アヴェ・マリア!
愛する兄弟の皆様、
バコロドの聖ピオ十世会の教会は、無原罪の御宿りに捧げられた教会です。私は、自然に、浦上の無原罪の御宿り教会を思い出しました。1945年8月9日に被爆して、同日の真夜中に全焼したあの無原罪の御宿りの教会です。
それと同時に、1945年のクリスマスに廃墟の長崎に鳴り響いた浦上天主堂の鐘、平和と希望の鐘の音を、そして、本や映画となって日本中に鳴り響いた平和と希望の『長崎の鐘』のことを思い出しました。
今この日本の平和は、浦上の無原罪の御宿りのほふりの上にできたことを思いました。
サイパン島でそうだったように、硫黄島でもそうだったように、沖縄でもそうだったように、日本人は郷土を愛し、祖国を大切に思い、忠誠を尽くしました。私たちの先祖は、誇り高く、英雄的であり、寛大でした。私たちは、その子孫であることを誇りに思います。一億の私たちの先祖が、大本営の喧伝していたように玉砕するのは時間の問題でした。ただ、一般国民は、天皇陛下が戦争に反対していたことを知りませんでした。
そんな時、長崎には、250年の厳しい7代にわたる迫害と、その後の80年の長きにわたる差別を受けていたカトリック信徒がいました。カトリック信徒たちはともすれば非国民とかスパイとか揶揄されていました。
そのような嘲笑にも関わらず、カトリックは、真の天主に祈り、平和のために祈り、祖国のために祈っていたのです。政府の命じるまま、従順に従軍し勤労奉仕をしていました。
そんな1945年8月9日、原爆で8000余名のカトリック信徒が亡くなりました。司祭、修道女、信徒が、あるいはあっという間に、あるいはラテン語の聖歌を歌いながら、あるいは聖母への賛美歌を歌いながら、苦しみのうちに亡くなりました。
その真夜中、まだたたずんでいた天主堂に火の粉が移り、音をたてて崩れ落ち、無原罪の御宿りは全焼しました。
ちょうどその時、正にこの真夜中に、首相は天皇陛下に聖断を仰ぎ、終戦が決定されました。軍部の中には、戦争を始めた時のように、天皇陛下の御心を単なる菊の花であるかのように握りつぶしてしまおうとする者もありました。彼らはクーデターを計画し終戦を妨害しようとしました。
愛する人を失い、家を失い、教会を失い、大切なものすべてを失った特に浦上のカトリック信徒たちは、それら苦しみを捧げました。愛を込めて捧げました。天主様の御手からこの苦しみを受けとりました。
1945年8月15日、聖母の被昇天の祝日に、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んだ戦争は、天主様の御恵みによって終わりを告げました。
1945年11月、生き残ったカトリック信徒たちは浦上天主堂で合同葬儀を行い、信徒代表で永井隆博士が英雄的で寛大な誇り高い、郷土愛にあふれ、愛国心からの弔辞を述べました。
「浦上を愛し給うが故に、浦上に苦しみを与え給い、永遠の生命に入らしめるためにこの世で短きを与え給い、しかし絶えず恵みの雨をこの教会の上に降らし給う天主に感謝を捧げるものでございます。」
つまり「天主様から苦しむように選ばれたことを浦上は感謝する」と。そこには、恨みも憎しみも復讐もなく、怒りに満ちた賠償請求も責任追求もなく、ただ、感謝と赦しがあったのです。浦上の愛に満ちた犠牲が受け入れられて、真の信仰の自由が与えられたことを感謝し、平和が与えられたことを感謝したのです。
何故なら、全ては天主様の愛の計らいのうちにあり、私たちの永遠の命のためであることを知っていたからです。
何故ならまた天主様は私たち人間が赦される条件に、信じて洗礼を受けること、兄弟を赦すことを教えてくれたからです。
1945年のクリスマスに、浦上の、落ちて土に埋まっていた鐘が掘り起こされて、廃墟となった長崎に鳴り響きました。
それはクリスマスでした。天主様が、人間を赦すためにお産まれになったクリスマスでした。私たち人間に代わって十字架につけられて苦しむために天主様が人になってお生まれになったクリスマスでした。この日、イエズス・キリストは、人間が無償で赦されるために、罪の無い自分が購いと償いを果たそうとお生まれになったのです。人間が何かする前に、まず天主様が先に人間を憐れんで下さったのです。
何故なら、人間の罪はあまりに大きいから、罪に無限の邪悪があるからです。人間だけでは償い切れないからです。人類の全ての罪と邪悪とをあがなうために、天主様が人となって無限のあがないを果たすことを望まれたのです。
その天主様が、私たち人間が他人を赦してはじめて、赦されると教えてくれたのです。イエズス・キリストのためにイエズス・キリストと一致して赦す時赦され、またそうして赦す時、天主様の祝福が豊かに受けることを教えてくれたのです。それがミサ聖祭であり、十字架での言葉でもありました。それが天主の正義なのです。
赦すことを知らないところには、人間からの賠償は一時的に入るかもしれませんが、天主様の祝福と恵みはわずかでしょう。ところが浦上は感謝したのです。
だから、天主様は浦上のいけにえを受け入れて下さったのです。だから、浦上の祈りは聞き入れられ、日本は平和を取り戻し、日本は天主様の祝福を豊かに受けたのです。何故なら、本当の平和は天主様からのものだからです。
無原罪の御宿りよ、我らのために祈り給え!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
愛する兄弟の皆様、
バコロドの聖ピオ十世会の教会は、無原罪の御宿りに捧げられた教会です。私は、自然に、浦上の無原罪の御宿り教会を思い出しました。1945年8月9日に被爆して、同日の真夜中に全焼したあの無原罪の御宿りの教会です。
それと同時に、1945年のクリスマスに廃墟の長崎に鳴り響いた浦上天主堂の鐘、平和と希望の鐘の音を、そして、本や映画となって日本中に鳴り響いた平和と希望の『長崎の鐘』のことを思い出しました。
今この日本の平和は、浦上の無原罪の御宿りのほふりの上にできたことを思いました。
サイパン島でそうだったように、硫黄島でもそうだったように、沖縄でもそうだったように、日本人は郷土を愛し、祖国を大切に思い、忠誠を尽くしました。私たちの先祖は、誇り高く、英雄的であり、寛大でした。私たちは、その子孫であることを誇りに思います。一億の私たちの先祖が、大本営の喧伝していたように玉砕するのは時間の問題でした。ただ、一般国民は、天皇陛下が戦争に反対していたことを知りませんでした。
そんな時、長崎には、250年の厳しい7代にわたる迫害と、その後の80年の長きにわたる差別を受けていたカトリック信徒がいました。カトリック信徒たちはともすれば非国民とかスパイとか揶揄されていました。
そのような嘲笑にも関わらず、カトリックは、真の天主に祈り、平和のために祈り、祖国のために祈っていたのです。政府の命じるまま、従順に従軍し勤労奉仕をしていました。
そんな1945年8月9日、原爆で8000余名のカトリック信徒が亡くなりました。司祭、修道女、信徒が、あるいはあっという間に、あるいはラテン語の聖歌を歌いながら、あるいは聖母への賛美歌を歌いながら、苦しみのうちに亡くなりました。
その真夜中、まだたたずんでいた天主堂に火の粉が移り、音をたてて崩れ落ち、無原罪の御宿りは全焼しました。
ちょうどその時、正にこの真夜中に、首相は天皇陛下に聖断を仰ぎ、終戦が決定されました。軍部の中には、戦争を始めた時のように、天皇陛下の御心を単なる菊の花であるかのように握りつぶしてしまおうとする者もありました。彼らはクーデターを計画し終戦を妨害しようとしました。
愛する人を失い、家を失い、教会を失い、大切なものすべてを失った特に浦上のカトリック信徒たちは、それら苦しみを捧げました。愛を込めて捧げました。天主様の御手からこの苦しみを受けとりました。
1945年8月15日、聖母の被昇天の祝日に、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んだ戦争は、天主様の御恵みによって終わりを告げました。
1945年11月、生き残ったカトリック信徒たちは浦上天主堂で合同葬儀を行い、信徒代表で永井隆博士が英雄的で寛大な誇り高い、郷土愛にあふれ、愛国心からの弔辞を述べました。
「浦上を愛し給うが故に、浦上に苦しみを与え給い、永遠の生命に入らしめるためにこの世で短きを与え給い、しかし絶えず恵みの雨をこの教会の上に降らし給う天主に感謝を捧げるものでございます。」
つまり「天主様から苦しむように選ばれたことを浦上は感謝する」と。そこには、恨みも憎しみも復讐もなく、怒りに満ちた賠償請求も責任追求もなく、ただ、感謝と赦しがあったのです。浦上の愛に満ちた犠牲が受け入れられて、真の信仰の自由が与えられたことを感謝し、平和が与えられたことを感謝したのです。
何故なら、全ては天主様の愛の計らいのうちにあり、私たちの永遠の命のためであることを知っていたからです。
何故ならまた天主様は私たち人間が赦される条件に、信じて洗礼を受けること、兄弟を赦すことを教えてくれたからです。
1945年のクリスマスに、浦上の、落ちて土に埋まっていた鐘が掘り起こされて、廃墟となった長崎に鳴り響きました。
それはクリスマスでした。天主様が、人間を赦すためにお産まれになったクリスマスでした。私たち人間に代わって十字架につけられて苦しむために天主様が人になってお生まれになったクリスマスでした。この日、イエズス・キリストは、人間が無償で赦されるために、罪の無い自分が購いと償いを果たそうとお生まれになったのです。人間が何かする前に、まず天主様が先に人間を憐れんで下さったのです。
何故なら、人間の罪はあまりに大きいから、罪に無限の邪悪があるからです。人間だけでは償い切れないからです。人類の全ての罪と邪悪とをあがなうために、天主様が人となって無限のあがないを果たすことを望まれたのです。
その天主様が、私たち人間が他人を赦してはじめて、赦されると教えてくれたのです。イエズス・キリストのためにイエズス・キリストと一致して赦す時赦され、またそうして赦す時、天主様の祝福が豊かに受けることを教えてくれたのです。それがミサ聖祭であり、十字架での言葉でもありました。それが天主の正義なのです。
赦すことを知らないところには、人間からの賠償は一時的に入るかもしれませんが、天主様の祝福と恵みはわずかでしょう。ところが浦上は感謝したのです。
だから、天主様は浦上のいけにえを受け入れて下さったのです。だから、浦上の祈りは聞き入れられ、日本は平和を取り戻し、日本は天主様の祝福を豊かに受けたのです。何故なら、本当の平和は天主様からのものだからです。
無原罪の御宿りよ、我らのために祈り給え!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)