局の道楽日記

食道楽、着道楽、読書道楽  etc
生活色々を楽しんで暮らしている日々の記録です

男友達~ダメンズA

2007-07-10 22:40:25 | 記憶の箱
先日女友達について書いたのでついでに。

私には大学以来、兄と位置づけられる三人の男友達がいる。高校の親友R子の兄Aとその友達TとNである。親元を離れて進学で東京に出てきた私に Rが兄と一緒に暮らしていた東急沿線のアパートはほっとする場所であり、週末になるとお邪魔して一緒にご飯を作ったり泊らせてもらったりで、その兄Aの親友たちもしょっちゅう来ていたので、お互い同郷の大学生同士。仲良くなるのに時間はかからなかった。
ただ、帰郷したときもお互いの実家に行き来していたため、親同士 兄弟同士も仲良くなったにもかかわらず、なぜか一組もカップルが成立しなかったのはどうしてだろう?(笑)
まあお互い、別のところにつきあっている異性はいたし、あまりに親しくなりすぎて、裏も見すぎてて そういう感情が芽生える環境になかったのかもしれない。酔っ払って同じ部屋に寝ても安全、Nとは一緒に関西の親戚の家に旅行に行ったくらいである。それを私の比較的厳しかった両親も知っているし、夫も知っている。だけどそれが許されるような、ちょっと世間からみると変な関係がもう四半世紀続いているのである。
ちなみにNは私の結婚式の二次会もプロデュースしてくれたし、TとNの結婚式には私も参列して彼らの妻たちとも仲良し、っていうかTの妻は私が紹介した妹分の昼行灯女Yである。(2006年11月17日ブログ参照)

で、書きたいのはその中の友人の兄Aのこと。
彼は世間一般では人気のある四谷の大学の経済学部生だった。ただ、Aの兄は現役で国立医に入り、現在教授、妹も現役で三田の大学と優秀な上下に挟まれて微妙な立場にあり、今思うと一浪したAは結構屈折していたのかもしれない。
だけど、その当時のAはそりゃあ面白かった。陽気で目立ちたがりや、飲み会など遊びの企画は随一で、行動力があり(緻密さはなかったが)一緒にいるとまず飽きないヤツだった。酔っ払っての毒舌は聞いていて涙が出るほどおかしくて、今の私の毒舌は彼の影響もかなりあるんじゃないかと思われる。
ただ、結構はた迷惑なヤツで、妹と一緒の家計として毎月少なくはない仕送りがあったにもかかわらず、飲んだり、女の子におごったり、フェンダーのギターやらトニーラマのブーツやら(時代を感じるなあ)を生活費から勝手に買って、妹の分の定期代も使い込んで、私の友達はいつも真剣に迷惑がっていた。その後妹は塾の講師と家庭教師のバイトをして自分の生活費は工面するようになったが、Aはいよいよお金に困ると部屋にたまった一升瓶とコーラの瓶を酒屋に持っていって売って学校に行く交通費を捻出していた(笑)

それに自分の大学の定期試験の時はカンニングに命をかけて、一、二年で落としたドイツ語をクリアするために 同じドイツ語選択の妹と私を召集して徹夜でカンニングペーパーを作らせた。小さい紙にドイツ語の定冠詞なんか書き込みながら 「Aちゃん、こんな時間があるならマジメに勉強したほうが早いんじゃないの?」とは言ってはみたものの・・・ 結局卒業時にもドイツ語の単位はとれなかったらしく、就職がチャラになってしまうからと母親と一緒に担任の神父さまのところに行って拝み倒してやっと卒業できたんだとその後心底呆れたと言った口調で妹に教えてもらった。

で、彼は卒業後、誰もが知っている国民的某メーカーに就職が決まった。成績はともかく、口と自己PRがうまいのである。そしてすぐ、相手の親に反対されてすったもんだのあげく駆け落ち騒ぎまで起こして 地方の旧家の娘の現嫁と結婚した。(この嫁だけは私は苦手で、向こうも私が嫌いみたいである。って言うか警戒されてるみたいである。Aちゃんを知り尽くした上で浮気するほど物好きじゃないっちゅうに)
で、最初は広報部に配属されて最初は華々しく働いていたようだけど、(その当時業界風吹かせてそりゃあウザかったもんである)大企業だけど安月給で有名なその会社は10年くらいで辞めてしまった。
それから 転職した外資系の大企業に何年か勤めたけど上司とうまくいかずに契約を切られ、その後今はなき大手の結婚相手紹介の会社の広報(つぶれたのはAのせい?)その後は1年失業した後、小さな広告代理店に契約社員として就職したらしい。
言っちゃ悪いがかなりの転落ドラマである。
それだけではなく、彼は何年かおきに女性関係で揉め事を起こしてきた。それが、フィリピンパブとかロシア人パブとかお仕事関係の女性のうちはまだ良かったが(それにしても脇が甘いから嫁にばれてその度修羅場になったらしい)一番すごかったのは結婚相談所の部下の独身社員と不倫、それで一年間家出して彼女と暮らしたのである。もう10年くらい前、子供も中学か高校で一番多感な年頃だったにもかかわらずである。ただ嫁もさるもの、実家の知り合いの弁護士に相談して、浮気相手の彼女を訴える代わりにAの給料の9割を押さえると言った同意書を作らせ兵糧攻めにしたのである。
不倫がばれて職場を首になった彼女は結局お金もない中年男を却って養うハメになってスナックかなんかに勤めだしたらしい。ホントに踏んだりけったりだっただろう。その家出期間中、やはり子供もいるんだしってことで両方の親が出てきて話し合いの場を持ったり、色々なことがあったらしい。Aの嫁に泣かれてTやNがAの留守宅に駆けつけたり、両家の話し合いの場に同席させられたり、A以外の兄たちも巻き込まれて大変な騒ぎだったと二人から聞かされていたし、夜お留守番でヒマだったAは酔っ払いながら当時携帯はなかったのでよく家電に電話してきた。
相変わらずバカな話ばっかりして、人を笑わせてくれたけど 「Aちゃん、このままじゃすまないよ どうするつもり?」なんて聞くと 「まあ 局まで責めるなよ~ 俺もどうしていいかわかんないんだからさ~」と言いながらまたバカな冗談を言い始め、いい加減うんざりした私が 「もう切るからね」と言っても「もうちょっと話そうぜ、あと一杯飲む間だけ~」と粘られ、1時間以上も長電話に付き合わされたもんだった。かなり寂しがり屋なのだ、ヤツは。

でもこの騒ぎの後、なぜかAは家庭に帰った。
どういった経緯なのかは TとNも妹もよく知らないらしい(彼女に愛想つかされたんだろうって説が有力)まあ子供もいることだし、親たちはほっとしたらしいけど、絶対家族には傷として残ったと思う。子供たちは物心ついていたっていうか、多感な年頃だったんだから。
その後勤めていた会社はつぶれて失業した後に就職して今に至っているのだけど。
今は完全におこづかいやカード、帰宅時間など嫁の管理下にある状態らしい(当たり前と言えば当たり前である)つい最近まで携帯も持たせてもらえなかった可愛そうな境遇だったらしい。

まあ、ね。こんなこと陰で書いちゃって申し訳ないが、だらしなくって情けなくってしょうもないA。客観視すれば女性の敵でもあるのだけど、なぜか憎めなくてもはや四半世紀のつきあいとなっている。
寅さん映画で おっちゃんが 「またか 寅のやつ」と吐きすて、おばちゃんが「寅ちゃんたらしょうがないねえ」とエプロンで涙をぬぐうそんな光景。Aにはそれと同じような匂いがまつわる(じゃ 私はさくらか 笑)

で、長々書いたがあさってTの企画で久しぶりに三人の兄と 昼行灯と私と 五人で飲み会予定です。
それに至ったのも色々裏話があり、昼行灯と私はTとNからのA情報をメールで交換しながらで抱腹絶倒してしまったのである。

長くなったので、その経緯と飲み会報告は木曜日以降に♪
コメント (4)
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