I. 中央準備委員会委員
グレゴリオ聖歌及びローマの聖伝ラテン語ミサの保護者
1962年 3月-4月の会議では、典礼に関する主題が討議された。 ララオナ枢機卿は、その前任者である故 ガエタノ・チコニャーニ (Gaetano Cicognani) 枢機卿が署名したブニーニ神父の概要を、皆に紹介した。
それは聖週間典礼の改革においてアントネリ (Antonelli) 神父とブニーニ神父によって既に使われた革新的な原則の路線に従った、典礼全体を体系的に改革 (instauratio) するための詳細計画だった。それは「革新の新しいパン種という圧力の流行に押されて」[Annibale Bugnini, La Riforma Liturgica, CLV, Roma, 1997, p26]、典礼法規 (Code des rubriques)の 1960年改訂版を覆した。
自由主義教父たちは、ドプフナーが言ったように、「私たちの中央委員会に今まで提出された全ての概要の中で、最も註目するに値するものの一つであるとされなければならない」概要であると、互いに先を争って誉め讃えた。他方で、オッタヴィアーニは「過度な革新に大きく門を開きすぎる、或いは少なくとも革新をしたくてうずうずしている欲望を助長する精神」をこの概要において告発した。
ルフェーブル大司教は、彼なりに「ここにおいては、秘跡の観点と聖化の観点があまりにも強調されており、祈りという観点は充分に強調されていないが故に、典礼の定義として不完全に見える。ところが、典礼において最も根本的な観点は、天主に対する礼拝、つまり宗教行為である」と告発した。
次に、ルフェーブル大司教はミサにおける読書の数をふやすことと自国語使用を拡張することに反対した。(「きわめて美しいグレゴリオ聖歌のメロディーは、何が残るだろうか? [何も残らなくなってしまう!]) そして突然の人為的改革という計画と発想とを持った者等を攻撃した。
「確かに、教会位階だけが典礼において何かを変えることができると言われていることは言われている。...しかし...私たちは体験を通して、変化を要求する者らは司教たちではなく、典礼で何やら変えること以外には何もしない典礼司牧委員会に属した司祭たちであることをよく知っている!」
「私たちは『聖伝を保持』しなければならないことを決して忘れてはならない。変化を加えるということは、極めて慎重にして始めて許容されなければならない。聖伝とは、終始一貫した長き時代の教会の業績以外の何ものでもない。全般的に、この業績は幾多の世代が努力して得た結果だ。」
[Acta et documenta de concilio Vaticano II apparando; Polygl. Vat. series II (praeparatoira), vol. II, pars III, 71, 76, 98 - 99.]
大司教の洞察力は感歎を催す。発議された改革は、本質的なこと--天主への礼拝--を捨て去り、聖伝の業績を軽蔑するものであるが故に、反-典礼的だった。
3月 27日、ブニーニ神父の臨席のもと、かわいそうなララオナ枢機卿が教父たちにミサの通常文の改革計画を説明した。[ララオナ枢機卿のこの改革への抵抗については、Annibale Bugnini, La Riforma Liturgica, CLV, Roma, 1997, p41]
レルカノ(Lercaro)、ドプフナー、その他の教父たちは、幸福そうにこの概要を承認した一方、「ローマ派」の枢機卿たちは反撃した。ゴッドフレ (Godfrey) 枢機卿は本文を分析して、何種類かの詭弁に異意を申し立てた。更に提案された典礼文の削除や修正を次々に拒否した。
オッタヴィアーニは、巨大な不可 (non placet) の一喝をした。
「キリスト教の民に驚愕を引き起こすであろう革命的な改革と見えるほどに変化の塊でしかない。」
ブラウンは「人間の聖化...は宗教の徳による最高の行為である奉献、或いはいけにえという行為の行為それ自体によって、ミサにおいて成り立っている。革新者たちはこの真理を忘れ、その代わり天主の御言葉を聞くこと、そして晩餐の挙行を強調した。」と、信仰の原理を述べた。[ここで革新者たちといわれたのは、プロテスタントのことである。しかしブラウン枢機卿は間接的に典礼委員会と、特に、ミサ改革の下部委員会の報告者であったヨゼフ・ユングマン教授を暗示させていた。]
ポール・フィリップ神父は、ピオ十二世が提示した教理に照らして見ると分かる通り共同司式がミサの時に司祭であるキリストと同化された司祭の唯一の聖職位階的役目を毀損すると説明した。更に、共同司式は生けるものと死せるもののために捧げられる贖いと嘆願というミサの効果を減少させてしまう、何故なら「多くの司祭が多くのミサを捧げるときの効果と、一つのミサを共同で捧げるときの効果とは同じではない」からだ、と指摘した。
投票する時には、ルフェーブル大司教はこう言った。
「ゴッドフレ枢機卿、オッタヴィアーニ枢機卿、ブラウン枢機卿及びフィリップ神父の見解に従って、条件付き賛成 (Placet juxta modum)。」
[条件付き賛成 (Placet juxta modum) とは、提示された文書に修正を加えることを条件に賛成するということ。Acta et documenta de concilio Vaticano II apparando; Polygl. Vat. series II (praeparatoira), vol. II, pars III, 121, 125, 126, 128, 142.]
これは、求道者のミサ (ミサの前半部) の改訂には「賛成」だが、革命には「反対」ということだった。改訂のための委員会は、教皇の権威に基づいて仕事をしなければならない、とルフェーブル大司教は要求した。しかし、「一度変更が成り立っても、しばらくはそのままでいるように。何故なら、絶え間ない変化が続くと、司祭たちの間でも信者たちの間でも、教会の典礼様式の尊厳性と価値に対する尊敬心を弱化させるからだ。」
1962年 3月 30日、ルフェーブル大司教はアガジャニアン枢機卿の概要によって、提案された宣教対象国たちのための典礼の革新に反対した。彼はその革新は「特にプロテスタントの分裂を反映している多くのプロテスタントの儀式を前にして、宣教地の私たちの信者たちには信仰に有益な非常に力強い論拠である」典礼様式及び典礼言語の単一性を破壊すると言った。
ルフェーブル大司教は二つの事実によってこの真理を例証した。
「宣教聖省が、荘厳ミサの聖歌すなわちキリエ (Kyrie)、グロリア (Gloria)、クレド (Credo) その他を自国語に翻訳する許可を私たちに与えたとき、すべての司祭たち及び特に現地人司祭たちはこの翻訳を全く益のないことだと強烈に一蹴したが、何故なら彼らと彼らの信者たちはこれらの聖歌を完璧によく知っていたし、ラテン語が信仰の単一性を表示する印であることを理解していたからだ。」
「ダカールの汎アフリカ大会 (Congres panafricain de Dakar) のため政府の大統領たち -- セネガルのセンゴール(Léopold Sédar Senghor、セネガル共和国初代大統領(1960年9月6日 - 1980年12月31日)、マダガスカルのツィラナナ (Tsiranana)、ダホメイのマガ (Maga) 及びオート・ボルタから来たヤメオゴ (Yameogo) -- は、この荘厳ミサに参加して司教座聖堂に一堂に集まったが、彼らは声をそろえて大きな声で階段唱 (Graduale) をはじめとし全てのラテン語聖歌を歌っていた。ミサの後で、彼らは私たちにこの一致によって自分たちがどれ程嬉しいかを明らかに言ってくれた。」
「臨席のすべてのカトリック信者たちを前にして、祈りと礼拝におけるどれ程大いなる一致と兄弟愛との模範であることであろうか!」
「典礼に関すること及び秘跡の典礼様式に関することを司教評議会が働きかけ法規を制定することができる、という原則を受け入れてしまうと、たとえ教皇の承認をもってはじめてそうなるとしても、民族的典礼と国民典礼様式というものに回帰してしまうだろう。典礼の一致のための過去の二世紀のすべての努力が無駄になってしまうだろう。芸術とグレゴリオ音楽は没落するだろう。... 無秩序状態になる危険がある。」
[Acta et documenta de concilio Vaticano II apparando; Polygl. Vat. series II (praeparatoira), vol. II, pars III, 384 385.]
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第12章 公会議の嵐に直面して
I. 中央準備委員会委員