昨夜遅く東京へ戻った。
今回は故郷に三泊したが、 舞台友N キョージュ ワタシと東京在住組が同じ時に戻ったので故郷在住組が飲み会を開いてくれた。
全くこんなこと一年中やっているような気がする同級生たち。
幼稚園から または小学校、中学校からの附属っ子というちょっとだけ特殊な(というか親が教育熱心だったっという結果に過ぎぬかもしれないが)環境に育ったという共通項があるワタシたちである。
それがその後の人生で +に働いたのか-に働いたのかはそれぞれかもしれないけど やはりそういうプラマイ含め 「あ~わかる、わかる」って感じで今となっては居心地がいい。
色々恩讐を越えてって部分もあるのかもしれないけど、幼い頃から青春時代を共有した人たちっていうのはこの年になるとホントに貴重だな~と思う。
この日はKくんプロデュースで寿司屋だった。この時期 海から遠い地域wのわりにはおいしいお店だった
本ししゃもや
岩牡蠣なんかもおいしかったし
現在のお互いの状況や家族の話なんかも出ることは出るけど 何度も繰り返す「あの時OOはアホだった」という当時の思い出話でアルコールがすすむ。
Kクンのアホ話
「GのかあちゃんやUのかあちゃんって綺麗だったよな~」
「うん。きれいだった きれいだった」← みんな
「オレ それがうらやましくってさ。小学校の時に自分のかあちゃんに なんでGのかあちゃんは綺麗なのにウチのかあちゃんは綺麗じゃないんだ?って聞いたんだよな」
「失礼なムスコだね~ Kのおかあさんだってステキだったよ」
「そしたらウチのかあちゃんさ そんなのお前の気のせいだよ 一週間くらいたてばあたしもおんなじに見えるよ って言ってさ~」
「あははは」
「それで 一週間たって同じに見えるかと思ってたら ちっとも変わらなくてよ」
こんなアホ話で何十年たった今も盛り上がれるって平和というか進歩がないというか・・・
それもお互いの家族くるみで付き合いもあったってことなのだと思う。
今も当時の友人の実家に電話をかけたり 迎えに行ったりすると
「あら~OOちゃん! 元気そうね~」と必ず当時の呼び名でお母さんが元気な場合は迎えてくれる。
一方でみんな親の介護やら親を送らなくてはいけない年頃になってきたのも共通項。
そうなったらそうなったで 「困ったよ~」と言えば 「こういう方法もあるよ」と知恵を貸してくれそうな心強い人たちでもあるのが嬉しい。
この日 この寿司屋がおいしかったので店主の名刺かショップカードをくださいと言った。
ちょうどそれを切らしていたらしい ご店主は
「ちょうど名刺を切らしちゃったんよ~ 悪いんね~ これを持ってってくださいよ」とA4の紙にパウチした各テーブルに置くお店のメニューを一枚くれたのであせった。
こういうアバウトさは故郷独特なものだと思う(笑)
実家に帰ってそれを両親に渡したら あっさり 「あっ OOOね よく行くんだよ、連れてったことなかったっけ?」という答えであった。
パウチのメニューは「老眼鏡をかけなくても見られるから出前してもらうのに便利ね~」 と 母が喜んでいた。
今回は故郷に三泊したが、 舞台友N キョージュ ワタシと東京在住組が同じ時に戻ったので故郷在住組が飲み会を開いてくれた。
全くこんなこと一年中やっているような気がする同級生たち。
幼稚園から または小学校、中学校からの附属っ子というちょっとだけ特殊な(というか親が教育熱心だったっという結果に過ぎぬかもしれないが)環境に育ったという共通項があるワタシたちである。
それがその後の人生で +に働いたのか-に働いたのかはそれぞれかもしれないけど やはりそういうプラマイ含め 「あ~わかる、わかる」って感じで今となっては居心地がいい。
色々恩讐を越えてって部分もあるのかもしれないけど、幼い頃から青春時代を共有した人たちっていうのはこの年になるとホントに貴重だな~と思う。
この日はKくんプロデュースで寿司屋だった。この時期 海から遠い地域wのわりにはおいしいお店だった
本ししゃもや
岩牡蠣なんかもおいしかったし
現在のお互いの状況や家族の話なんかも出ることは出るけど 何度も繰り返す「あの時OOはアホだった」という当時の思い出話でアルコールがすすむ。
Kクンのアホ話
「GのかあちゃんやUのかあちゃんって綺麗だったよな~」
「うん。きれいだった きれいだった」← みんな
「オレ それがうらやましくってさ。小学校の時に自分のかあちゃんに なんでGのかあちゃんは綺麗なのにウチのかあちゃんは綺麗じゃないんだ?って聞いたんだよな」
「失礼なムスコだね~ Kのおかあさんだってステキだったよ」
「そしたらウチのかあちゃんさ そんなのお前の気のせいだよ 一週間くらいたてばあたしもおんなじに見えるよ って言ってさ~」
「あははは」
「それで 一週間たって同じに見えるかと思ってたら ちっとも変わらなくてよ」
こんなアホ話で何十年たった今も盛り上がれるって平和というか進歩がないというか・・・
それもお互いの家族くるみで付き合いもあったってことなのだと思う。
今も当時の友人の実家に電話をかけたり 迎えに行ったりすると
「あら~OOちゃん! 元気そうね~」と必ず当時の呼び名でお母さんが元気な場合は迎えてくれる。
一方でみんな親の介護やら親を送らなくてはいけない年頃になってきたのも共通項。
そうなったらそうなったで 「困ったよ~」と言えば 「こういう方法もあるよ」と知恵を貸してくれそうな心強い人たちでもあるのが嬉しい。
この日 この寿司屋がおいしかったので店主の名刺かショップカードをくださいと言った。
ちょうどそれを切らしていたらしい ご店主は
「ちょうど名刺を切らしちゃったんよ~ 悪いんね~ これを持ってってくださいよ」とA4の紙にパウチした各テーブルに置くお店のメニューを一枚くれたのであせった。
こういうアバウトさは故郷独特なものだと思う(笑)
実家に帰ってそれを両親に渡したら あっさり 「あっ OOOね よく行くんだよ、連れてったことなかったっけ?」という答えであった。
パウチのメニューは「老眼鏡をかけなくても見られるから出前してもらうのに便利ね~」 と 母が喜んでいた。