局の道楽日記

食道楽、着道楽、読書道楽  etc
生活色々を楽しんで暮らしている日々の記録です

日常と非日常のはざまで

2011-03-17 22:52:56 | 日々の生活
これを書きはじめたとたんまた地震。
さっき 21:32には私のドコモの携帯にエリアメールとして千葉沖の地震を告げる切迫した着信音が鳴ったのだけど その時はそんなに大したことはなかった。
今の方が揺れた。

このエリアメール、昨日はお昼前後に何度か流れた。
私は絵付けの先生のところに行っていた。今スポーツクラブは自粛しているが(車でしか行けないのでガソリンをこんなことに使いたくないし、自宅以外の場所で汗かいたりシャワーを浴びたりしている時に地震にはあいたくないもんである)
絵付けの先生はごく近所だし、非常時は非常時だけどここまで自粛する必要もないし・・・
しかし 災害メールが届くたび、つけっぱなしのTVから速報が流れるたびに 描きかけのお皿を持ってテーブルの下にもぐりこむなんてね。
「早くこんなこと終わらないかしらね~」なんて言いかわしながら揺れの収まるのを待つのである。

そんな中、生徒仲間の息子さんは福島に赴任中、幸い原発から30km以上離れてはいるが、まだ若いから放射能が心配とTVで流れる原発のニュースを心配そうに眺めているし、先生のお嬢さんの男友達は自衛隊でまさにこの原発事故をおさめに赴任しているらしい。
やはり関東にいる以上、この地震は直接、間接にかかわっているのだ。

ムスメはおととい自動車免許の合宿から帰ってきた。実は東北某県の合宿だった。一番被害の少ない県だったので停電もなく、地震当日の講習がなかったため最少の日数を一日だけ越えておととい帰ってきた。
帰りの足もずいぶん心配したのだが、教習所でバスが出て新潟から関越道を回って東京駅まで送ってくださった。
次の日から停電のために卒業検定ができなかったらしいから ギリギリセーフだった。
女の子二人で自炊しながらだったので 周りの人たちにずいぶんお世話になりありがたい経験もさせてもらったらしい。
しかし、同じ時期に岩手の教習所に行った知人の息子さんは未だ音信不通である・・・・
そちらの方に行く選択肢もあったわけだから、人の運命って残酷だと思った。娘にも生かされたという運を無駄にしないように言い聞かせた。

しかし、地震以降 娘が東北にいる(場所ははっきり知らない)というのを知っている友達からはずいぶん心配してもらって、無事なのを喜んでもらえたらしい。
昨日は久しぶりに東京の友達と会って かなり酔っぱらって それも完全に泣き上戸で帰ってきた。
しゃくりあげながら帰ってきて ただいまも言わずに部屋に入って号泣しているので ワタシはホントに何かされたんじゃないかと心配して 娘の部屋をけり破る勢いで問い詰めたのだけど
「何もされないよ~ ただ泣きたいんだよ~」と言うので もう放っておいた。

次の日「夕べはどうしたの?」と言ったら 「なんか みんなの顔みたら安心して 色々考えると泣きたくなったのは覚えてるんだけど・・・ そんなに泣いてた?」だと
まったく人騒がせなヤツである。 娘なりに緊張したのが緩んだのと 今回の色々な映像で混乱していたのかもしれない。
私もTVは情報源としてみなくちゃならないけど、被災の様子はあまりにも悲惨だし、原発は心配だしで見るたびに心が折れそうになる。

今日は夕べのムスメの様子を心配した女友達が二人遊びに来た。一人の子の手土産は手作りのジャムだった。



それもDEAN & DELUGA調の手作りのシールまで貼ってある。優秀で家庭的なT大生。
若い女の子たちの他愛ないハナシを聞いてたら ほっと心が楽になった。

その子たちが帰った後、今日は我が家にとってちょっとさびしい事があった。

ピアノを手放したのである。
私は高校の途中まで習っていたので ごく自然に子供たちに習わしたピアノ。しかしウチの子たちはあまり好きじゃなかったようで小学校中学年でやめてしまった。
私も子供の小さい時はよく弾いてあげたり 一緒に弾いて歌ったりもしていたのが、いつの間にか弾かなくなってしまった。
そう広くないリヴィングで 油断すると物置化しているピアノ。
そろそろ断捨離の時期かもね と常々オットと話し合っていたのだった。
音楽関係の友人に聞いても「YAMAHAの昔のピアノなんて引き取ってもらうのにお金払うようだよ」とも言われたが 査定してもらったら一応値段はついて3万程度で引き取ってもらえることになった。
上に敷いたカバーを外して、ピアノ専用の艶出しでキレイに拭いた。最後に調律してもらってから4年ほど経っているけど久しぶりに触った鍵盤の感触が懐かしくて響きは深かった。
最後にゆっくりノクターンを弾いてみた。指がなかなか動かなかったけれど。



そうやっていると なんだか急に愛着心が湧いてきて手放す手続きをしたのを後悔しそうになった。ドナドナの気分である。
しかし、運送業者の相撲界引退してきました?みたいなお兄ちゃん二人。さすがプロと言いたい働きでさっさと運び出してくれて、そのお手並みの鮮やかさでなんだか吹っ切れた。

ピアノの後ろに落ちていた、ムスコの小学校の時の学校からの手紙。それを懐かしく読んでからたまっていた埃を掃除機ですいとっていたら宅配便着



義援物質(笑)と品書きに書いた広島からの荷物であった。 ありがとう⑦パパさん ♪ 今日最後に気持ちが明るくなったけえ。

「困ったらいつでも広島にきんさい」と言ってくださった方もいるし、私はもうそちらに足を向けて寝られませんと言いながらも東向きのベッドだからどう考えてもそっちに足を向けてるけどね 






コメント (6)
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