アヴェ・マリア!
愛する兄弟姉妹の皆様、
聖ピオ十世会ドイツ管区ツァイツコーフェン・イエズスの聖心神学校での御聖体行列の写真をご紹介します。
私たちは、唯一の真の天主イエズス・キリストを礼拝し、愛し、賛美することによってのみ、真の平和がやってくると信じています。何故なら、イエズス・キリストこそが平和の君(Priceps Pacis)であり、真の平和とは天主の秩序における安寧であり罪こそが真の平和を乱す最悪ものもであるからです。そして、イエズス・キリストへの従順の内にこそ、罪を避ける聖寵を見出すことが出来るようになるからです。
そのためにこそ、真の平和を希求する私たちは、聖伝のミサ(旧典礼)を大切にし、それによってカトリックの教え(旧教)を守らなければなければなりません。何故なら、「罪と悪魔と悪魔の業とその栄華を放棄し、唯一の真の天主様を礼拝する」という内容のカトリックの聖伝のミサ(旧典礼)には、トリエント公会議をはじめとする、異端を防ごうというカトリック教会の信仰と思いが詰まっているからです。
カトリック教会で昔から言い習わされてきており、つい最近もベネディクト十六世教皇様も確認した通り「祈りの法は信仰の法」であり、典礼を変えると言うことは信仰を変えることに繋がってしまうからです。新しい信仰、新しい宗教へと繋がってしまうからです。旧典礼を変えるというのは絶対あってはならないことです。私たちは旧典礼を守ることによって、使徒継承の旧教を守らなければなりません。旧教を変えるというのは絶対あってはならないことです。
主が家を建てて下さらなければ、家を建てる人の労働も虚しい。
主が町を守って下さらなければ、番人の警備も虚しい。
Nisi Dominus aedificaverit domum, in vanum laborant qui aedificant eam.
Nisi Dominus custodierit civitatem, in vanum vigilat custos
(Psalmus 126)
天主御父は天主御子を私たちのために与え給いました。罪人である私たちを赦すために。私たちを無償で赦すために。天主御子は十字架の上で、私たちを赦すために苦しまれたのです。罪の贖いを成し遂げられました。そしてこの贖いの業は、聖伝のミサにおいて最も忠実に表現されているのです。
聖伝のミサを私たちが自由に執行できるように、私たちの主イエズス・キリストを私たちが自由に跪いて礼拝し、賛美し、感謝することが出来るように、命をかけて守って下さった先祖の司教さまを始めとする多くの方々と、特にルフェーブル大司教様に感謝します。
願わくは、我が愛する祖国日本においても、いつでも聖伝のやりかたによって、御聖体の内に真にましまし給う私たちの主イエズス・キリストを礼拝し、賛美し、愛することができる日が早く来ますように!
願わくは、日本の司教様たちが、世界中に向けてこう宣言して下さいますように!
「世界の本当の平和を築くためには、主が平和を下さるようにしなければなりません。私たちの主イエズス・キリストが私たちに与える平和は、この世が私たちに与える平和とは全く異なるからです。私たちの主イエズス・キリストをこそ、日本にとって本当の友人、真の友人として作るべきなのです。」
「聖伝のミサの改変よりも、むしろ世界の国々がこのミサ聖祭の精神、十字架の犠牲の精神、カトリック信仰を噛みしめるように祈り行動しなければならない。旧典礼は世界の宝」と。
願わくは、全世界において、御聖体の内に真にましまし給う私たちの主イエズス・キリストが礼拝され、賛美され、愛され、慕われ、敬われますように!!
Fronleichnam Priesterseminar Herz Jesu, Zaitzkofen
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私たちは、唯一の真の天主イエズス・キリストを礼拝し、愛し、賛美することによってのみ、真の平和がやってくると信じています。何故なら、イエズス・キリストこそが平和の君(Priceps Pacis)であり、真の平和とは天主の秩序における安寧であり罪こそが真の平和を乱す最悪ものもであるからです。そして、イエズス・キリストへの従順の内にこそ、罪を避ける聖寵を見出すことが出来るようになるからです。
そのためにこそ、真の平和を希求する私たちは、聖伝のミサ(旧典礼)を大切にし、それによってカトリックの教え(旧教)を守らなければなければなりません。何故なら、「罪と悪魔と悪魔の業とその栄華を放棄し、唯一の真の天主様を礼拝する」という内容のカトリックの聖伝のミサ(旧典礼)には、トリエント公会議をはじめとする、異端を防ごうというカトリック教会の信仰と思いが詰まっているからです。
カトリック教会で昔から言い習わされてきており、つい最近もベネディクト十六世教皇様も確認した通り「祈りの法は信仰の法」であり、典礼を変えると言うことは信仰を変えることに繋がってしまうからです。新しい信仰、新しい宗教へと繋がってしまうからです。旧典礼を変えるというのは絶対あってはならないことです。私たちは旧典礼を守ることによって、使徒継承の旧教を守らなければなりません。旧教を変えるというのは絶対あってはならないことです。
主が家を建てて下さらなければ、家を建てる人の労働も虚しい。
主が町を守って下さらなければ、番人の警備も虚しい。
Nisi Dominus aedificaverit domum, in vanum laborant qui aedificant eam.
Nisi Dominus custodierit civitatem, in vanum vigilat custos
(Psalmus 126)
天主御父は天主御子を私たちのために与え給いました。罪人である私たちを赦すために。私たちを無償で赦すために。天主御子は十字架の上で、私たちを赦すために苦しまれたのです。罪の贖いを成し遂げられました。そしてこの贖いの業は、聖伝のミサにおいて最も忠実に表現されているのです。
聖伝のミサを私たちが自由に執行できるように、私たちの主イエズス・キリストを私たちが自由に跪いて礼拝し、賛美し、感謝することが出来るように、命をかけて守って下さった先祖の司教さまを始めとする多くの方々と、特にルフェーブル大司教様に感謝します。
願わくは、我が愛する祖国日本においても、いつでも聖伝のやりかたによって、御聖体の内に真にましまし給う私たちの主イエズス・キリストを礼拝し、賛美し、愛することができる日が早く来ますように!
願わくは、日本の司教様たちが、世界中に向けてこう宣言して下さいますように!
「世界の本当の平和を築くためには、主が平和を下さるようにしなければなりません。私たちの主イエズス・キリストが私たちに与える平和は、この世が私たちに与える平和とは全く異なるからです。私たちの主イエズス・キリストをこそ、日本にとって本当の友人、真の友人として作るべきなのです。」
「聖伝のミサの改変よりも、むしろ世界の国々がこのミサ聖祭の精神、十字架の犠牲の精神、カトリック信仰を噛みしめるように祈り行動しなければならない。旧典礼は世界の宝」と。
願わくは、全世界において、御聖体の内に真にましまし給う私たちの主イエズス・キリストが礼拝され、賛美され、愛され、慕われ、敬われますように!!
Fronleichnam Priesterseminar Herz Jesu, Zaitzkofen
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