局の道楽日記

食道楽、着道楽、読書道楽  etc
生活色々を楽しんで暮らしている日々の記録です

寿命

2010-11-09 00:51:03 | 様々な思い
他人様のことなのだけど軽く書くには重過ぎる出来事で 自分の中で咀嚼できてなかったからブログネタにはしなかったのだけど・・・

二週間前の日曜日のことだった。
台風がやっと過ぎ去ったけど朝からあまり天気が定まらなかった日 午後になってやっと晴れ間が見えたのでちょっと沿線にできた新しいショッピングモールにでも行こうかと夫と私は電車でその街に出かけることにした。

駅まで自転車で行こうと思ったが、夫のは娘が乗っていってしまったので夫は歩いて出かけて行った。
私は多少の時間差があるのでその間にお米を磨いでタイマーでセットしたり、戸締りしたりしてちょうど良い時間に駅につくくらいを見計らって自分の自転車で駅に向かった。
いつもの事だけど 唐突に出かけることになるのでその準備があわただしいのだ。我が家は。

最寄の駅の構内、階段を上って改札まで少し長い通路になっている。改札で待ち合わせていたので急ぎ足で歩いていくと、通路で倒れている年配の女性、駅員さん数人 そしてしゃがみこんでその女性を見ている夫と若い女性を見つけた
「どうしたの?」と駆け寄るとその少し前に夫が通りかかったところ女性が倒れていてその時点で意識もなかったそうだ。
駅員に言って救急車の手配をしたが、救急車が来るまでできる限りの事をしようとしていた様子。駅員さんはAEDなども持ってきてくれていた。
若い女性も通りすがりの人だったようだが、とてもテキパキと対処していて倒れた女性の携帯の履歴から友人 ご家族の連絡先を探って連絡をとっている。
私も何かできるかな?とは思いながらも駅員と夫とその女性が事をこなしているので邪魔にならないように通路から丸見えの女性がせめて人の目から隠れるように傍らに立っていた。
やがて倒れた女性は意識は取り戻した。すかさず夫は心臓の病気はありますか?と聴いた。彼女は一月ほど前に心臓の弁の手術を受けたことを話された。その病院と主治医の先生の名前を夫が聞くと女性は苦しそうでもあったがしっかりとその名前を告げてくれた。

救急隊員がくるまで15分くらい・・・ もうちょっとしたら救急車が駅の構内まで入ってくると言われた。すぐさま酸素マスクをつけたが、気分が悪くて吐きそうという女性に私はティッシュペーパーを渡した。
「救急車に乗ってかなくてもいいよな」と心残りだったような夫だったが、「そこまでしなくてもいいんじゃないの?意識も戻ったし救急車に乗ればある程度処置できるんでしょ 病院も近いしさ」などと私は言ってしまった。 
その女性はその時はしっかり受け答えしていたし、通りすがりの夫が救急車に乗り込んでどうこうするってのは出すぎたまねだと思ったのだ。(思うよね~ いくらなんでも)そして救急車が来た時点で (あー良かった これで助かるね)とも思ったのだった。
救急隊の方は夫とその女性にお礼を言って一応連絡先を聞かれたので夫は勤務先の名刺を渡していたようだった。

そして次の日。
夫の職場にその女性の娘さんからの電話で その方は病院に着いてから意識がなくなりそのままその日のうちに亡くなられたと告げられたそうだ。
夫からそれを聞いてもちろん私はびっくりした。と同時になんて人って儚いものなのだろうとも思った。
人の命なんて見かけは関係ないんだろうけど その倒れていた女性、瀕死の状態だったにもかかわらずとても上品できちんとした方だと見て取れて、受け答えの言葉遣いも折り目正しくて こんなにしっかりした方が死の縁にいるなんてとても思えなかったのである。

娘さんは一緒に居合わせた女性が連絡をとったおかげで救急車のあとをすぐにタクシーで追いかけて病院に着いて最後に言葉を交わせたそうであった。
心臓弁の手術は成功したので まだまだ元気でいると思っていた自分の母親の信じられない死の後にもかかわらず しっかりと夫にお礼を言って その時の状況を冷静に聞かれたそうである。

そして先週のこと、またその女性から夫に電話があった。母を最後にお世話してくれた人と話したい。母の最期の様子を聞きたい。そして夫にお礼を言いたいと。
一緒に連絡をとってくれた女性とも話すことができて 住んでいる所も近かったので 昨日の日曜日に遺族の方々とお会いすることになった。 奥様も一緒にという事で私も同席した。

残されたご主人と連絡してくださった長女と外国に嫁いでいる次女の方。
亡くなられた方の印象から予想した通りのきちんとして知的なご家族だった。
この半月でお母様の死っていうものをきちんと受け止めてそれなりに落ち着かれたようで、悲しみに耐えながらも冷静で却って私たちへの気遣いもしてくれるような所まで見られた。
生前の写真も見せていただいたが、その時代には珍しいキャリアウーマンとして丸の内でさっそうと働き、仕事の場で知り合ったご主人様との結婚式の写真。美男美女であった。そして結婚して家庭に入ってしっかり育て上げたお嬢さん二人も幸せな結婚をされて可愛い孫にも囲まれて幸せそうな家族写真や自分の趣味のお茶などにも熱心に取り組んでいる様子やご友人との楽しそうな写真もあった。
公私ともに恵まれた幸せな人生だったんじゃないかなと思われる。

ただ心臓の手術はしなければならない ただすればあと10年以上はこのまま元気で過ごせると信じて手術をされたようだ。確かに女性の平均寿命まであと10年ほどはあったはずである。
家の近所に住んでいるご姉妹を訪ねてきた途中で倒れられたらしいけど、ちょっと近所に出かける途中で倒れてそのまま逝ってしまうなんて家族も予想もしなかっただろうし、一番びっくりしたのは自分じゃないだろうか?

ただ、亡くなる間際まできちんとされて、こんなに悲しんでくれる家族が居る。ご家族も突然のことでショックだっただろうが、彼らの思い出に残るのはしっかりして上品な頭の衰えていない母と妻の姿である。それがせめてもの慰めになってほしいと思う。
ご主人はその年代にありがちな一見亭主関白風 あまり口に出して奥様への感謝の気持ちとか言うタイプではなかったようだ。ただ若いころの集合写真を大きく引き伸ばしてくれと娘さんに頼んだそうだ。
「このころのお母さんは本当にかわいかったんだよ」と・・・
「嫌だわ お父さん。今頃になってそんなこと言って・・・ 生きてるうちにもっとお母さんを褒めてあげればよかったのに」と娘さんは苦笑しながら言っていた。
娘さんたちはそれぞれ家庭もあるからまだ気がまぎれることも多いと思うが、もう定年も迎えられているし、一人暮らしになってしまったご主人がやっぱり一番さびしいのじゃないだろうか?
妹さんは来週外国の家族の元へ帰ってしまうらしいし お姉さんだって週一回は様子を見ようと思いますと言ってはいたけれど。
「男の料理教室っていうのがありますね。そういうのにね行ってみようかと思って・・・」とおっしゃっていたのでワタシもそれは賛同しておすすめした。そこで同じような知り合いもできるかもしれないし毎日コンビニご飯じゃわびしいしねえ。
あとでオットにも 「やっぱり残されて一番かわいそうなのはダンナだねえ なんかあのお父さん心配よ」って言ったら 「うん 俺もそう思った。女はダンナが先に死んでも案外立ち直り早いけどさ、オトコはそのまま元気なくして自分も早く死んじゃうんだよな~。お前とりあえず俺より先に死ぬなよ」だそうだ。こんな非癒し系ツマでも先に死ぬより生きてたほうが良いらしい。

最初は堅苦しい雰囲気だったが話してみると色々つながりもあることがわかったり、共通の知り合いもいることがわかった(東京も案外狭いものである)こんな場じゃなかったらお酒でも入れて語ったらいつまでも話が弾むような方々であった。
「お母さんも最後の時に一人じゃなくてよかった。心配して足を止めてくださる人が居てその人がみなさんみたいな人で本当に嬉しいです」と言ってくれた娘さんの言葉を有難く聞いた。
もし私の両親が同じような状況になったとしても 最後に親切にしてもらったことは心の慰めになったと思う。
って思うしかないんだけど・・・。






コメント
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