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教会の教導権と個人レベルでの宗教無差別主義

2008年06月02日 | エキュメニズム関連情報
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 宗教無差別主義についての、ピオ九世による重要な関連文書を引用します。

ピオ九世 講話『ウビ・プリムム』1847年12月17日、枢機卿秘密会議において(Pius IX: Allocution Ubi primum to the Consistory, Dec. 17, 1847 (CH 196))

「更に、私の霊魂を過激に押しつけ悲しませる事柄がある。尊敬する兄弟達よ、あなたたちはそれを無視することが出来ない。カトリック真理に反対する数多くの敵どもは、特に現代、彼らの努力をこの目的に向けて力を注いでいる。すなわちキリスト者の教えから遠ざからせ、或いはキリスト者の教えに様々な新奇な意見を混ぜること、更にもっともっと多くの不敬な宗教無差別の体系を喧伝すること、である。更に最近では、・・・教皇のやり方によって、全ての種類の人々、カトリック教会の子らのみならず、カトリックの一致からどれ程離れていようとも全ての他の人々が同じく救いの道にあり、永遠の生命に辿り着くことが出来るという意見を私が持っていると結論付けようと望むものもいた。この新しいそしてかくも残酷な私に対する侮辱にたいして私は何と言うべきかその言葉を知らないほどである。
 そうだ。私は心からの最も深い愛情を込めて全ての人々を愛している。しかしながら、天主の愛において、また、失われたものを探し救うために来られ、全ての人々のために死去され、全ての者が救われることを望み給い、全ての者が真理を知ることを望まれる私たちの主イエズス・キリストの愛において、である。この私たちの主は、全世界に弟子達を遣わし給い、全被造物に聖福音を宣教することを命じ給い、信じて洗礼を受けるものは救われ、信じない者は排斥されると宣言された。

 従って、願わくは救われようと望むものは、この柱に来たらんことを。この真理の基礎、つまりカトリック教会に来たらんことを。つまり彼らがキリストの真の教会に来るように。・・・ 私は、同じイエズス・キリストの聖寵の助けをもって、無知と誤謬にいる彼らをこの真理と救いの唯一の道に連れ戻るために、いかなる注意も労働も決して惜しむことはしないだろう。」



ピオ九世 回勅『ノスティス・エト・ノビスクム』1849年12月8日

「信徒たち自身が、その心の中に、救いを得るためにカトリック信仰が絶対に必要であると言うことについての私たちのいとも聖なる宗教のドグマが深く刻み込まれているように特に気を配って注意しなければならない。」


ピオ九世 使徒書簡『ムルティプリチェンス・インテル』1851年1月10日

「この(排斥された書籍の)著者は、宗教無差別と理性主義に身を捧げることを望み、それに毒されていることを明らかにし、カトリック教会が唯一の真の宗教であることを否定している。さらに彼は各人が自分が理性の光に従って真だと判断する宗教を受け入れ宣言することを自由にしてよいと教えている。」


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 残念ながら、今、バチカンが主導している新しいエキュメニズム運動は、かえって宗教無差別、宗教相対主義を助長させ、カトリック信仰が救いのために必要であることを暗に否定するメッセージを全世界に送っている。


ヨハネ・パウロ二世と正教、スイスの改革派、ルター派、メトディスト。John Paul II with the World Council of Churches, Orthodox, Swiss Reformed, Catholic, Lutheran, Methodist

ヨハネ・パウロ二世は1983年ローマのユダヤ会堂を訪問する。Pope John Paul II visiting a synagogue in Rome in April 1983

アシジの祈祷集会

アシジの祈祷集会

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【関連記事】

聖ピオ十世会創立者ルフェーブル大司教の伝記 12.1.2.タルディーニ枢機卿の公会議事前準備

2008年06月02日 | ルフェーブル大司教の伝記
第12章 公会議の嵐に直面して

I. 中央準備委員会委員


タルディーニ枢機卿の公会議事前準備

 タルディーニ枢機卿(Cardinal Tardini)が全世界に広がっている司教たちに公会議で討論しなければならない話題を提案しなさいと送った 1959年 6月 18日付け書簡を受けたその時、既に公会議の下には潜在的に罠が置かれていたということを、ルフェーブル大司教は当然まだ知らなかった。

  5月 17日になるやいなやヨハネ二十三世は、国務長官であるドメニコ・タルディーニ (Domenico Tardini) が議長職を引き受け、 10人で構成される公会議準備委員会を設置すると宣布した。その中には、アルカデオ・ララオナ (Arcadio Larraona) 神父(聖クラレチアン宣教会 (聖マリアの汚れなき御心の子宣教会(Claretian))、ピエトロ・パラッツィーニ (Pietro Palazzini) 大司教、ディノ・スタッファ(Dino Staffa) 大司教及びポール・フィリップ (Paul Philippe) 神父たちもいた。

 司教たちの回答の中で幾つかもっと知られるに値する。イタリアの小さな司教区の司教であるカルリ (Carli) 司教は、管轄区域が小さいことから生じる不便さを改善するのにとても熱心だったが、教理的関心を示し、公会議が「唯物論的進化論」と「道徳的相対主義」を排斥・断罪することを願った。彼は、国際ユダヤ主義の策略を心配してもいた。

 カルリ司教の関心は、ブラジルの司教アントニオ・デ・カストロマイエル (Antonio de Castro Mayer) 司教と共有し、さらに凌がれていた。後者は公会議が「天主の国に逆らう陰謀の存在を告発し」、「キリスト教に反対する陰謀に対して戦う司祭を作り出すように聖職者の養成がまずそれに向かっていなければならない」と考えていた。

 彼と同国人であるジェラルド・デ・プレンサ・シガウド (Geraldo de Proenca Sigaud) は、「カトリック教会とカトリック社会とに戦いを挑む私たちの敵、...それは革命である」と告発し、確かに洞察力を持ち、戦う気力に満ちていた。彼は特に共産主義に反対する「反革命の闘い」を求めた。(【参考資料】シゴード司教のタルディーニ枢機卿への意見書:第二バチカン公会議ですべきこと


 私たちは後に語ることにするが、ダカールの大司教はこれらの司教たちとすぐに聖なる同盟を成すようになるだろう。ルフェーブル大司教は、特に司牧的関心事によって彼らと違っていた。タルディーニ枢機卿への答信で、ルフェーブル大司教は婚姻無効宣言手続きを早めること、聖職禄に関する規則および教会法による雑則規定を簡素化すること、告解を聞く権限の範囲を広げること、夕方ミサをもっと自由にたてることが出来るようにすることを提案した。

 彼は、ローマンカラーを付けた黒いシャツ(clergyman)に、十字架をピン留めするだけで聖職者の制服とすることも提案し、一司教区の信者数が 200,000人が越えないように司教の数をふやさなければならないと主張した。

 また求道期間に洗礼の儀式の一部を適応させることも提案した。宣教聖省の多くの失敗を批判し、かなり根本的なその改革を提案した。

 ルフェーブル大司教の提案は、司牧的な大胆さ、実用的感覚及びダカールの司教時代から私たちが指摘した本質的に使徒職的心配りよく符合している。彼は宣教という目標を達成させるためにもっと相応しい手段と組織構造を取り入れようとする意味で、現代性に好意的であった。

 適切な司教区の運営は彼の特別な関心事中の一つだった。また干渉がひどい司教団にたいして、また奇妙な指導方針を持つカトリック・アクションに対して、危険に瀕して司教たちの権威の自由な行使を守ることを願った。一般信者の使徒職に関して明示することも要請した。

 また、健全な教理に対する関心をも表明した。神学校において広がっている教理的逸脱に対する対策として、特に聖トマス・アクィナスの神学大全に従った教育、またそれと同時に教会の社会関連教理の概要が補助教材で作られなければならないことを提案した。

 教理の二つの特定項目にルフェーブル大司教の注意の焦点があった。すなわち、「教会の外に救いなし」と言うドグマの意味を「教会の宣教の意味を破壊する深刻な間違い」に反対して説明しなければならないこと、また「天主の御母であるいとも聖なる童貞女マリアがすべての聖寵の仲介者であること、この真理は童貞マリアが霊的な母親であることを確認するに過ぎないことであろう」というマリアの教理を「定義する、或いは少なくとも断言するのが望ましい」ということであった。

 私たちが引用したルフェーブル大司教の提案、及び三人の司教たちの提案は、世界中のその他の司教たちによる「平凡な」提案とは一線を画していた。その他の司教たちのなかで、教理的な明確さを求めていたものは殆ど希にしかいなかった。

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【関連記事】
第3章 ローマ神学生時代(1923年-1930年)

I. 聖霊と聖母の汚れ無き御心とのもとに

II. ル・フロック神父、教皇、十字軍

III.観想的な哲学の学生

IV.アクション・フランセーズの排斥

V.自由主義(リベラリズム)の風に直面して

VI.聖トマス・アクィナスの哲学・神学体系(トミズム)とローマ精神 (その1)

VII.ローマの司祭、神学博士


第4章 郊外の教会の助任司祭(1930年-1931年)


第5章 修練者司祭(1931年 - 1932年)


第11章 チュール時代の小さなエピソード
I. 美しく小さい司教区

II. シテ・カトリックと司教

III. 信頼回復

IV. 特別な存在


第12章 公会議の嵐に直面して
I. 中央準備委員会委員


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