自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

千の風になって~の真実

2014年07月01日 | 健康を実現するための言霊(マントラや真言)

 時間(マーヤの感覚から生まれる)~ヴェーダ哲学的考察

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今日はインドの古代哲学、ヴェーダンダで時間を

どのように、扱っているかのお話しです。

私たちが”自分の体”というとき、感覚機能で‘ある場所に存在するもの’

と感じているから局在的と言えます。

では、心は?

心は ”ここにある” ”そこにある” と定義できないから 

非局在的と呼べます。

こんなことを考えていると、

数年前にとても流行した“千の風になって”の歌詞を想いだします。

正確な歌詞は覚えていませんが内容的には次のようだった

と記憶しています。

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御墓の前で泣かないでください。

私はここにはいません。

千の風になって、星になって、やさしい月の灯りになって、あなたを

見守れる、そんな存在になっているのです・・・

*******

 

そう、人が肉体の衣を荼毘にふしたら、魂になって、愛する人と一緒に、

どこにでもいることができるという真実がこの歌のメッセージです。

ここにあると規定できないことが、心の非局在性となっています。

 

心と同様、時間 も 同様で 非局在的と言えると、

インドの大師は 次のように、言います。

 ”時間は人の感覚が錯覚して、便宜上必要だから、造った観念にすぎない~”と。

言い変えれば、〝知覚による人工物“ に過ぎないといえるでしょう。

 

時間 を物理学的にその存在を証明する実験は

どんな偉大な科学者でも不可能だと言われています。

なぜなら、時間はモノではないからです。

物理学者は、そのため、時間という言葉の代わりに、

時空間 という言葉を使っています。

なぜなら、物理学者は、時間とは、

関連性の中にみられる現象で、絶対的ではない”と

知っているからです。

 

般若心経の中で 実相(空)の実体は、不生不滅 であると説かれています。

生まれることが無いから滅することもない。

あるのは 今 という永遠につながるこの時空だけ。

それが理解[悟]されれば、無老死尽、ということもわかる。

 

老いることも無いし、死滅することも無いというわけです

 

朝、公園で、ワンちゃんの散歩に 良く出くわします。

どのワンちゃんも一様にかわいくて、まだ若いだろうと思って

年齢を聞くと、”もう、10歳です”とか言われて、驚くことがあります。

人間でいえば、70歳にあたります。

つぶらな瞳、きれいな毛並み、軽い身のこなし、どう見ても、2~3歳の

子犬にしか見えないのです。

彼らは 年をとっても、外見にはよほど、病弱や老齢犬でない限り

年を予測させる兆候はあまり見分けがつきません。

 

これは動物全般に言えるでしょう。

一目で ”~才ぐらい” だろうと予測できる動物は、人間ぐらいでしょう。

動物は老化現象が起きても表情に皺が出たり、皮膚がたるんだりと

人間ほどにはあまり顕著でないようです。

なぜでしょう?

それは、彼らには 過去も未来も無い代わりに、今を生きているから

と言われます。

 

時間は人が造った観念ですから、動物たちは”自分が今何歳だ”とか、

”平均寿命が幾つだから、あと何年ぐらい命があるだろう”などという

考えは毛頭ないでしょう。

これは悟りを開いた人も同様です。

たとえば、ヒマラヤの大師たちは、数百年の齢を生きていても、

皆、自分の維持したい年齢、時には、青年のように、時には、

長いひげを生やして威厳深く見える年齢の相好にと、

選択して人前に現れることが可能だと言われています。

 

老いや若さは、波動の問題ですから、自分で肉体の波動をコントロール

すれば、聖者や大師のように、自分の好みに合わせて、年恰好

調整できるわけです。

 

さて、大師は言います。

あなたが時間をどのように、心と体の中で代謝させるかによって、

他者と際立った生理的変化の違いが生じる“

 

どういうことかと言えば、自分は老いたと思う人は老いるし、

時間は本来知覚的錯覚と知っている人にとっては、

時間は経たないのも同様ですから、歳をとっていく

自覚がないのです。

 

私事で恐縮ですが、結婚した当初から、旦那さんに半分、

あきれたように言われ続けていることがあります。

時間の観念があまりないので、今日は”何月何日”という意識

が希薄です。

 

手紙やメールにも、月を間違えることは しばしばです。

先日も協会にお問い合わせをいただいたKさんに

2016年の~のブログを見てくださいとメールしたところ、

未来の年が書かれていて・・・と返事が返ってきました。

こうした調子ですから、インドで、息子の生年月日さえ、

大使館に出す調書に間違って記入し息子から”自分の子供の

生年月日ぐらい覚えていてほしい”とこぼされました。

時に無頓着すぎる傾向があるのです。

そこで、

病院でアルツハイマーかどうか認知症かどうかのテストの初めの

質問は‘今日は何月何日ですか?’というらしけど、このテストを受けたら

もう、認知症に入っていると診断されるよね。“

とよく夫にからかわれるわけです。

 

これは、私が悟っているからではなく、単なる、無頓着でありすぎるという

ことが要因であります。

そして、たぶん、時の流れというものにも無頓着なのだと思います。

 

ある医師が面白い現象を体験しました。

それは、生態と時間の意識は心身にも身近なところで

影響を与えているということでした。

次のようにその体験が記されています。(*1)

わたしがボストンからロンドン行きの飛行機に乗っていたとき、

旧友に会いました。まさに、楽しい想いで時間が飛ぶように過ぎました。

目的地に着いたときも、私にとっては、瞬間的に飛行機が到着したように

感じましたし、時差ボケも全く感じることがなかったのです。“

 

という体験をもとに、

“わたしたちの生態は時間帯の変更に影響を受けなかったのです。

沢山の実験結果が私たちの時間の解釈が生態に影響を及ぼすことを

証明しています。 

たとえば、月曜日 という言葉はあなたにとって、どのような

意味を持ちますか?

驚くべきことに、私たちの文化において、比較的多くの人が週のうち、

月曜日 朝9時に死亡するという事実があるのです。“

と記してます。

 

月曜日は日常社会が休みから目覚めて、働き始めることを

私たちは生態として、知っているというのです。

さまざまな死亡にともなう手続き、その効率性を考えれば、

人々が仕事をオフにしている曜日より、一斉に働き始めた日を

無意識に選んでいるということです。

 

時間を止める~ことを知っている人はそうした、祖先から引き継いできた

時間の観念と常識、それに伴う2元的価値観の世の中の観方から

一時自分を引き離すことができる人だといえます。

そんなことができる人はそうそう、いない~と思われますが、

実は、寝ているとき、それから深い瞑想に入っているとき、人は誰でも、

こうした 時の観念 から切り離された体験を知らずのうちに、

しているようなのです。

 

 

*1)  "Power, Freedom,and Grace" by Deepak Chopra, M. D , Amber-Allen Publishing Inc, California, USA

 

 

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