスト教として限られた神ではないと筆者は理解

している。 

神の資質(全き愛、智慧、調和、供給力、喜び、生命力)

を指していて、その資質こそ、人間の本質でも

ある。

 

女将の言葉をさらに引用するのなら次のように

語られる:

”その秘訣は 神と一体になること。(at-one-moment)にある。

神と一体感になり、たとえ、地球上の人々がこぞって、

反対しようとも、神との一体感をしっかり持ち続けて離さない。

‘我、みずからの力にては、何事も為すあたわず。

我が内に住み給う父なる神のみぞ、み業を成し給う。‘

とイエスは申されました。

 

神を信じよ、信じて疑うべからず。 

信じて恐れるべからず。

神の力に限りなきことを忘れるべからず。

神は‘すべてを成し給う’のです。”

苦しい時の神頼み ということわざがある。

しかし、苦しいときだけでなく、常に私たちの本質に

流れる 神性 あるいは 仏性を信じる事。

そして 必要な物、人、はすでに与えられて

いることを 信じて、不安なく、心を穏やかに

時を待つこと。

 

それが 祈りの成就される法則であり、法則がある

から、科学的ともいえると女将は 調査団に語っている。

 

*1 べナード・T・スポールディング著 

  ”ヒマラヤ聖者の研究~第二巻”仲里誠吉訳 霞が関書房

*2 ムー大陸とその植民地が栄えたころは

   世界にはまだ山が形成されていなかった~とされている。

*3 ムー大陸北方の種族をウィ―グルといい、その植民地

  (現在の蒙古・中国)は のちに大帝国となる。

 

参考)

 ヒマラヤ聖者の生活研究―自由自在への道 

全5巻

S54年6月5日第五版 ベアード・T

スポールディング著 

仲里誠吉訳 霞が関書房

 

 

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