アヴェ・マリア!
愛する兄弟の皆様、
もうすぐ、6月30日がやってきます。今年は、ルフェーブル大司教のなした「聖伝生き残り作戦」の20周年です。
今から20年前の1988年当時、バチカンは聖伝が死に絶えるのは時間の問題であると考えていました。何故なら、老ルフェーブル大司教が、あといつまで生きるか、時間の問題だったからです。ルフェーブル大司教がなくなって、聖伝の司祭を叙階する司教がなくなってしまうのは、あとわずかだと思っていたからです。
第二バチカン公会議の新しいエキュメニズムにとって、カトリックの聖伝は邪魔ものでした。ルフェーブル大司教はエキュメニズムのためには、言ってみれば邪魔ものでした。だからこそ、バチカンの作戦は、時間稼ぎでした。
しかし、変わることのない聖伝の生き残りのため、また1986年のアシジの集会にしるしを見たルフェーブル大司教は、4名の司教たちを聖別しました。カトリックの聖伝が生き残りために。聖伝の信仰が生き残るために。聖伝の秘跡が死に絶えることがないように。
第二バチカン公会議後のローマの行動原理は、もはや、全カトリック信仰を勇気をもって主張し肯定することではありませんでした。カトリック信仰よりも、外交と対話でありエキュメニズムでした。外交が悪いのではなく外交だけだったのです。アシジの集会は正にそれを示しています。教皇のシナゴーグ訪問、モスクでの祈り、プロテスタント諸派との合同祈祷会がそれを示しています。そしてこれらエキュメニズムは、既に、過去において、教会が排斥してきたものだったのです。そこで、ルフェーブル大司教はカトリック信仰の声を上げたのです。
ルフェーブル大司教にも、聖ピオ十世会にも、いかなる離教をする意図もありませんでした。ただ単に、禁じられたことがない聖伝のミサ聖祭だけをし続けたかっただけでした。過去排斥されたエキュメニズムを受け入れることができなかっただけでした。
法律が命を守るためにあるように、教会法はカトリック信仰の保全のために存在するのです。霊魂の救いのためにあるのです。ルフェーブル大司教は、教会法の精神に従って、司教を聖別したのです。
その結果は、カトリック教会における聖伝のミサ聖祭の保全と発展でした。例えば、もうすぐ7月で1周年を迎えるモートゥー・プロプリオも、1988年の司教聖別の実りです。(聖伝のミサを守り抜く力が世界中で大きくなりすぎて、無視できなくなったからです。)更に、エクレジア・デイのさまざまな共同体が存在することができて聖伝のミサをすることができるようになったのも、ルフェーブル大司教様の司教聖別のおかげでした。
かつて天主様は、アヴィニョンにいた教皇をローマに連れ戻すために、一人の女性を使ったように、また、フランスに勝利を与えるために少女を送ったように、カトリック聖伝が生き残るために、一人の大司教を私たちに与えてくださったのです。
ルフェーブル大司教様にとって、ただあったのはカトリック聖伝の信仰でした。私たちの主イエズス・キリストが真の天主様であるという真理でした。天主様の助けにより、真理の声が大きくなり、意図せずとも外交と対話のバチカンを動かす結果となったのです。
日本各地で、カトリックの聖伝が、聖伝のミサ聖祭が復活することを私たちは望んでいます。しかし、モートゥー・プロプリオにも関わらずその復活の気配はありません。私たちはどうしたらよいのでしょうか?
ルフェーブル大司教様の「生き残り作戦」を続けることです。つまり、世界中でそうだったように聖ピオ十世会の聖伝のミサ聖祭に与る方々が日本でますます多くなることです。そうなって、ようやく、小教区にも(まずは、おそらく、聖ピオ十世会のミサ聖祭が近くにある小教区に)、聖伝のミサ聖祭が復活し始めるでしょう。世界中でそうだったように、聖ピオ十世会の活動が日本で大きくなればなるほど、日本でも、ますます多くの教会で聖伝が復活することでしょう。
至聖なるイエズスの聖心よ、我らを憐れみ給え!
聖母よ、我らのために祈り給え!
聖パスカレ・バイロン、我らのために祈り給え!
聖ピオ十世、我らのために祈り給え!
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
愛する兄弟の皆様、
もうすぐ、6月30日がやってきます。今年は、ルフェーブル大司教のなした「聖伝生き残り作戦」の20周年です。
今から20年前の1988年当時、バチカンは聖伝が死に絶えるのは時間の問題であると考えていました。何故なら、老ルフェーブル大司教が、あといつまで生きるか、時間の問題だったからです。ルフェーブル大司教がなくなって、聖伝の司祭を叙階する司教がなくなってしまうのは、あとわずかだと思っていたからです。
第二バチカン公会議の新しいエキュメニズムにとって、カトリックの聖伝は邪魔ものでした。ルフェーブル大司教はエキュメニズムのためには、言ってみれば邪魔ものでした。だからこそ、バチカンの作戦は、時間稼ぎでした。
しかし、変わることのない聖伝の生き残りのため、また1986年のアシジの集会にしるしを見たルフェーブル大司教は、4名の司教たちを聖別しました。カトリックの聖伝が生き残りために。聖伝の信仰が生き残るために。聖伝の秘跡が死に絶えることがないように。
第二バチカン公会議後のローマの行動原理は、もはや、全カトリック信仰を勇気をもって主張し肯定することではありませんでした。カトリック信仰よりも、外交と対話でありエキュメニズムでした。外交が悪いのではなく外交だけだったのです。アシジの集会は正にそれを示しています。教皇のシナゴーグ訪問、モスクでの祈り、プロテスタント諸派との合同祈祷会がそれを示しています。そしてこれらエキュメニズムは、既に、過去において、教会が排斥してきたものだったのです。そこで、ルフェーブル大司教はカトリック信仰の声を上げたのです。
ルフェーブル大司教にも、聖ピオ十世会にも、いかなる離教をする意図もありませんでした。ただ単に、禁じられたことがない聖伝のミサ聖祭だけをし続けたかっただけでした。過去排斥されたエキュメニズムを受け入れることができなかっただけでした。
法律が命を守るためにあるように、教会法はカトリック信仰の保全のために存在するのです。霊魂の救いのためにあるのです。ルフェーブル大司教は、教会法の精神に従って、司教を聖別したのです。
その結果は、カトリック教会における聖伝のミサ聖祭の保全と発展でした。例えば、もうすぐ7月で1周年を迎えるモートゥー・プロプリオも、1988年の司教聖別の実りです。(聖伝のミサを守り抜く力が世界中で大きくなりすぎて、無視できなくなったからです。)更に、エクレジア・デイのさまざまな共同体が存在することができて聖伝のミサをすることができるようになったのも、ルフェーブル大司教様の司教聖別のおかげでした。
かつて天主様は、アヴィニョンにいた教皇をローマに連れ戻すために、一人の女性を使ったように、また、フランスに勝利を与えるために少女を送ったように、カトリック聖伝が生き残るために、一人の大司教を私たちに与えてくださったのです。
ルフェーブル大司教様にとって、ただあったのはカトリック聖伝の信仰でした。私たちの主イエズス・キリストが真の天主様であるという真理でした。天主様の助けにより、真理の声が大きくなり、意図せずとも外交と対話のバチカンを動かす結果となったのです。
日本各地で、カトリックの聖伝が、聖伝のミサ聖祭が復活することを私たちは望んでいます。しかし、モートゥー・プロプリオにも関わらずその復活の気配はありません。私たちはどうしたらよいのでしょうか?
ルフェーブル大司教様の「生き残り作戦」を続けることです。つまり、世界中でそうだったように聖ピオ十世会の聖伝のミサ聖祭に与る方々が日本でますます多くなることです。そうなって、ようやく、小教区にも(まずは、おそらく、聖ピオ十世会のミサ聖祭が近くにある小教区に)、聖伝のミサ聖祭が復活し始めるでしょう。世界中でそうだったように、聖ピオ十世会の活動が日本で大きくなればなるほど、日本でも、ますます多くの教会で聖伝が復活することでしょう。
至聖なるイエズスの聖心よ、我らを憐れみ給え!
聖母よ、我らのために祈り給え!
聖パスカレ・バイロン、我らのために祈り給え!
聖ピオ十世、我らのために祈り給え!
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)