ポン教(チベット)から学ぶ困難の向かい方 2014・7・16
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これまで数回でお話しさせていただいたことに
共通なのは、人生の出来事、人の心、それらすべての
事象は”一過性”で、所詮 過ぎゆくもの。
変化して一所に留まることもない、河の流れのようなもの。
チベットにポン教という、チベット仏教以前に存在していたという
教えがある。
この教えも、密教のように、空観 を持ち、ほとんど、般若心経の
言うところの、、空 とその観念は異なっていないようだ。
このポン教の御坊様は、きっと、悩みを抱えて受け入れがたい人生
に直面している人にこう、箴言するだろう。
”あなたの心の、空(くう)に立ち返ってください。
困難な状況? それを分析するのはやめましょう。
何が原因でこうなったかなどと、考えるのもやめましょう。
ましてや、他者を非難する必要もない。
只、その状況を 客観的な眼で認識して受け入れ、そして
その流れを静かに見守る気持ちになってください。
ポジティブ替えようとか ネガティブな原因を探ろうと
するのではなく、自然に任せる、ゆったりと構えて、雲が
青空に浮かんで流れていくのを観るように、困難が
時とともに、姿を変えていくのを眺めるような気持ちに
なってください。
自然でいること。
リラックスすること。
それが、まず、おどおど、バタバタ、必死にあがいたり、
抵抗したり、急いで働きかけたりすることより、何よりも
大切なことだからです。”
ポン教では一つの瞑想を提案している。
簡単にご紹介したい。
これは、“ア”音の響きによる浄化”方法であり、
これによって、無限の空間への体験を通して悩みや苦しみを
超越できると教える。
(A)は 阿(ア)音の意味を説明している。
(B)(C)は、その音を唱えながら、どのように観想するかを、述べる。
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(A) 阿 アの音
この音は在って在りし音、自ら生じて存在する音と言われている。
真言宗で行う観想ア字観のアであり、言霊としてとても
重厚な意味合いを持つといわれる。
そのアの響きが額のチャクラを共鳴させる振動。
繰り返しこの音を響かせるだけでも空間を開かせる働きを持つともいわれる。
(B) 空間を作り出そうとしないように。
空(くう)は、内在する本質として、あなたの中に、すでに存在しているのだから。
むしろ、空間に置かれているさまざまな感情や気になる事象が
“ア”の音の波動で一掃されていく様を観じる。
すると、自分の心の中にすでに純粋で無限に広がる空間が見えてくる
不満や自分にかけていると思われる不足した資質を
思い浮かべることはかまいません。
むしろ、それらを意識することで“ア”の音の持つ言霊が
それらを一掃していくことがわかるはずだ。
たとえばゾクチェンでは怒りの感情を意識したら
“感情を壊そうとするのではなく、べつのところへたどり着くための道に変えよう”
と意識する。
怒りの感情を 例にとればゾクチェンではこう教える。
“怒りは道になって自分の前に進む道をより明瞭にさせる。
私は今感じている怒りを別の場所に行くための道に変える。
今の状況がさらに大きく成長させるためのきっかけになる”
怒りのみならず、無関心や憎しみ、さらには嫉妬や疑いなども、
“ア”を唱えながら、静かに見つめ、成長させてくれるための
エネルギーとなっていく。
それら マイナスのエネルギーと思っていたものさえ、
自分の指針をさしてくれる要因なのだと気がつき、
空間の中に安らぐ自分を見つめるためのきっかけであることに気が付くだろう。
(C) “ア”を唱えるとき、問題を熟慮したり深く考えて分析しないように。
むしろ、問題を目の前に置き、向き合うだけで十分だ。
“アの響きによって真実を曇らせるものが浄化されたら、
そこに、空間が広がる。
そしてその空間に変わらぬままとどまろう。
痛みや不満、そして怒りを意識しながら繰り返し歌い、
すべての妨げを浄化し空間を開き、広げていこう”
とゾクチェンでは 言うのだ。
要は、判断したり、分析したり、解釈をしながら、苦悩を見つめる
必要はないということだろう。
仏教では中道という言葉がある。
ネガティヴでもなく、ポジティヴでもない。
心の重心を中道に置くのなら、二者選択するような次元を
超えている状態であるといえる。
中道においていないと 右が良いと言われれば、右に傾き
左のほうが良いと言われれば、左に傾くように、心は多かれ少なかれ
かき乱されることになるだろう。
健康も同様といえるだろう。
この薬が良いといわれれば、それを、 こちらの方が良いと言われれば
替えてみたくなるのが人の常だ。
サプリメントは必要と言われれば摂るだろうし、ニンジンジュースが良い
と言われれば、それを飲む。
健康になるための中道心はでは、どこに重心が置かれた状態なのだろう?
自分の体の持つ 自然の生命力と、自分の心にある、無限の可能性を生む
想念だ。
それを信じることが、その時、一番適切な判断を直観で、静かな心、中道の心
から得ることができるのだと思う。
ゾクチェンのこうした瞑想方法も、中道の心に戻るための一つの手段で
あることはいうまでもないだろう。