昨日は節分。近くの神社が豆まきをするとかでにぎわっていた。
前を通りかかると、いくつか屋台が並び、その中に忘れもしない顔があった。
久しぶりにみたOの父ちゃんだった。
もう10年以上前になるだるうか?家も息子は近所の公立の小学校に進学していた。幼稚園も近所だったが、そこは小さいながらもしっかりした方針のキリスト教系の幼稚園で、バス無し、給食無し、延長保育無し、ついでに余計な早期知能教育も無しで 親の手はかかるけど、結構子供を丁寧に育てる親たちが集まっていて、そこで知り合った親子とも信頼できるし、気も合う友人に恵まれた。その仲間とは今でも親子で付き合いが続いている。
で、その延長にあると思って、地元の公立に進ませたわけだけど、これが結構問題の小学校だった。色んな子がいて、色んな親がいた。幼稚園は立地上とか、歴史とか考えると温室だったんだな~と 一年の初頭からイヤというほど思い知らされた。今思うと、まあ親子とも揉まれ、たくましくならざるを得なかったってことでよかったなとも思う(。ただ女の子にその轍は踏ませたくなかったので娘は私立に避難させたけど・・・)
で、息子も私も地元の小学校に慣れてきた、彼の3年生の秋のことである。
その夏、息子の通学路の途中に一軒の建売住宅が建った。まだバブルは弾けたとはいえ、今よりも住宅が高価だった時代、その8000万くらいの物件、どんな人が引越してくるんだろう?と思っていたのだけど。一階がガレージになっている所には何故かキッチンのような調度やガスボンベが何本も入っていた。それに たこ焼きとか焼きそばとかというのぼりも何本か。あまり広いとはいえない道にO興業と書かれたトラックも止まる様も見られるようになった。
「へ~ テキ屋さんか」と思った。テキ屋さんって結構お金があるって大学の授業でならったし(どんな授業だ)その時はなんとも思わなかった。
そうしてそこの家の長男(姉、弟の下の子)が息子のクラスに転校してきた。
その時も別になんとも思わなかった。
で、その秋の事、土曜日の夜だった。当時夫は今よりも忙しく、土日もなく職場に詰めている状態で家はかなりの母子家庭だった。その夜も夫はいなかったがもう10時過ぎ、子供たちは寝ていたし、私もお風呂から出て、そろそろ寝ようかなと思っていた時間だった。
電話がなった。
「Oの親だけど ××さんかい」と最初から居丈高な声のOのオヤジだった。
私は心当たりがなく、びっくりしたが、確か
「OO君のお父様ですか?はじめまして、なにかご用でしょうか?」と答えたと思う。
「ご主人はいるかい」とオヤジ
「主人は今日仕事で帰ってこないと思います。私がうけたまわりますが」と局
オヤジ 舌打ち
「お宅の息子がなあ 今日 家のO大に怪我をさせたんで そこんところ聞きたいと思って電話したんだけど、奥さんは知らないんか」
と最初から喧嘩越しのオヤジ。さすがにあせった私は寝ていた息子を起こしOのお父さんからO大君があなたから怪我をさせられたって言って電話してきているけど、覚えはあるか聞いた。息子は寝ぼけながらも ??状態 まるで覚えがないと言う。
身びいきで言うわけじゃないが、確かに彼はやんちゃで悪いこともしていたと思うが(苦笑)やったことをやらないと言い張るタイプじゃないし、どうせ検証すればわかるようなウソをつこうとするほどアホじゃなかったと思う。
様子を見て 多分これは誤解だなと私は確信した。
「申し訳ないんですが、うちの子は覚えがないと言っております。何か誤解があるのではないでしょうか?」と言ったら 烈火のごとく怒り出すオヤジ
「それじゃ あんたは家のO大がウソ言ったって言うんかい? お宅の息子がやったって家の息子は言ったんだよ」
私は頭に血が上りつつも極力レイセイであろうと努めた。
そして、水掛け論になりそうだったので、こちらから息子と二人で出向くことにした。
もう、寝る体勢だったが 本能的に私はしっかり化粧をして娘の学校用のお出かけスーツに着替えた。戦闘服のつもりだった。ここで女だと思って馬鹿にされちゃいけないぜ と言う身構えだったと思う。息子にも着替えさせ、当時小学校1年だった娘一人残して、Oの家に乗り込んだのである。
初めて訪れるOの家。チャイムを鳴らしたら、フィリピン系のお母さんがドアを開けてくれた。今まで挨拶はしたことはあるが話すのは初めてである。いつもはひかえめながらニコニコしている彼女の表情は硬かった。
玄関には タイマイの甲羅が飾られ、デコラティブな服を着せられた太ったチワワが出てきてワンワンほえた。
内心「すげ~ これがテキ屋の自宅か らしい!らしすぎる!」と思ったが 結構びびっていたことは否めない。
リビング兼応接間に通された。洋間だったが 床の間のようなところがあり、何かテキ屋関係の権利書(?)の入った賞状のようなものが飾られ、おまけに日本刀も飾られていた。(らしい、らしすぎる・・・・・)
そして 「あなた」とちょっとアクセントが違う日本語で呼ばれて二階から下りて来たOのオヤジ。私はその時オヤジとは初対面だったが、絵に書いたようなテキ屋であった。かなりきつめのパンチパーマ。はでなゴルフシャツ、おまけに袖口からは皮膚にお絵かきがのぞいているではないか・・・・
ひえ~~~~~
私は夫や実家の親にも告げず 単身(息子つきだが)乗り込んだことに後悔したわね。
長くなったので明日続き書きます。
前を通りかかると、いくつか屋台が並び、その中に忘れもしない顔があった。
久しぶりにみたOの父ちゃんだった。
もう10年以上前になるだるうか?家も息子は近所の公立の小学校に進学していた。幼稚園も近所だったが、そこは小さいながらもしっかりした方針のキリスト教系の幼稚園で、バス無し、給食無し、延長保育無し、ついでに余計な早期知能教育も無しで 親の手はかかるけど、結構子供を丁寧に育てる親たちが集まっていて、そこで知り合った親子とも信頼できるし、気も合う友人に恵まれた。その仲間とは今でも親子で付き合いが続いている。
で、その延長にあると思って、地元の公立に進ませたわけだけど、これが結構問題の小学校だった。色んな子がいて、色んな親がいた。幼稚園は立地上とか、歴史とか考えると温室だったんだな~と 一年の初頭からイヤというほど思い知らされた。今思うと、まあ親子とも揉まれ、たくましくならざるを得なかったってことでよかったなとも思う(。ただ女の子にその轍は踏ませたくなかったので娘は私立に避難させたけど・・・)
で、息子も私も地元の小学校に慣れてきた、彼の3年生の秋のことである。
その夏、息子の通学路の途中に一軒の建売住宅が建った。まだバブルは弾けたとはいえ、今よりも住宅が高価だった時代、その8000万くらいの物件、どんな人が引越してくるんだろう?と思っていたのだけど。一階がガレージになっている所には何故かキッチンのような調度やガスボンベが何本も入っていた。それに たこ焼きとか焼きそばとかというのぼりも何本か。あまり広いとはいえない道にO興業と書かれたトラックも止まる様も見られるようになった。
「へ~ テキ屋さんか」と思った。テキ屋さんって結構お金があるって大学の授業でならったし(どんな授業だ)その時はなんとも思わなかった。
そうしてそこの家の長男(姉、弟の下の子)が息子のクラスに転校してきた。
その時も別になんとも思わなかった。
で、その秋の事、土曜日の夜だった。当時夫は今よりも忙しく、土日もなく職場に詰めている状態で家はかなりの母子家庭だった。その夜も夫はいなかったがもう10時過ぎ、子供たちは寝ていたし、私もお風呂から出て、そろそろ寝ようかなと思っていた時間だった。
電話がなった。
「Oの親だけど ××さんかい」と最初から居丈高な声のOのオヤジだった。
私は心当たりがなく、びっくりしたが、確か
「OO君のお父様ですか?はじめまして、なにかご用でしょうか?」と答えたと思う。
「ご主人はいるかい」とオヤジ
「主人は今日仕事で帰ってこないと思います。私がうけたまわりますが」と局
オヤジ 舌打ち
「お宅の息子がなあ 今日 家のO大に怪我をさせたんで そこんところ聞きたいと思って電話したんだけど、奥さんは知らないんか」
と最初から喧嘩越しのオヤジ。さすがにあせった私は寝ていた息子を起こしOのお父さんからO大君があなたから怪我をさせられたって言って電話してきているけど、覚えはあるか聞いた。息子は寝ぼけながらも ??状態 まるで覚えがないと言う。
身びいきで言うわけじゃないが、確かに彼はやんちゃで悪いこともしていたと思うが(苦笑)やったことをやらないと言い張るタイプじゃないし、どうせ検証すればわかるようなウソをつこうとするほどアホじゃなかったと思う。
様子を見て 多分これは誤解だなと私は確信した。
「申し訳ないんですが、うちの子は覚えがないと言っております。何か誤解があるのではないでしょうか?」と言ったら 烈火のごとく怒り出すオヤジ
「それじゃ あんたは家のO大がウソ言ったって言うんかい? お宅の息子がやったって家の息子は言ったんだよ」
私は頭に血が上りつつも極力レイセイであろうと努めた。
そして、水掛け論になりそうだったので、こちらから息子と二人で出向くことにした。
もう、寝る体勢だったが 本能的に私はしっかり化粧をして娘の学校用のお出かけスーツに着替えた。戦闘服のつもりだった。ここで女だと思って馬鹿にされちゃいけないぜ と言う身構えだったと思う。息子にも着替えさせ、当時小学校1年だった娘一人残して、Oの家に乗り込んだのである。
初めて訪れるOの家。チャイムを鳴らしたら、フィリピン系のお母さんがドアを開けてくれた。今まで挨拶はしたことはあるが話すのは初めてである。いつもはひかえめながらニコニコしている彼女の表情は硬かった。
玄関には タイマイの甲羅が飾られ、デコラティブな服を着せられた太ったチワワが出てきてワンワンほえた。
内心「すげ~ これがテキ屋の自宅か らしい!らしすぎる!」と思ったが 結構びびっていたことは否めない。
リビング兼応接間に通された。洋間だったが 床の間のようなところがあり、何かテキ屋関係の権利書(?)の入った賞状のようなものが飾られ、おまけに日本刀も飾られていた。(らしい、らしすぎる・・・・・)
そして 「あなた」とちょっとアクセントが違う日本語で呼ばれて二階から下りて来たOのオヤジ。私はその時オヤジとは初対面だったが、絵に書いたようなテキ屋であった。かなりきつめのパンチパーマ。はでなゴルフシャツ、おまけに袖口からは皮膚にお絵かきがのぞいているではないか・・・・
ひえ~~~~~
私は夫や実家の親にも告げず 単身(息子つきだが)乗り込んだことに後悔したわね。
長くなったので明日続き書きます。