局の道楽日記

食道楽、着道楽、読書道楽  etc
生活色々を楽しんで暮らしている日々の記録です

帰国して

2023-02-06 12:54:53 | 日々の生活
無事に帰国しました。
帰りの便の中が冷え切っていて手持ちのコートを着こんでブランケットにもぐりこんでも寒く、なんだか喉もイガイガしてきたので機内で葛根湯服用。

空港検疫は例のマイナカードから登録できるアプリがあればすぐに通過できるらしい。
ワタシみたいにQRコードつきの接種証明だけだと、それから別ルートになるが、そこでもQRコードを読み込んで、その質問に3つくらい答えて、その後自己申告で体調の異常がなければすぐに通れて入国審査まで行けた。
しかし、あたりまえのように使うのはスマホ。持たない人って旅行はもちろん、あらゆる所で不便を強いられる時代になってますね。
それが良いか悪いかは別として、どうにか着いていけるようにブラッシュアップしておかないとですねえ。
中高年のみなさま お互いにがんばりましょう・・・
そういえばDubai出国の時も「日本まで」とわかったらワクチン証明があるかどうか聞かれた。
往路はなんのチェックもなかったが、もし証明書がなかったらもっと復路はめんどくさかったのかもしれない。

成田では都内某駅までオットが来てくれるというのでそこまでバスの切符を買って停留所まで行ったらおっそろしい寒さでギリギリまで室内に居ようとまた引っ込んだ。





お世話になったエミレーツのクルー
この制服はかっこいいですね






羽田からでも成田からでも帰国して首都高に乗ってスカイツリーや東京タワーの見える夜景に再会すると、「あ~ 帰って来たな」ってそれなりにほっとして小さく感動するのだが、今回は東京の夜景が地味すぎると感じてしまった。
少しの間なのに あのキラキラDubaiに目が慣れていたのだろう。



30kgの荷物に耐えられずに行きに壊れていたスーツケース。
チェックインの時に、秤に乗せたおじさんが呆れたように私を見てheavyと言ってheavyタグをつけ、それに底を差して「壊れてるよ~」とかなんとか言って、とりあえずテープでぐるぐる巻きしてくれたっけ。
車輪の調子が悪いのだと思っていたが、本体のプラスチックが割れていたんですね。
やはりおそるべし、30kg。
そういえば、ミステリーの本とかドラマなんかで「死体を運ぶ」ってありますよね。
殺しちゃった人を自分の車のトランクに入れて山に埋めに行くなんての。 あれは女手じゃ絶対無理だね。
相手が大のオトコで70kgくらいあったら二人でも無理だよな。なんて なんつー想像しているんだ、ワタシ。
しかし現実の30kgってのを体験して、自分の非力を感じたのであった。

さておき、満身創痍のスーツケースちゃん



そういえば、色んな所でワインを買い込んで日本に持ち込んだっけかな。
この子もそろそろ限界であろう。
ノーブランドだったけど大きくて軽くて車輪の回転もスムーズで使いやすかった。
これはもう修理できないなぁ・・・ 楽しかった旅の良き相棒であってくれてありがとう。

出国日に容態急変して入院した姑は、あれから回復。胸水も抜いてもらい食欲も増進で、毎度病院食を完食しているそうだ。
もう退院してもいいのだが、居住しているサ高住にコロナ患者が一人出たために大事をとって特別室で待機。
ホントに幸せなおばあさんですね。
出国日のバタバタとその経緯を親友女子lineで話したら
「さすが局ちゃんのお姑さん!」「タイミング良すぎて笑う」などと感想をもらった。

それと引き換えに、今度は実家の母がいよいよ危なくなってきた。
帰国したら弟より「極度の食思不振による体重低下でいつお別れがくるかわからないと主治医(弟の同級生)から言われた」とのことだった。
Dubaiからも楽天で鰻をポチして送ったりもしていたのだが、それも食べられず、メイバランスのアイスしか口にしないで、24時間点滴体制に入ると・・・・

今から省みても仕方がないが、コロナ禍の始まった3年前に、母だけでもサ高住に転居してもらえばよかったと思う。
まる3年、部屋にも入れず、外へも出ることが出来ずだったのだから・・・
幸せに完ボケの父と違って、不自由を強いられてすべてを憎むようになった母は可愛そうだった。
それなのにまだ部屋への入所をこばんで入れさせたがらない施設を半ばおどして、ムスコと弟と三人で土曜日に部屋まで行ってきた。父も部屋で一緒になった。



ちゃんと抗原検査はしましたよ。

去年の秋も「痩せたなあ」と思った母が、もっと小さくなってベッドに眠っていた。

胃ろうは本人も私たちも希望していないので、このまま自然に逝くのを見届けるしかないのでしょう。
意識があって言葉もしゃべれるならポートを埋め込んで高カロリー輸液の選択肢もあるかもと身近な医師は言うが、そのための入院だの拘束だのその後施設に戻れないなどの事を考えて却下。

コロナが彼女の人生の最期を不幸にしたなあとつくづく思う。

初孫だったムスコはとにかく彼女のお気に入りで忙しい中に会えたことは良かった。とちゅうで目を開けたが、ムスコを認めて嬉しそうだったから。
ムスコのお嫁ちゃんが大バーバへのお手紙を孫①②に書かせたのと、孫③の可愛い七五三の衣装の写真を見える所に貼って来た。
母の真面目で真摯な生き方、華やかなことも好きだった趣味は彼らに受け継がれて育っていることは感じて欲しい。
ムスメが多分帰国する四月まで頑張って欲しいんだけどね・・・

二月に入り、今年が悲喜こもごもで波乱のとしになりそうな予感です。

コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする