局の道楽日記

食道楽、着道楽、読書道楽  etc
生活色々を楽しんで暮らしている日々の記録です

叔母という女性

2010-06-25 20:43:09 | 様々な思い
小さい時から私は叔母の事は自分の周りでの一番の美人だと思っていた。

実際叔母は若い頃は女優顔負けの美貌だったし、東京の短大時代OO化粧品のモデルにスカウトされそうになったこともあるらしい。派手にならずに華やかで上品、しかもおしゃれでセンスもいい人だった。
ウチのオットも 「きれいだったよな~」と私たちの結婚当時の叔母の事を懐かしむ(笑)ほどである。

それでO高☆大という当時のエリートだった叔父に乞われてこの地方に嫁いだ。叔父も当代の仁左衛門ばりのイケメンだったし難関と言われる資格も持っていて、何より叔母をひたすら大事にするといった風な夫婦だった。

叔母の趣味はシャ☆ソンを歌うこと。
先生が作ってくれたというCDを聞いてみたけどなかなか上手だった。
叔父がまだ元気だった3,4年前の発表会の写真が表紙になったCD

  

これで70代半ば。身内びいきのつもりはないが、若々しく美しいババである。叔父にとって生涯自慢の妻だったのはわかるような気がする。
しかし叔父は叔母を大事にしすぎて家事以外の生活一般の決め事を自分でやりすぎたキライあり・・・

見事に 深層の奥様 生活技術力無し なんですよ。

子供の学校や塾も叔父が決めたらしいし、お金の管理や家のケアなども叔父が外部と折衝として殆どやってたらしい。
叔母も綺麗好きできちょうめんだったから家事はやってたけど、殆どなんでも叔父に依存してたし、全然逆らうこともなかった夫婦ぶりだったような気がする。

それが最後まで続けばよかったんだけどね・・・

叔父は先に倒れて叔母を残して逝ってしまった。
叔父もそうなる場合は計算して金銭面では困らないようにしていたと思うが、叔母を残して娘も逝き、ムスコは帰ってこないので一人だけの老後というのは想定していなかったと思う。

だから取り残された叔母は 

「私、一人になったの初めてだから どうやって毎日過ごしていいかわからないの」 

「このままの日々が続くって考えると怖い」

と鬱々し、

更に全然積極性がないから

「前の家だと10日くらい誰とも口をきかないで過ごしたの」

「ツボネちゃんと OO子さん(母)が来てくれて嬉しいわ。 笑ったのって久しぶりだわ」

「ここだと まだ他の人と挨拶くらいは交わすからいいのかもしれないわね~ でも何もすることがないのよ、一日が長くって・・・」

などと愚痴る。

しかも生活力もいまいちで 

「IHヒーターに適するのが小さな鍋が一つしかないの、ホットケーキくらい焼きたいからフライパンがあればいいのにと思うのよ」 などと言う (買えよ~ フライパンの一つや二つ・・・)

ちょっと歩けば駅 ちょっと地下鉄に乗れば中心街でデパートなんかがたくさんあるところなんですよ!

「おばちゃん この3ヶ月フライパン無しで過ごしたの?」

「そうなのよ だって買いに行くのがおっくうで。一人だと出る気にならなくて・・・」ヲイ

しょうがないから 行ったその日はバァバズを連れて ☆越のリヴィング用品売り場に行きましたさ。

フライパンとちょっと大きめの鍋と 今流行のシリコンスチーマーを買って ついでに無くなりそうだという化粧品も買うのにつきあった。(母もどさくさにまぎれてショールなど買っていた)

駅に行く道も 叔母は同じ道の同じ側しか通らないし、同じ出口しか使わないので 近くに何があるのか全然知らないと言う。
叔母の使う地下鉄の駅から200mくらいしか離れていないJRの駅の存在を知らなかったのにはおそれいった。

「おばちゃ~~ん あっち側はにぎやかだよ ちょっと歩けばお店もありそうだよ」 と私があきれて言ったら

「だって一人だと色々行こうと思わなかったから・・・ 知らない土地だし・・・そうね 今度は行って見るわ」
知らない土地ったって50年も同じ市内に住んでいたはず、日本語も通じるんです。

性格がそうさせるのか、年をとるっていうのはそういった力がなくなってしまうのかよくわからないけど 一つ違いの母の方の方が物事に対する積極性はずっとあると思う。
叔母もきちょうめんでマジメで他人に意地悪するようなところは皆無だけど、自分から人にかかわろうとか、人を楽しませようとかという面がない。若い頃から居るだけで他人の眼をひくような美人すぎる人ってそういった努力はしないですんじゃうからなのであろうか?
そうなると美人ってのも考え物ですね。 よかった 美人じゃなくてと思うことにしよう。


ただ叔母の特性は こういった事態に 手を出して助ける誰かが現れるということである。

叔父の脳死状態の時は私が病院に行って様子を聞いたが、その後の亡くなるまでの期間には違う姪や姪の子供たちが交代で行って叔父を見舞ったり叔母を元気づけたりしていた。

その後 従姉妹の死やその後の色々はめいとおいが仕切ったし、今度のマンションの購入の際は甥が決めて引越しも手伝ったらしい。

「私できないの~」と言ってると誰かが手を貸してくれる。それを狙っているといやらしいが、ホントにできなくて困っている、そこに媚びや計算もない場合は お人よしの世話焼き(へい、私たち親子もそのうちの一部かも)がどこかからか現れて手を貸してくれるというように神様も配置しているのであろう。
何か特別騙されたり トラブルに巻き込まれたりも案外なさそうな感じではある。



叔母と別れる前にバアバズの記念写真を撮った。

「ホントに楽しかったわ。二人が帰っちゃうと余計さみしいわね・・・」と叔母。

ランチくらい一緒にしようと思ったが、これから施設での体力測定があるというので私は母と二人で昼頃ここを後にした。

改札口まで送りにきた叔母は

「つぼねちゃん また来てね。いつでもいいからね」と言った。
振り返るとポツリと立っている叔母があまりにも華奢で小さくなっていたので胸が痛んだ。












コメント (2)
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