自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

百匹の猿の一匹でいたい

2015年05月14日 | 健康のための心の波動

 

100匹の猿理論と一人が変われば世界が変わるという話   2015・5・14

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アメリカのニューエイジ世代の代表的科学者を代表する

ライアル・ワトソンは“生命潮流”(日本語版タイトル・工作舎)を

出してベストセラーになった。

 

その中で、日本の宮崎県の東海岸に在る無人島の幸島で 天然記念物として

指定された日本猿を餌付けし、その餌にサツマイモを与えてある実験をした。

 

猿たちは、当初は泥のついている芋を手で落として食べていたという。

ところが、1953年のある日、一歳半のメス猿が、川の水で泥を洗い落として

食べた。すると、ほかの猿たちもこれを真似た。

 

それから4年後の1957年には、75%の猿たちが川の水で芋を洗うという

ことを常習化していた。ところが川の水が枯れたりして、猿たちは川水の

代わりに、海水で芋を洗うことを覚えた。

 

海水には塩分が含まれているから、彼らは味付けをして芋を食べる

知恵も得た。芋を海水に浸けて洗っては食べ、塩味をつけるためにさらに

浸して一口かじるという行動が見られるようになった。

 

その行為が その島で、慣習化したあるとき、遠く離れた大分県

高崎山の猿たちの中に、水で芋を洗う猿たちがいることが発見された。

 

こうした現象を科学的に分析して ワトソンはサツマイモを洗う猿

が一定数を達したときに、全く情報が伝わるはずのない離れた地に住む

猿にも その情報は、伝わるとし、その一定数を便宜的に‘100匹’と定めた。

 

ワトソンは仮説をたてた。”有る行為をする個体数が一定量に増えたとき、

その行動はその集団に留まらず、距離と空間を超えて、広がる”という仮説だ。

これを“百匹目の猿現象”と名付けた。

 

この仮説は1994年に学会で認められた。この仮説を基に、動物学者や

心理学者などは、様々な分野から実験を重ね、猿のみならず、哺乳類動物

全般、鳥類、昆虫にもあてはめられる現象であることが実証されてきた。

 

京都大学の霊長類研究所・今西綿司氏はこの猿たちの行為をフィールド・

ワークとして発見したのだが、その発見を‘百匹目の猿現象’と名付けたのが

ワトソンである。

 

彼がニューサイエンスの提唱者であったということに注目したい。

ニューサイエンスとは、心と体を分離したものとしてとらえる

二元論的、西洋的思想を反し、ユング的に、心と体は統一されたものだ

と考える思想を軸としている。

 

さらに、ワトソンはこの“100匹目の猿現象”理論を 人間の社会にも

あてはめられる原理と考えた。私たちの想念がエネルギーであること、

目には見えないが伝播して、他者の心に響くこと、その時は空間と距離

を超越しているということであることも、背景にあった。

 

例えば、ある思想に共感して、それに即した行動をする人たちが

一定以上になったとき、その情報は無意識に、無宣伝で、自然に社会全体

に伝達されていくという現象だ。

 

自分が変わったからといって、社会が変わるはずがない~と諦念でやる気

を失いがちなものだが、実は、自分の意識が変われば100匹の猿の一匹の

役割を自分がしているという 力強い自己想念への励ましとも

とらえられるだろう。

 

そして、その組織の1割の人の意識が変われば、その人の所属している

組織の考え方が変わり得るというのなら、自分一人の心情や信念は、あながち

無駄ではなく、社会を変化させることに役立つという認識も可能だろう。

 

イギリスの科学者 ルパート・シェルドレイクは ワトソンの理論に関連して

‘形の場による形の共鳴’という説を 1980年代初めに発表した。

 

それは、“生物の形や行動パターン、さらにこの世界の物理的システムは

‘形の場’の成立とその‘共鳴’によって、過去にそうであった形態に導かれ、

それを継承している”というものだった。

 

幸島の猿の例でいえば、初めの一匹が芋を洗う行動をすると、その形を

場として一つのフィールドができる。

そのフィールドは他の猿たちが真似をすることで強まり、波動を強めていく。

 

この波動の力が一定以上になったとき、つまり、より多くの猿たちが

こうした形を慣習化してさらに、場を強めたときそれは、フィールドの

エネルギーとなって、空間を超えて、他所に伝わるということになる。

 

ルパートは科学者であったから、社会学者や心理学者と異なり、

これを科学の世界にも応用しようとした。

つまり、こうしたフィールドの形成や共鳴作用は生物の形態や行動に

当てはまるのみならず、原子や微粒子のレベル、人の頭脳の中の意識や

知覚レベル、などのエネルギー形態伝達として当てはまるとしたのだ。

 

猿のイモ洗いは行動の伝達だった。

これを意識レベルにあてはめるのなら、人の思想や大衆的通念などの

意見構成に、フィールドの時空を超えた転換が行われる可能性がある

というのだ。

 

私たち、このブログを読んでくださって共鳴してくださる読者の方たち

にはこうしたことは

当たり前のこととして受け止められているだろう。

しかし、物質的唯物的論的意識には時空を超えて思想が伝わるというメカニズムは

非科学的にしか思えないものなのだ。

このルパートの考え方を基にすれば、ユングの‘集合的無意識’も理解できるし、

各個人の中にある、潜在意識の持つ罪意識や‘独りよがり的な価値観’

にもメスをいれることができるかもしれない。

 

私たちの周りには無数の情報と意識が飛び交っているのだ。

その形の場のエネルギーに取り込まれて、人は抵抗するだけの余力もなく、

戦争が始まったのかもしれない。そのエネルギーは年月をかけ、蓄えられて、

他所に同じ傾向のエネルギーが飛び火して、或るとき、或る条件が整ったとき、

戦争という形になるのだろう。

 

戦争を起こすのも、起こさないのも、結局、戦局で苦しむ前線の人たちの想念

以上に、遠く離れた私たちの日常の想念がものをいうのかもしれない。

 

 

 

 

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これも修行だ~カルマヨガについて

2015年05月11日 | 健康と”悟り”・スピリチュアリズム

相手を拝む、仕事に心を入れる    2015・5・11

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多くの精神的師の言葉を引用してきた。

 

”この世に存在する生き物、人、誰もが神性をもっています。 

その神性に仕えるという気持ちで、言い換えれば、どんな

小さなことでも、真心から行いなさい。

それが一番の現代的修行です。”

 

と教えてくれたのは、南インドのカルナタカ州の小さな村に住んで

いらした故サイババ師だった。

どんな小さなことでも、神に仕える気持ちで行う…

これがカルマヨガの真髄だ。

 

当時、私はインドの古典芸術の理論と実践をデリー大学

大学院で学んでいた。シタールの一弦をつま弾くにも、シタールに

礼を尽くして、神の音を引き出させていただくという心持が大切だと

どの教授からも教わった。

 

もともと、インド古典芸能は、ダンスでも音楽でも、それは

”神への捧げも”のだったからだ。

 

 

15年間、師事した、尊師 Ustad Shjaat Khan への

弟子の義務の一つに心を籠めて できることを、お仕えさせて

いただくということがあった。

 

小さな雑用を頼まれて 何かを命じられても、素直に真心こめて

それにお応えすることだった。そうした小さな日常生活の一コマ一コマ

 私は、先のサイババ師の言葉を重ねていた。

 

そういえば、唯心一元論で”生命の実相”を書かれた 谷口雅春師

も 浴室から上がる際に、風呂からあがるとき、”お湯”に向かって、

”合掌をしていた”と聞いた。

 

こうした心持、与えられているという感謝の心や真心 

どんな小さな事柄にも神性な有り難さを見出し、拝む心は

日本人の”働き様”にも現れている。

 

カルマヨガと特定しなくても、日本人の社会生活には他国

とは違う、こうした心が生きているように思える。

それは、モノづくりの心 や はやり言葉にもなった、”おもてなしの心” 

などに、それが、表現されているようだ。

 

ものつくりの心は、日本独特のもののようだった。

インド時代、数年間、日本に本社を置く車両関係の”IT関連会社”に

働いていた。その時、”モノづくりの心”という言葉を初めて知った。

 

インド人のエンジニア達は 日本の工場に送りだされ、数か月間、

現場でこの”心”を学び、インドに戻ってきた。

 

製品に心を込める-ことだけではなかった。機械を尊敬し、常に磨き、

清潔に働く環境回りを保ち、掃除は徹底して教えられた。

 

機械の工程で、最後の仕上げに、マニュアルでは描ききれない、手の

感覚を頼りに高度の技術のみならず、神技的な直観手触りで、その製品が

完全に近づくようになることも学んできた。

 

それは優秀なインド人エンジニアもなかなか取得できない 手ごわい

”日本の物づくりの心”だった。西洋的に言えば、製品は機械の造りだした物。

だから、数多く作れば中には優れたものも生まれるだろうから、それで良しと

するインド式とは異なり、心を籠めて一つ一つに、取り組むということが 

ぴんと来ないようだった。

 

そして、機械はただの部品の寄せ集めではなく、機械の心があること、それを、

大切にするからこそ、メンテナンスだけではなく、掃除や清潔を保つことの意味

も習得してきた。これは、インドのカルマヨガでいうところの、現場で見られる、

日本人のカルマヨガであろうと思ったものだ。

 

おもてなしの心 も、日本独特の感覚かもしれない。

もともと、おもてなしの心は 日本古来の文化の中にも見られ、茶の湯 

の所作立居振舞はこの心を著しているのだろう。

 

おもてなしの根源には、どんな相手にも尊重すべき、仏性真性が宿る、

尊い存在であるという気持ちがある。その仏性真性を、サンスクリット語で

アートマと呼ぶ。

 

私は、”母の介護”でそれの概念と現実の違いに、戸惑い、迷い、苦しんだ。

母の当時、記憶力をほとんどなくし、日常生活が一人で困難になった状態で

母の仏性、人間の”実相”を引き出すことの困難を感じていた。

 

ある一時、ほんとうに心身くたびれてしまい希望がなくなったとき、

何人もの先輩諸氏に”母を施設にいれることも勇気あること”と、御忠告

をいただいた。結果的には10年の介護生活の最後の1年は、その助言

に従い、グループホームに入ってもらうことになってしまったが、

カルマヨガの実践という意識は 9年間、私の心の中から離れることは

一日たりともなかった。

 

 

 

 

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母の認知を癒せないない-セラピストとして苦悩

2015年05月09日 | 介護と自然治癒力

介護の苦しさの原~~私の場合       2015・5・9

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今現在(2015年5月)、この数週間を振り返って、この

投稿記事を書かせていただいている。

 

自分の体験、介護を通して個人的な情報や想いを書こうとしているが、

そういう意味で、人様に聞いてもらう話以前の話題のような気がする。

介護を通して、私の最もドロドロした部分を見た話は、介護に縁の

ない方にとってはつまらない話と思う、が、自分の蓋をしている部分

を覗いてみようと思う人にはお付き合い願いたい。

 

私より介護に関しては、もっと大変な想いを長年にわたって、かかわり、

苦労されている方たちは 多くいらっしゃる。

私が一番 介護中で負担に思う部分は、理想と現実の違いからだった。

 

”誰もが持つ神性や仏性はどう引き出されるのか?”

これは私がセラピストとして考えてきた最大のテーマだった

そして 母と同居介護が始まり、真正面に真摯に向き合っているという

自覚を持って母に接している現在、母の魂の神性、アートマをどのように、

現実に引き出していけるのかが、重要な課題になっていた。

 

自然治癒力セラピー協会のテーマであると同時にそれは日常生活の

個人的に、今、もっとも卑近のテーマであり、足元から解決すべき

大きな問題だ。目の前に倒れている人に手を差し伸べ得無い人が、

困っている人に手を差し伸べようと提唱しても、誰も聞く耳は

もたないからだ。

 

同時に アートマセラピーを-自分でできるセラピーとご紹介して

きても、自分の母親のアートマを引き出すことのできない

アートマ・セラピストは 失格 の烙印を押される~と思っている。

 

一緒に住み始めて、ひと月半たった。母はお陰様でとても落ち着いた。

言葉づかいも荒れることはほとんどなくなった。

 

反面、認知症特有の理性のない行動、たとえば、トイレの便器で

洗濯したり、昼夜とわず、何食でも食べたい欲望、真夜中に

台所に立つ癖、洗濯機の回し方を忘れても、真夜中に紙の介護用

パンツを洗おうとすること、過去と現在の記憶の入れ替わりから

錯乱して暴言を吐く、などなど、そうした夜中の緊張を引き出す

行動は相変わらず、繰り返されている。

 

一方、私の心にも変化がおきている。

そうした行動にさほど、げんなりすることが少なくなったことだ。

喜んでもらおうという気持ちが私の心の主体になり、それに

応えようという優しさも母の心に生まれているかのようだ。

 

少しずつ、母の顔には平和が戻ってきた。

 

今年2月、顛倒、大腿骨骨折し手術入院、退院直後は、

デーケア施設のスタッフのコメント帳に

 

とても不安げで落ち着かない行動が目立った。

すぐ帰りたいと口に出す。

という記述が多く、それを読むたびに、不安を覚えた日々。

 

このままでは彦田さんをお預かりすることは難しい・・・

この状態が続けば、スタッフが母にかかりきりになってしまい、

通所はお断りせざる得なくなるだろう”というコメントを 

ケアマネさんを通して聞いたのもその頃だった。

 

家で母を介護する私自身、もし、母がデーケア施設で

受け入れられなくなったら、24時間の介護はまず、無理だろうと

考えた。

 

そうなれば、結局 母を老人ホームなどの施設に入れなければ

眠れない夜が毎日、睡眠不足で血圧が上がり、限”度を超えることが

分かっていた。それは、ジレンマだった。 

 

アートマセラピーの主唱者が、母を癒すができず施設に入れること

ほど、矛盾がある行為はないと思った。

 

ところで、大腿骨骨折からの、母の体力的には執刀医も驚くほどの

回復ぶりだ。昨年に引き続き、大腿骨を折り、これで左右の腰にボルトが

入れられたことになる。 病院のリハビリだけでは 帰宅後は寝たきりの

生活を余儀なくさせられる母の世代の高齢者は多いと聞いていた。

 

しかも、デーケアに行くためには毎日、三階の階段を上り下りしなければ

ならない。看護婦長のMさんは私に、はっきりと、まず、不可能だと、

退院前の家族会議で断定した。

 

しかし、母の生命力と、セラピーをしながら、順気を整えて、血液循環や

血管を柔軟にすることで、筋肉を柔らかく動きやすくなり、

退院後翌日から時間をかけて行えば、階段の上り下りに差し支えはない

ど、回復した。

 

術後の初回の検診では執刀医から 母の回復が予想以上だったので、

驚きましたという言葉とともに、 今後の通院は必要ないということ

で、私の希望どおり、痛み止めやそのほかの薬も出されることはなく、

夜間歩き回るという認知症特有の症状を持ちながらも、自然治癒力での

全面回復を待つということで、自宅療養に踏み切ったのだった。

 

娘が本腰を入れて母と向き合おう~と決心してからは 次第に母の心

も変わっていった。これも修行だ。

 

理屈はわからないが いつか娘がいなくなるかもしれないという

母の、恐怖心が少なくなったようなのだ。

 

それに伴い、穏やかに、日中は過ごすようになった。

とても落ち着いて、日中の行事を楽しんでます。カラオケで

歌も歌ってました そんな言葉をケアースタッフの方達から 

やっと、最近伺えるようになってきた。

 

家での母はいつの間にか、幼女のようになってきた。

着替えから おむつの取り替えまで 一つ一つが親の手を借りる

幼女のように、 私にすべてお任せだ。

 

朝起きて、一緒に、仏壇と神棚にも 母は手を合わせるようになった。

古い過去帳を毎朝開いて、今日は~さんの御命日よ、と私が言えば、

”その人は、~さんのお兄さんだとか叔母さんだとか、母の古い

記憶が鮮明によみがえる。

 

時には 涙して、私も罪つくりな人間よなどと、何を思い出して

いるのか大げさに、反省していることもある。

 

こうして一日のはじめがスタートして、デーケアのお迎えがきて、

しばしの私にとっての、家事の合間の休息時間となる。

午後4時、帰宅する母をお迎えに出て、三階までゆっくり足を運ぶ。

そして、夕食をとり、風呂に入ってもらい、就寝。

 

そこからが一番の その日の緊張する時間帯となる。母は一晩中、

テレビをつけて、起きているからだ。

 

そのうちに、ふらふらと立ち上がって、トイレに行く。

お茶を所望する。 風呂場に行って洗濯を始めようとする。

 

真夜中にかかわらず、テラスで裸同然になって、汚れた下着を

着替えようとしている。目が離せない。私もほとんど一睡もできない。

 

が、地球のどこかを見渡せば、難民の人たち、不安に震えながら

不足の生活に、耐えている人達はたくさんいる。

その人たちの事を考えれば たとえ眠れなくても、生きている実感を

持てる生活がある。 ありがたい状況だと努めて、思うことにした。

 

母がうとうとしたら、少しでも、足を延ばせて横になれるだけでも

十分ではないか・・・昼寝すれば寝不足も解消されるのだから。

 

 

 

愛せる対象のいる間は、人は生きがいを持てるのだろう。

 愛せる対象がいなくなっても、十分に愛し抜いた思い出があれば、

その想い出が次の愛する対象と繋がるのだろう。

 

 

 

 

 

 

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ダライラマ師のオーラ

2015年05月05日 | 介護と自然治癒力

まず、自分の中に愛を~平和もそこから  2015・5・5・

**********************************

 

チベット仏教寺院の仏像

 

ダライラマ師の講演会に始まる2時間前に着き 並んで一番前の席を

とることができました。

話しの内容は詳細は省きますが、テーマは”平和について~親の愛”

というものでした。

 

平和というのは各自の心の中から始まり、宗教を超えて民族を超えて

文化を超えて互いに同じ人間である、愛情を知る心をお互い大切にすることから

始まるという趣旨でした。

愛情を知る心~それは、国や文化の違いがあっても、誰もが、親の愛に守られ

未防備な幼年時代を過ごすことができた、誰もそういう意味で

同等であるという話でした。

 

親の愛~その愛を知っている自分がインナーチャイルド、と呼ばれる純粋な

子供心の部分でしょう。

私の記憶では、8歳までは両親が死んだら自分も生きていけない~と本気で

考えていたのでした。

それほど、親の愛情だけを頼りに生きていた時期も自分の人生にはあった

のです。講演が終わると、ラマ師は何人かの人の質問を受けました。

高校生ぐらいの少年が聞きました。

 

”ダライラマ様、私の母はとても良く笑う母でしたが、癌が見つかり、笑いを

失ってしまいました。もう一度、母の笑顔が見たいのです。

どうしたらよいでしょうか?”

 

すると、ラマ師は

”チベットの薬はとても良く効きます” 会場から笑い声が起こりました。

”わけてあげましょうか?とても高価ですが・・・”

 

少年は”残念ですがゆとりがありません。”

すると、冗談だよと、ラマ師は笑顔で

”明後日まで都内のホテルに滞在しています。あとで詳細を教えましょう。 

私の部屋に受け取りにいらっしゃい。分けてあげましょう。”

少年は信じられないといった表情で大喜びでした。

 

短い会話でしたが、ラマ師の優しさの原点を見ました。

一方、同じ癌の余命宣告を受けた友人を持った女性の 質問には、

ラマ師は

 

”誰にでもカルマがあります。 次の生で迷わないで済む様に

今生きている意味を考えて、精一杯 生きてくれるように、友人として

伝えてください。”とも答えていました。

 

こうして2時間近い講演の終わり、ダライラマ師は丁寧に会場の四方に

向いて、深く合唱され、私たちに祝福を与えてくれました。

私はとても近い席にいたので、思わず、目と目があったような錯覚を

覚え思わず、合掌礼を返しました。

 

何かがその礼と一緒に私の心に一種の”確信”となって残りました。

それは グループホームに母をいれず、とりあえず、平和な心になって、

母と暮らしてみよう~平和になれないのは 私に原因があるのかも

しれない。私(インナーチャイルド)の声に耳を傾ける余裕のないほど、

 

”~しなくてはならない”とか”~あるべきだ”とか、”犠牲になっている”とか、

責任を負う”とか、いつの間にか、ゆとりとやさしい気持ちを、どこかに

忘れてきてしまっているのかもしれない。

 

幼いとき母が自分に平安と安らぎの場を与えてくれたように

母に その平安と安らぎを与えてみよう。

こうするべきだ~という観念ではなく、素直に インナーチャイルドの

声に従うことで・・・母は愛そのものだ。

 

認知症と診断された取り留めのない過去の断片で埋まった

心の奥底にも、必ず、この天使に応える、天使の心があるはずだ。

 

母の子供時代~自分の”天使の子供”を十分に発揮できる時代ではなかった。

混乱の続く昭和の初めの時代に幼少を過ごし、多感な青春時代には、

戦争が勃発して、親子離散、疎開生活、兄弟姉妹の多い中で十分に

親から愛情を受けたという記憶もあまりないに違いない。

 

グループホームの施設に母をお願いすると申し込み用紙を書いてきた

ことを妹にすでに報告していたので、改めてメールを送ることにした。

そのメールを4月13日に送った。

 

”御世話になっています。 今週は土曜日 O整形外科病院で術後

ひと月検診があります。母は家の中を伝い歩きしてトイレに一人で

行くことができるようになりました。

 

夜もだいぶ落ち着いてきています。

インドから様子を見に来た息子H も、母の回復が速いので驚いています。

不思議なことに、孫に対しては、母は正常な様子で以前と変わらずに、

応対しています。

 

今私が味わっている、貴方が味わってきた、あるいは夫が味わった

母との軋轢や緊張というのは、それぞれの立場でそれぞれのカルマ

があり、違うということを母の孫への対応をみていて感じました。

 

人はこの世に生まれ、カルマ、因縁の決済をしてバランスをゼロに

したとき解脱を得ます。そのために 母は観音様として私の前に 

私の自我を示してくれるために存在しているように思えます。

 

一昨日 ダライラマ師の講演会に緊急なご招待を受け速達で送られて

きた招待状を持って一番前の席でお話しを聴いてきました。

師のオーラに接し、目の前の大師から目を合わせ合掌しあったその時

私の心に何かが生まれました。

 

グル―プホームに入れなければ無理だという周囲のご意見は尊重しつつ、

もう少し頑張ってみようという気持ちになりました。

幼少時 無償の愛を注いでくれた親にたいし、時どき、狂ったようになる

母に怒りとイライラ感と恐れを抱くということは 無償の愛にまだ私が

なりきっていないということです。

 

そういう意味でまだ 私と母の間にはカルマが残っているのだと

思います。”

 

具体的には 5時に帰宅した母に温かいお茶とおやつを用意しよう。

美味しい手作りの夕食を楽しく摂ろう。

 

一緒に母の好きなゲームをして、夜間 良く眠れるように頭も使って

もらおう。買い物が大好きな母に、帰宅した夕方、暖かい午後は夕食まで

のひと時は 母の車いすを押して買い物に出かけよう。

布団はいつも、清潔にして、暖かい寝床を用意しよう。

 

深夜に、”やすよ!”と、幾度となく、起こされたら、”明日、朝6時味噌汁

をつくるから寝かしてね”と何度でも言って、わかってもらおう。

 

お洒落をしてもらおう。

幼い自分が母のそばで安心感を得たのは母の愛の力だった。

今こそ、それを実践して 母の中の”天使の子ども”の住む

部屋をノックして 中にもう一度入れてもらおう・・・・

 

 

 

 

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ホリエモンの回答とダライラマ  

2015年05月02日 | 介護と自然治癒力

大きな愛の力を感じさせられる人    2015.5・2

********************************

前置き)

自分の中のインナーチャイルドと呼ばれる純粋な部分と

現在意識の中の恐れの表出と、真理と宇宙意識につながる

超越的直観がバラバラに切り裂かれたような

奇妙なアンバランス感を、母の全面的介護を通じて味わった。

 

そしてそれがとても苦しかった。母と24時間 ひと月 

向き合ってやっと、落ち着きが戻りつつある。

母の心にも、私の心にも・・

 

人は誰でも いろいろな”自分”の声に耳を傾け、その声のどれかを

選び、行動している。そして、或るときは ある声と相反する声との

間で、自らバランスを失う。

 

それは認知症の介護でも、社会生活でも、どんな場面でも起こり得る

************

数日前テレビで ホリエモンさんが ”自分の失敗を通して伝えたいこと”

という主旨の授業形式のバラエティーに出演していました。

そこで、彼の言った言葉が印象的に残りました。

 

”人は、弱みを見せることも時には必要だ。 それで周りに協力者が

 出てくる。強がりばかりで弱みを見せなければ いざというときも一人だ。”

 という言葉でした。 

 

私の中には色々な感情の波に 急変する不安定さとともに、

毎日、朝晩、揺れ動いていました。

自分の弱みをみせる きっかけは Uさんとの電話でした。

このままでは、母を施設にお願いすることになる。

しかし、まだ、手立てがあるかもしれない。

日曜日や祝日も、母を受け入れてくれるデーサービスがあれば、大丈夫

かもしれない。

 

そこで以前紹介された施設の責任者Uさんに思い余って電話をしたの

でした。話しているうち、不覚にも涙がでてきてしまいました。

 

もう4日間、眠れないで疲れていて、取り乱していますが、すみません、

以前 お約束していただいたように、母をショートステー[泊まり]で

利用させていただきたいので、予定を教えていただけますか?”

 

そのお返事は、4月中旬以降になれば空きが出る予定なのでということ

でした。まだ4月に入ったばかり・・・涙を出したこと、今とてもギリギリ

なこと、そんなことも素直に出せたことが少しだけ楽になったようでした。

 

この電話の内容はケアマネさんにも伝えられたのでしょう。

翌日ケアマネのFさんは、私どもに会い来られました。

もちろん解決策を持って・・・

 

それは グループホームという 小規模の市で運営する養護施設でした。

もう、限度ではないですか? 

ご主人が冷静なご意見としてそうおっしゃるのなら、ぜひ、こちらを

見学に行かれたら?”

 

10人以内の認知症ばかりの人を集めて、24時間介護してくれる、

市営のグループホームのチラシを見せてくれました。

 

とにかく行ってみたら?~その声に促されて、見学の約束を即座に

取り付け、私たちは数日後、そのホームを見学に行きました。

 

ホームの所長さんは 70代になるかと思われる経験豊かな女性でした。

お話しを伺うと、介護で多くの方達が私たちと同様のプロセスを踏み、

似たような悩みを持ち、いざという時には体験のある専門職の方達に

お任せできるということを心強く思いました。

 

帰宅すると、改めて、

①自分がどうしたら一番満足のいく介護を母にできるのか? 

②後悔しないために何ができるのか?

を自分自身に、問いました。

 

多くの無数の手が差し伸べられている・・・力強さを感じるとともに、

宇宙の力にも・・・守護霊様にも・・・繋がっている・・・目に見えない

エネルギーも体感しました。

 

真理 という広い空間の広がりに この介護体験を通して身を置いて

ごらん・・・”とハイヤーセルフ(higher self)~アートマ意識の自分は、

声をかけます。

 

一方、”時間の問題よ、どちらにしても、いずれは値を上げてお手上げ

になるのはわかっている” と いう現在意識の自分が返答します。

 

振り子のようにこのように心は揺さぶられます。

”母と向き合おう”と左に揺られ、夜ともなれば、

もう駄目だ。明日は グループホームへのアクションをとろう”と右にゆれ、

それが交互に不規則に次第にふり幅も大きくなっていくのを

否めませんでした。

 

そんなとき、天が 一枚の切り札を与えてくれました。

ダライラマ師 との 遭遇でした。

Uさんとの、涙交じりの電話から一週間後、御詠歌の先生から

メールをいただきました。

 

”ダライラマ師の講演があるけれど、行きますか?”

見れば、公演期日は 明後日でした。

昼間は眠気が勝ち、しかも、家の中の大掃除がまだ続いていて、

山ほど片付けることはありましたので、外出するほどの余力も

ありませんでした。

 

心の中で 呟きの声がしました。

”ダライラマ師はチベットのカルマ(難民としての宿命を負って)

を持ちながら世界中で心の安寧を説いているのだから、お前の葛藤

など小さなものだ。”

 

ダライラマ師のオーラを感じたいと想いました。

そのオーラは、重い十字架を背負いながら、奉仕の生活を続けている人

しか放たれないものかもしれません。

 

人が癒されるのは 慰め、励ましの言葉だけではありません。

結局 愛 によるのです。

癒されたい・・・ 言葉はもう不要、・・・癒された、今の私に

必要な大きな愛の力、それは いったい、なんなのだろう?

感じたい・・・

 

こうして ”ぜひ、伺いたいです。” と お返事をメールで送信しました。

 

続く

 

 

 

 

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