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衣服の慎みに関する公会議聖省の書簡「羞恥は何と美しい徳!何と輝かしい真珠!」

2008年06月21日 | カトリックとは
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 暑い季節になりました。1954年8月15日の「衣服の慎みに関する公会議聖省の書簡」をご紹介致します。特にルルドの聖母の御出現150周年にもあたる今年は、無原罪の御宿り(インマクラータ)にならい、慎みのある服装を守らなければなりません。


衣服の慎みに関する公会議聖省の書簡
1954年8月15日


 童貞聖マリアの汚れなき御宿りのドグマの定義、百周年を記念した回勅において教皇聖下が全世界でマリア聖年を祝うことを命じた時、同じ聖下は、司教たち、全聖職者ら及びキリスト教の全ての民が、私たちを愛する天主の御母また私たちの御母なる聖マリアの保護のもとに、ますます熱心にキリスト教的道徳の刷新に励むように奨励した。それは、彼らが偉大なる熱心をもって聖母を忠孝の念をもって見つめつつ、彼らの生活において、その条件に従って、聖母マリアの御姿を再現するためである。

 教皇様は、第一に「寛大で人生経験の少ない青少年が純潔に汚れなく成長するように、また若さの輝く花が腐敗し・この世の息吹に毒され・悪徳のうちに悪臭を放つようになるのを許さないように、無規制な傾きと侵略するような情念をふさわしく整え規制するように、そして全ての罠から遠ざかりながら、全て聖なること・愛すべきこと・気高いことへ向けて伸びるために、危害を与える危険があることや悪いことを避けるように」と強く訴えるべきであると宣言した。

 さて、最高の牧者である教皇様のこの奨励が、無視することのできない健全な結果をもたらしたが、個人的な且つ公共の道徳に関しては、教皇様が願った全ての結果は生じなかったということは、嘆かざるを得ない。

 実に特にこの夏の時期においては、キリスト教的美徳と人間の羞恥心を無視しなかった人々或いは完全に軽蔑しなかった人々の目と霊魂を害しないわけにはいかない光景が至る所で見られるということを誰も知らないわけではない。

 海水浴場のみならず、田舎の観光の中心地のみならず、ほとんどどこにおいても、町であろうが村であろうがその通りであっても、私的な場であっても公共の場であっても、そして極めて頻繁に天主に聖別された建物の中であっても、ふさわしくない慎みを欠いた服装の流行が広がってしまった。特に青少年の霊魂は、悪徳に容易に傷つきやすく、彼らこそが最も偉大で最も美しい霊魂と肉体の装飾である純潔を失ってしまうという極めて重大な危機におかれている。

 女性らしい衣装は、もしそれを衣装と呼ぶことができるならの話であるが、女性の服装は「もしもそれを服装と呼ばなければならないのだとするとの話であるが、何故ならそれらには肉体や羞恥心を保護することので着るようなものはなんらもないからであるが」(セネカ)、むしろ恥じらいよりも恥じらいの無さを求めているようにしばしば思われる。

 私的にも公の場でも、悪しくまた恥ずべくなされたこと、そのように思われることは全て、新聞、雑誌、その他ありとあらゆる種類の出版物がそれをあつかましく報道し、大衆の行き来する映画館でそれらが上映され、全ての人々の目の前で動画の光の中で見せ物にされ、印象を受けやすく血の気の多い青年のみならず老人たちをも、不健全な誘惑によって深く動揺させているほどである。

 ここから生じる悪がどれ程大きいか、公衆道徳がどれほどひどく危険にさらされているかを見ないものは誰一人としていない。

 従って、貞潔の美しさが日の光を当てられて全てに勧められ、誘惑や悪徳への誘いはできる限り罰せられ、妨害される必要がある。それは必要な厳格さをもってよき公衆道徳を皆すべてに思い出させるためである。何故なら、ローマの最も偉大な論士が言う如く「その他のことではいかなることでも決して敗北することのないような人々が、貞潔においては負けてしまうのをしばしば私たちは見る」(キケロ)からである。

 各人もよく理解する通り、これは極めて重大な問題である。これにはキリスト教的美徳のみならず肉体の健康と人類社会の進歩の力とに密接に関わる問題でもある

 このことに関して、ある古代の詩人が次のように言ったのはたいへん当を得ている。「大衆の面前で肉体に服を脱ぐようになるのは、放蕩の始まりである。」(エンニウス)この重大な事柄は教会のみならず、国家を指導する舵を握っている人々にとっても関係することは容易に見て取れる。何故なら彼らも肉体の健康や美徳の力が弱まったり砕かれたりしないことを望まなければならないからである。

 しかし、あなたたちは「天主の教会を導くために司教として聖霊が立てた者」(使徒行禄20:28)であり、悪を注意深く考察し、あなたたちの全ての力で、キリスト教道徳の純粋さと進歩を保護することに関わる全てのことを与え擁護する勤めを持っているのは、あなたたちである。

「聖霊が私たちに来たり、聖別し給い、私たちすべては天主の神殿なのであるから、その神殿の保護者は貞潔である。この貞潔により、いかなることでも汚れたことや不敬なことが神殿に入ることを許さない。それは、そこに住まわれる天主が、犯され悪の座となったその神殿をうち捨てることのないためである。(Nam cum omnes templum Dei simus, inlato in nos et consecrato Spiritu Sancto, eius templi aeditua et antistes pudicitia est quae nihil immundum nec profanum inferri sinat, ne Deus ille qui inhabitat inquinatam sedem offensus derelinquat.)」テルトゥリアノ De cultu feminarum, II - 1)

 ところで、誰でもたいへん容易に次のことに気がつく。それは現今の服の着方は、特に婦人と若い女性のそれは、重大に羞恥という「純潔の友でありそれがあることにより貞潔が確実になるもの」(聖アンブロジオ)を傷つけるものであるということである。

 従って、全ての種類の市民に、特に青年達に、あなたたちがもっともふさわしいと判断するやり方で、キリスト教徳と市民徳とに全く反するこれらの害悪が、それらの徳を危険にさらす可能性のある機会を避けるようにと警告し奨励することが絶対に必要である。


「羞恥は何と美しい徳であり、美徳の何と輝かしい真珠であろうか!」(聖ベルナルド)

 願わくは、服装に関する自由放任に続く悪徳の誘惑と魅力により、或いは、上記に述べたそれに類する、そして善を求める全ての人々が嘆く以外何もできないその他のやり方で、公衆道徳を傷つけ犯すことがないように。

 教皇様はこの事業が熱心に、特にマリア聖年の最中に始められるように心から願っておられる。また特に司教たちがこの悪を癒すためにいかなる手段も無視することが絶対にないように、彼らの照らされた行動の元において、聖職者全体が賢明に熱烈にそして忍耐強く働き、各人は各々の場所でそのよい結果のために努めるように、家庭の父親、母親はまずその模範によって、次に機会を得たアドバイスによって、厳格な霊魂の持つ力強いキリスト者においてふさわしいように、これらの危険から子供達を遠ざけ、その子の額に純潔の輝きが出るのを見るまで満足しないことを願われている。

 カトリック・アクションの会員たちもこの救いをもたらす事業の主要な務めを引き受けるように。願わくは彼らが親しく生活する全ての人々、或いは関係を持って生活する人々に注意し、キリスト教道徳の美しさが、その衣服の着方と行動様式により輝くように。願わくは彼らの身がその霊魂の内的な罪の無さを輝き出すように。その時始めて、彼らはもっと容易にふさわしく服を着て、よろしく振る舞うという説得力のあるアドバイスを他の人々に伝えることができるのようになるだろう。

 願わくは天主の童貞母聖マリアが私たちの祈りを聞き入れ給わんことを。聖母マリアはその受胎の瞬間から全ての罪の汚れを免れておられ、全生涯にわたって高い聖性によって全てに優り、聖母マリア全てを愛しておられる私たちの母でもあるからである。

 願わくは教皇様によって司教、全ての聖職者、キリスト教の民全て、そして特にこの救いの業に励む人々に与えられる使徒的祝福、天の祝福の印であり、教皇様の父としての善意の証拠であるこの使徒的祝福が私たちのために天主からそれらのことを勝ち取ってくれるように。

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【関連記事】

教会における慎みのある服装について ギウール司教(Msr GIEURE)の四旬節の教書より

2008年06月21日 | カトリックとは
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 暑い季節になりましたね。バイヨンヌ(フランス)の司教である、ギウール司教(Msr GIEURE)の1920年の四旬節の教書より教会における慎みのある服装についてご紹介します。


私たちの礼拝の場所(=教会のこと)における
身だしなみについて


 教会は天主の家である。そこに入るには慎み深い服装でなければならず、あまりにも世俗的なものであってはならない。

 秘蹟は絶対的に聖なるものであるので、より大いなる敬意が要求される。従って、婦人や若い女性は、肌を露わにした慎みを欠く服装では秘蹟を求めたり受けたりすることができない。

 女性は、首まである胸をきちんと隠す服で、頭と腕を覆って御聖体拝領に近づかなければならない。

 このキリスト教的慎ましさの規則と身だしなみの最も基本に従わない人には誰であれ、御聖体を授けられない。

ギウール司教(Msr GIEURE)
バイヨンヌ(フランス)の司教
1920年の四旬節の教書より

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【関連記事】

聖ピオ十世会のバコロド(フィリピン)の教会 無原罪の御宿り

2008年06月21日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 バコロド(フィリピン)の聖ピオ十世会の教会の写真を幾つか紹介します。

バコロド(Bacolod)の「無原罪の御宿り教会」


聖ピオ十世会 バコロドの教会 SSPX at Bacolod, Philippines

聖ピオ十世会 バコロドの教会 SSPX at Bacolod, Philippines

聖ピオ十世会 バコロドの教会 SSPX at Bacolod, Philippines

聖ピオ十世会 バコロドの教会 SSPX at Bacolod, Philippines

聖ピオ十世会 バコロドの教会 SSPX at Bacolod, Philippines


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