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聖ピオ十世会創立者の伝記 12.1.6. 一般の平信徒の使徒職と王たるキリスト

2008年06月19日 | ルフェーブル大司教の伝記
第12章 公会議の嵐に直面して

I. 中央準備委員会委員


一般の平信徒の使徒職と王たるキリスト

 最終会議である第七次準備会議で、ルフェーブル大司教は世俗の事柄に対しても王たるキリストが君臨しなければならないと力強くと主張した。

 6月 18日、信徒使徒職に対して、それが司祭の司祭職に依存することをはっきり断言することを求めた。聖ピオ十世に従って、ルフェーブル大司教はこの従属には、二つの程度があることを区別した。

 第一は一般信者が「司教らの警戒活動の支配を受ける」ものであり「職業と市民社会の聖化」における広義の意味での信徒使徒職である。

 第二は平信徒が「疑う余地もなく、司教の権威、或いは司教らによって任命された司祭たちの権威に、直接的にそのまま依存する」教義の意味での使徒職であり、何故なら、この教義の使徒職はキリストによって司教たちに委ねられた使命そのものでありそれを平信徒が行うからである。
[Acta et documenta de concilio Vaticano II apparando; Polygl. Vat. series II (praeparatoira), vol. II, pars IV, 558 - 559.]

 このように違いを明確に区別した後に、ルフェーブル大司教はそれにもかかわらず現世の領域と霊的な領域を分離することができない、何故なら一方で現世の秩序が超自然的秩序の中に実際に位置づけられているから、また他方で聖職者は現世的事物の管理と所有で排除されることができないからだ、と付け加えた。

 最後に彼は「後で超自然的になることができるようにまず自然の秩序だけを回復しよう」という主張にある誤った原則を告発した。そのような考え方は「本当の使徒職を崩壊させるもの」であるからだった。

 ルフェーブル大司教はこう言った。
私たちの主イエズス・キリストは、同時に自然及び超自然の次元の秩序回復であり、私たちにそのような原則を一度も教えなかった。何故なら私たちの主の聖寵は私たち[の自然の秩序] を癒し、同時に私たちを [超自然の次元に] 高めてくださるからだ。」

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第12章 公会議の嵐に直面して
I. 中央準備委員会委員

聖ピオ十世会総長フェレー司教様「キリスト教的慎み深さの規則」

2008年06月19日 | カトリックとは
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 暑い季節となりましたが、聖ピオ十世会総長フェレー司教様による「キリスト教的慎み深さの規則」をご紹介します。


 今日、多くの人々が、衣服に関してますます慎みを欠いている傾向があることを私たちは見ているので、それに関する道徳原理を幾つか思い起こすことは無益なことではないだろう。

-- 慎みの欠如は罪である。躓きの罪であり、隣人に罪を犯させる。その罪の責任と罰の大部分は、罪の原因となった者に帰せられる。

-- いかなる場合であっても慎みを欠いた服を着ることは許されない。 座った時に膝が隠れない服、或いは、スリット(裂け目)によってまたは透き通っていることにより羞恥心が見せることを許さないもの、つまり膝より上の腿をあらわにする服は、慎み或る服とは言うことができない。体の形をはっきり見せる服については、同じことが、男性用であれ女性用であれ、上着についても言うことができる。

-- 襟のない服や方の露わになる服については、ピオ十一世教皇の教皇代理枢機卿がこう言っていた。「襟の無い服が首下の指二本分以上下がっている場合、また少なくとも肘(ひじ)まで腕を隠さない場合、その服は慎み深いとは言えない。」

-- これらの一般規則に加えて、教会訪問は聖なる場所にふさわしい服装が要求される。

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--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
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