久しぶりに暇な日曜日だった昨日。
娘は出かけたあと オットと二人でのんびりとしたブランチを食べてTVでサンジャポなどを見るともなしに眺めていた。
しょっぱなのニュースが A☆B48の総選挙wの話題。
政権も代わり管総理の所信演説、亀の辞任 口蹄疫の拡大ニュースをも押しのけて一番先に取り上げられた話題・・・
別に日本は平和だとか危機感がないとか今更文句言うつもりもない。
しかし、今まで名前は知っていたけどまるで興味はなく 踊っている同じ年頃の少女たちの顔の区別もつかずにいた私が曲がりなりにも この前まで一位だったのがM田あっちゃん 次の子が今度は逆転して一位になったなど知ってしまったということからも ある種のメディアの力ってもんは恐ろしいもんだなと妙に感心してしまった。
ちなみに 一位、二位の子は第一印象としては なんだか「したたか」って感じが先行して見えて、私は4位のI野って子の顔が好みだと思った。(別にそれはどうでもいいんですが)
一位から転落した子 二位から逆転した子の 二人の決定した瞬間の映像、口惜しさと嬉しさに泣く少女の映像。それをプロデュースするA元氏の映像・・・
流された映像を見て 気がつくと眉間にシワが寄っていたのを感じた私・・・
ついついため息をついた瞬間に オットがつぶやいた。
「女工哀史みたいだな・・・」
話を変えるつもりはありませんが、オットと夫婦でよかったなって思う瞬間は 「嫌いなものが共通している」と言うことである。
別に好きなもの 熱中しているものは共通しなくてもかまわない。共通しているにこしたことはないかもしれないが、好きなことが別々という事は 「こういう事が対象でも人生熱中できるんだ」という新しい発見。視野も広くなるというメリットにもなりうる。
しかし 自分が嫌だと思う事柄について一方が「いいね~」なんて言って感動された日には イライラが募るってもんじゃありませんか?
と 話を戻すが 「女工哀史」の一言でオットが私と同じような感慨をもったことを感じてホッとしたのである。
女工哀史と言えば代表的なノンフィクションの作品はこれよね ☆クリック
抜粋いたしますと
13のとき、岡谷の山共製糸というとこへ7年契約で入ってな。姉4人といっしょで、姉はみんな百円工女やったもんで、オリ(私)も負けんように働いたもんやさ。みんなで稼いだ銭で、ツォッツァマ(お父さん)は毎年田んぼを買いなたと思うんやさ。たしか、あのころ1反(10アール)で100円か 150円くらいやと思うけどな」(明治24年生)
「岡谷の大和製糸へ14のときから8年の間、野麦峠を越えて通ったんやぜな。入ったときゃ10円、2年目は25円、3年目には45円、8年目にはたしか95円もらったと思うけどな。そのほかに、賞与として1円、2円、3円、5円などを毎年ちょっとずつもらったんやさ」(明治31年生)
以上の話しでもわかるように、1年間働いて100円もらえる人は優秀な人で、だれでも1日も早く100円工女になれることを願っていました。
こうした涙ぐましい女工達の働きによって、国は生糸の輸出を増やし、娘を出した農家では、現金収入を得ることができたのです。(参照 郷土古川より)
女工哀史は粗悪な食事、長時間労働、低賃金が定説になっているが、飛騨関係の工女は食事が悪かった・低賃金だったと答えたものはいなかった。長時間労働についても苦しかったと答えたのはわずか3%だけで、後の大部分は「それでも家の仕事より楽だった」と答えている。それもそのはず、家にいたらもっと長時間、重労働をしなければ食っていけなかった。
(ああ野麦峠より)
もちろんAK☆のメンバーたちは好きでやってる人が大半だろうし、自分で稼いで親の暮らしを助けようとか、まして口減らしなんていう動機ではないのでしょうが。
しかし、この時代のいたいけな少女たちの働きを 富国強兵という目的で軍備のために吸い上げていた明治政府の力。
それと同じようにA☆Kで一生懸命活動する少女たちのウラで働くなんらかの力を感じて 私とオットは 女工哀史を連想したんだと思う。
確かに生きている以上競争はあるのは当然、舞台芸術の世界だって上手で衆目を集める人が主役を務めるのは当然ではある。
むしろ伝統芸能の世襲で固めた世界よりはこうやってファン投票で立ち居地が決まるというのは公平なことかもしれないけどさ。
でもなんとなく この総選挙というシステムと異様にしつこいメディア報道にもやもや感とか後味の悪さを感じるのは私だけ? 単に私がプロデューサー氏が嫌いなだけかもしれないけど。
参考までに
映画にもなったけど (初々しい 大竹しのぶ 原田美恵子 小手川祐子さんたちが演じていてこれも面白かった)この本は日本の近代化の陰に犠牲になった少女たちの埋もれていた記録を掘り起こしたって意味からも偉大なノンフィクションだと思います。
娘は出かけたあと オットと二人でのんびりとしたブランチを食べてTVでサンジャポなどを見るともなしに眺めていた。
しょっぱなのニュースが A☆B48の総選挙wの話題。
政権も代わり管総理の所信演説、亀の辞任 口蹄疫の拡大ニュースをも押しのけて一番先に取り上げられた話題・・・
別に日本は平和だとか危機感がないとか今更文句言うつもりもない。
しかし、今まで名前は知っていたけどまるで興味はなく 踊っている同じ年頃の少女たちの顔の区別もつかずにいた私が曲がりなりにも この前まで一位だったのがM田あっちゃん 次の子が今度は逆転して一位になったなど知ってしまったということからも ある種のメディアの力ってもんは恐ろしいもんだなと妙に感心してしまった。
ちなみに 一位、二位の子は第一印象としては なんだか「したたか」って感じが先行して見えて、私は4位のI野って子の顔が好みだと思った。(別にそれはどうでもいいんですが)
一位から転落した子 二位から逆転した子の 二人の決定した瞬間の映像、口惜しさと嬉しさに泣く少女の映像。それをプロデュースするA元氏の映像・・・
流された映像を見て 気がつくと眉間にシワが寄っていたのを感じた私・・・
ついついため息をついた瞬間に オットがつぶやいた。
「女工哀史みたいだな・・・」
話を変えるつもりはありませんが、オットと夫婦でよかったなって思う瞬間は 「嫌いなものが共通している」と言うことである。
別に好きなもの 熱中しているものは共通しなくてもかまわない。共通しているにこしたことはないかもしれないが、好きなことが別々という事は 「こういう事が対象でも人生熱中できるんだ」という新しい発見。視野も広くなるというメリットにもなりうる。
しかし 自分が嫌だと思う事柄について一方が「いいね~」なんて言って感動された日には イライラが募るってもんじゃありませんか?
と 話を戻すが 「女工哀史」の一言でオットが私と同じような感慨をもったことを感じてホッとしたのである。
女工哀史と言えば代表的なノンフィクションの作品はこれよね ☆クリック
抜粋いたしますと
13のとき、岡谷の山共製糸というとこへ7年契約で入ってな。姉4人といっしょで、姉はみんな百円工女やったもんで、オリ(私)も負けんように働いたもんやさ。みんなで稼いだ銭で、ツォッツァマ(お父さん)は毎年田んぼを買いなたと思うんやさ。たしか、あのころ1反(10アール)で100円か 150円くらいやと思うけどな」(明治24年生)
「岡谷の大和製糸へ14のときから8年の間、野麦峠を越えて通ったんやぜな。入ったときゃ10円、2年目は25円、3年目には45円、8年目にはたしか95円もらったと思うけどな。そのほかに、賞与として1円、2円、3円、5円などを毎年ちょっとずつもらったんやさ」(明治31年生)
以上の話しでもわかるように、1年間働いて100円もらえる人は優秀な人で、だれでも1日も早く100円工女になれることを願っていました。
こうした涙ぐましい女工達の働きによって、国は生糸の輸出を増やし、娘を出した農家では、現金収入を得ることができたのです。(参照 郷土古川より)
女工哀史は粗悪な食事、長時間労働、低賃金が定説になっているが、飛騨関係の工女は食事が悪かった・低賃金だったと答えたものはいなかった。長時間労働についても苦しかったと答えたのはわずか3%だけで、後の大部分は「それでも家の仕事より楽だった」と答えている。それもそのはず、家にいたらもっと長時間、重労働をしなければ食っていけなかった。
(ああ野麦峠より)
もちろんAK☆のメンバーたちは好きでやってる人が大半だろうし、自分で稼いで親の暮らしを助けようとか、まして口減らしなんていう動機ではないのでしょうが。
しかし、この時代のいたいけな少女たちの働きを 富国強兵という目的で軍備のために吸い上げていた明治政府の力。
それと同じようにA☆Kで一生懸命活動する少女たちのウラで働くなんらかの力を感じて 私とオットは 女工哀史を連想したんだと思う。
確かに生きている以上競争はあるのは当然、舞台芸術の世界だって上手で衆目を集める人が主役を務めるのは当然ではある。
むしろ伝統芸能の世襲で固めた世界よりはこうやってファン投票で立ち居地が決まるというのは公平なことかもしれないけどさ。
でもなんとなく この総選挙というシステムと異様にしつこいメディア報道にもやもや感とか後味の悪さを感じるのは私だけ? 単に私がプロデューサー氏が嫌いなだけかもしれないけど。
参考までに
映画にもなったけど (初々しい 大竹しのぶ 原田美恵子 小手川祐子さんたちが演じていてこれも面白かった)この本は日本の近代化の陰に犠牲になった少女たちの埋もれていた記録を掘り起こしたって意味からも偉大なノンフィクションだと思います。