前記事に引き続き辛気臭い話題で申し訳ないけど もうちょっとだけおつきあいくだされ。
素人さん向けの講演をするため集めたらしい資料がウチに転がっていたのだけど その中にちょっとばかし興味深いものがあった。
以下
元気なうちから家族と考えておきたい具体的な事柄
(決めた内容を事前指示書として文書化し、定期的に見直すとよい)
☆終末期の療養の場について
・自宅 / OOO病院 / OOO老人ホームを希望する
☆終末期になったときに受けたい医療
・心臓マッサージなどの心肺蘇生は (して欲しい / して欲しくない)
・延命のための人工呼吸器は (つけて欲しい / つけて欲しくない)
・胃ろうや鼻チューブによる栄養補給は (して欲しい / して欲しくない)
☆痛みや苦痛をとる緩和治療
・消炎鎮痛剤、麻薬、鎮静剤は (積極的に使用してほしい / 使用を控えてほしい)
・緩和治療が不十分で効果がない場合は(鎮静剤の投与で意識を失わせてほしい。このために死期が早まったとしてもやむをえない / 意識を保ちたいので我慢する)
☆延命治療の中止を望む場合
・余命(一ヶ月 / 二ヶ月 / 三ヶ月 / 四ヶ月 / 五ヶ月 / 六ヶ月)以下と診断された場合は すべての積極的治療を拒否する。
・いわゆる植物状態が(一ヶ月以上 / 三ヶ月以上 / 六ヶ月以上)続いた場合は 人工呼吸器や栄養チューブなどをはずし、自然経過に任せる
☆認知症等について
・認知症等になり、自分で希望する医療が判断できなくなったとき、その直前の意識清明なときに指示した内容に(従って欲しい / 従わず、代理人と相談して欲しい)
・自分で希望する医療が判断できなくなったとき、主治医が相談すべき人を(OO氏に指定する / 指定しない)
網野皓之私案 満足死宣言 在宅死のすすめ抜粋資料
この場合 自分が当事者として他の家族に言い置いていく場合と 例えば他の家族の意思を確認する場合と二種類の場合を考えなくてはならない。
順番としてはaround80の実家の父母と姑にこういうことを確かめなければならないんだけど、やっぱり自分の両親となるとこう事務的に二択三択アンケートに記入するがごとくこの資料そのまま作っていくわけにはいかないような気がする。
しかしどれも確かめておかなければいけないな~とつくづく思った。
そして今度のことで一人の女性の死という事を身近に見て普段能天気な私も考えさせられることがあった。
平均寿命に達するのはまだまだ先だけど 自分自身 近い将来癌にかかることだってなきにしもあらず である。
そして自分のことに関していうなら二択三択でドライに意思表明できる気がする。
この文書とおりに答えるとすると まだ答えが出ないのは終末期の療養の場である。それはその場にならないと見当がつかないからだけど 別にどうしても自宅 どうしても病院と固執する気はないのでどっちにしろ周りの世話になる人の都合に合わせるとしか言いようがないから。
その他は 「延命は最低限に 痛みのケアは最高に」 ってくらいだと思う。多少寿命が短くなろうが意識がなくなろうが苦しみは最小限にして楽に死なせて欲しい。
たとえ認知症になってもこの判断に従って欲しい。 以上 意思表明でした。
ところで この前のナナパパの部屋で緩和ケア医のご夫妻が出演されていた。その中の一部で癌になった時(癌には限らないかもしれないが)自分の余命を知らされたいか否かっていう話題になっていた。ナナパパさんは自分は知りたくないとおっしゃっていた。
人によって色々考え方や感じ方はあるんだなぁとその時結構感慨深く思ったのだけど 私は 「絶対知りたい」派 である。
隠されたら隠した人を恨んで死ぬ(笑)
だって人って絶対死ぬんだもん。
予想できない死が突然訪れる場合や 身体はまだ機能していても認知症になって自分の状況がわからなくなってしまう場合よりは残りの時間を知ることを有利な情報の把握できたこととしてポジティブに考えたい。(と今のところは思う)
実際に癌の宣告 余命の宣告をされて苦しんでいる方が 「そんな元気なヤツが頭の中で考えてるほど甘いもんじゃないんだよ」とおっしゃるかもしれない。
でも 前にも言ったとおり 遅かれ早かれ私も100%死ぬんだもん。
自由に動ける時間が半年 いえ 急げば三ヶ月としたら随分忙しいながらも色んなことができると思う。
例えば生命保険の証書やどこにどれだけ貯金があるかとか家族に知らせなくてはならない。
このような家庭の事とか地域の事とか どうせ 女房(または オカン)に任せればいいやと思っていた家族もあとになると自分が困るから真剣に聞くだろうからきちんと伝えなくてはならない。
後で使えるかも~ なんて思っていたけど実は不要な品々を思い切り捨てるのも気持ちがいいであろう。
あとそうヤバイモノはないけど あまり死後に見られたくないものも整理しておく時間があるってのもありがたい。
このブログも家族やリアル友に見せたくないのは消しといて100記事くらい抜粋してCD一枚くらいに残しておこう。
着物や衣服やアクセサリー類は娘と息子嫁(居れば)で分けて残ったらどこかに売っぱらってしまおう。
トールペイントやチャイナペイントなどの作品も使ってもらえそうな友人へ差し上げておこう。
仕事も大学の同窓生に頼んで私の役目の引継ぎくらいはしといてあげたい。
心配なのは家族のその後だけど子供たちも一人は完全自立 娘もどうにかなるだろうって年頃になっているのは幸いである。
一応死ぬ前に これだけはするな これだけは守って くらいの伝えたい事はまとめておきたい。
夫を残してってのは心配は心配だけど仕方がない。やっぱり彼は家庭人であるよりは社会的な役割ってのが大きいと思うのでそれはまだ全うしてもらいたい。
その上で恋愛する元気が残ってたらどうぞご自由にとも言っておきたい。
孤独な老人になるよりマシですからね。
(これは両親、姑を送ったあとの話。親より早く逝くってことは避けたいとは思う)
あと残った時間で自分の葬儀関係を計画しておく。余分な設えはいらないからシンプルに ただお花は趣味よく 写真はこれ。とか。司会は舞台友Nに頼めば上手に演出してくれるだろうし故人の生前の思い出は 親友AかNちゃんにあまり湿っぽくならないように頼もう。弔問にきてくれた人には葬儀屋の用意するマズイお茶じゃなくてニシナヤさんのコーヒーをつけるとか(細かいなあ 我ながら)
お香典はもらわなければお返しもいらないからあらかじめそういう段取りをお願いしておこう、とかね。
後 宗教関係のこと、私が不勉強なのかもしれないけど仏教って殆ど知らないのよね。その教義にのっとって色々式次第その後をしてもらっていいのだろうか? その点は納得をしたいのでちゃんと勉強しておきたい。宗教関係で勉強したのは(っていうかみっちり勉強させられたのは)娘の学校の関係のキリスト教ってことの不思議。考えてみると日本人って仏教徒?自分の家の宗派もよく知らないってこと多いよな~って改めて思う。その辺 なし崩しに仏教でいくのか あるいは死ぬまでに洗礼でも受けてにわかキリスト教徒の仲間に入れてもらうか まるで無宗教で行くかはつきつめておきたい。
ムスコあたりが「最後まで注文の多いおかんだな~」とか言うかも知れないがそれくらいは通してもらいたい。
こうやって色々シュミレーションしてみると やっぱり余命を知るって合理的だと思うのであります。
素人さん向けの講演をするため集めたらしい資料がウチに転がっていたのだけど その中にちょっとばかし興味深いものがあった。
以下
元気なうちから家族と考えておきたい具体的な事柄
(決めた内容を事前指示書として文書化し、定期的に見直すとよい)
☆終末期の療養の場について
・自宅 / OOO病院 / OOO老人ホームを希望する
☆終末期になったときに受けたい医療
・心臓マッサージなどの心肺蘇生は (して欲しい / して欲しくない)
・延命のための人工呼吸器は (つけて欲しい / つけて欲しくない)
・胃ろうや鼻チューブによる栄養補給は (して欲しい / して欲しくない)
☆痛みや苦痛をとる緩和治療
・消炎鎮痛剤、麻薬、鎮静剤は (積極的に使用してほしい / 使用を控えてほしい)
・緩和治療が不十分で効果がない場合は(鎮静剤の投与で意識を失わせてほしい。このために死期が早まったとしてもやむをえない / 意識を保ちたいので我慢する)
☆延命治療の中止を望む場合
・余命(一ヶ月 / 二ヶ月 / 三ヶ月 / 四ヶ月 / 五ヶ月 / 六ヶ月)以下と診断された場合は すべての積極的治療を拒否する。
・いわゆる植物状態が(一ヶ月以上 / 三ヶ月以上 / 六ヶ月以上)続いた場合は 人工呼吸器や栄養チューブなどをはずし、自然経過に任せる
☆認知症等について
・認知症等になり、自分で希望する医療が判断できなくなったとき、その直前の意識清明なときに指示した内容に(従って欲しい / 従わず、代理人と相談して欲しい)
・自分で希望する医療が判断できなくなったとき、主治医が相談すべき人を(OO氏に指定する / 指定しない)
網野皓之私案 満足死宣言 在宅死のすすめ抜粋資料
この場合 自分が当事者として他の家族に言い置いていく場合と 例えば他の家族の意思を確認する場合と二種類の場合を考えなくてはならない。
順番としてはaround80の実家の父母と姑にこういうことを確かめなければならないんだけど、やっぱり自分の両親となるとこう事務的に二択三択アンケートに記入するがごとくこの資料そのまま作っていくわけにはいかないような気がする。
しかしどれも確かめておかなければいけないな~とつくづく思った。
そして今度のことで一人の女性の死という事を身近に見て普段能天気な私も考えさせられることがあった。
平均寿命に達するのはまだまだ先だけど 自分自身 近い将来癌にかかることだってなきにしもあらず である。
そして自分のことに関していうなら二択三択でドライに意思表明できる気がする。
この文書とおりに答えるとすると まだ答えが出ないのは終末期の療養の場である。それはその場にならないと見当がつかないからだけど 別にどうしても自宅 どうしても病院と固執する気はないのでどっちにしろ周りの世話になる人の都合に合わせるとしか言いようがないから。
その他は 「延命は最低限に 痛みのケアは最高に」 ってくらいだと思う。多少寿命が短くなろうが意識がなくなろうが苦しみは最小限にして楽に死なせて欲しい。
たとえ認知症になってもこの判断に従って欲しい。 以上 意思表明でした。
ところで この前のナナパパの部屋で緩和ケア医のご夫妻が出演されていた。その中の一部で癌になった時(癌には限らないかもしれないが)自分の余命を知らされたいか否かっていう話題になっていた。ナナパパさんは自分は知りたくないとおっしゃっていた。
人によって色々考え方や感じ方はあるんだなぁとその時結構感慨深く思ったのだけど 私は 「絶対知りたい」派 である。
隠されたら隠した人を恨んで死ぬ(笑)
だって人って絶対死ぬんだもん。
予想できない死が突然訪れる場合や 身体はまだ機能していても認知症になって自分の状況がわからなくなってしまう場合よりは残りの時間を知ることを有利な情報の把握できたこととしてポジティブに考えたい。(と今のところは思う)
実際に癌の宣告 余命の宣告をされて苦しんでいる方が 「そんな元気なヤツが頭の中で考えてるほど甘いもんじゃないんだよ」とおっしゃるかもしれない。
でも 前にも言ったとおり 遅かれ早かれ私も100%死ぬんだもん。
自由に動ける時間が半年 いえ 急げば三ヶ月としたら随分忙しいながらも色んなことができると思う。
例えば生命保険の証書やどこにどれだけ貯金があるかとか家族に知らせなくてはならない。
このような家庭の事とか地域の事とか どうせ 女房(または オカン)に任せればいいやと思っていた家族もあとになると自分が困るから真剣に聞くだろうからきちんと伝えなくてはならない。
後で使えるかも~ なんて思っていたけど実は不要な品々を思い切り捨てるのも気持ちがいいであろう。
あとそうヤバイモノはないけど あまり死後に見られたくないものも整理しておく時間があるってのもありがたい。
このブログも家族やリアル友に見せたくないのは消しといて100記事くらい抜粋してCD一枚くらいに残しておこう。
着物や衣服やアクセサリー類は娘と息子嫁(居れば)で分けて残ったらどこかに売っぱらってしまおう。
トールペイントやチャイナペイントなどの作品も使ってもらえそうな友人へ差し上げておこう。
仕事も大学の同窓生に頼んで私の役目の引継ぎくらいはしといてあげたい。
心配なのは家族のその後だけど子供たちも一人は完全自立 娘もどうにかなるだろうって年頃になっているのは幸いである。
一応死ぬ前に これだけはするな これだけは守って くらいの伝えたい事はまとめておきたい。
夫を残してってのは心配は心配だけど仕方がない。やっぱり彼は家庭人であるよりは社会的な役割ってのが大きいと思うのでそれはまだ全うしてもらいたい。
その上で恋愛する元気が残ってたらどうぞご自由にとも言っておきたい。
孤独な老人になるよりマシですからね。
(これは両親、姑を送ったあとの話。親より早く逝くってことは避けたいとは思う)
あと残った時間で自分の葬儀関係を計画しておく。余分な設えはいらないからシンプルに ただお花は趣味よく 写真はこれ。とか。司会は舞台友Nに頼めば上手に演出してくれるだろうし故人の生前の思い出は 親友AかNちゃんにあまり湿っぽくならないように頼もう。弔問にきてくれた人には葬儀屋の用意するマズイお茶じゃなくてニシナヤさんのコーヒーをつけるとか(細かいなあ 我ながら)
お香典はもらわなければお返しもいらないからあらかじめそういう段取りをお願いしておこう、とかね。
後 宗教関係のこと、私が不勉強なのかもしれないけど仏教って殆ど知らないのよね。その教義にのっとって色々式次第その後をしてもらっていいのだろうか? その点は納得をしたいのでちゃんと勉強しておきたい。宗教関係で勉強したのは(っていうかみっちり勉強させられたのは)娘の学校の関係のキリスト教ってことの不思議。考えてみると日本人って仏教徒?自分の家の宗派もよく知らないってこと多いよな~って改めて思う。その辺 なし崩しに仏教でいくのか あるいは死ぬまでに洗礼でも受けてにわかキリスト教徒の仲間に入れてもらうか まるで無宗教で行くかはつきつめておきたい。
ムスコあたりが「最後まで注文の多いおかんだな~」とか言うかも知れないがそれくらいは通してもらいたい。
こうやって色々シュミレーションしてみると やっぱり余命を知るって合理的だと思うのであります。