局の道楽日記

食道楽、着道楽、読書道楽  etc
生活色々を楽しんで暮らしている日々の記録です

テキ屋との戦い vol.2

2007-02-06 23:19:06 | 記憶の箱
で、 それからである。
O大のオヤジは私達親子の前に座り、息子も呼ばれた。初めてO大に相対したが、身体は大きいけどちょっとおどおどして父ちゃんをうかがう感じの子供だった。お母さんは私達の脇に座った。
「夜分遅くお訪ねいたしまして失礼いたしました。今日は主人があいにくおりませんが 私がうけたまわりますので」と私は言った。これはせっかくの土曜の夜遅く電話かけてきて呼び出したことに対しての嫌味のつもりだったけど 通じなかった模様。
そして O大の怪我を見せてもらった。耳の後ろに 2,3本のみみずばれとちょっと血が出た後のかさぶた様の怪我だった。確かに痛そうだが、そう大したこともなかったのでとりあえず安心はした。
すると オヤジが
「家の商売の事で、O大がいじめられて、こうやって怪我させられるんじゃ O大がかわいそうでな。それでこうやってお宅に来てもらったわけだが」といきなりかましてきた。
その最初から家の息子って決め付けていることにも腹がたったが むかつくと口が回るのよね(笑)
「お宅が何のご商売をなさってらっしゃるかは存じませんでしたし、(察しはついてたけどさ)私共はそういった事でお友達に対して仲良くするなとか申したことはございません。(これホント、男の子ってそういうの気にしないし、自然に仲良くなる子って親の価値観も似てるから、息子の交友関係に口はさんだことなかった)それにO大くんのお怪我の事ですが どのような状況でそうなったか きちんと確かめた上で こちらも××に対処させたいと思うので まずお互いの言い分を聞いたほうがよろしいのではないでしょうか」

「掃除の時にお宅の息子にやられたんだそうだ」
なぜかO大はソファの上で身体をぐにゃぐにゃさせ、その上家の息子にニコニコ笑いかけている。
そこで 家の息子が口を開いた。
「掃除って O お前と場所違うじゃん。俺 OO室だったぜ~ お前 O班だから教室じゃん」
「え~~と う~~~んと」と もじもじするO大。
「こんな痛そうな怪我したら どこで誰にやられたか覚えてるよね O大君。それに子供の言葉ですから、覚えがなくても何かの拍子でってことも考えられますよね。きちんと確かめたほうがいいと思いますけど」 と 私。
「そうだな、家の家業のせいで O大がこの先もいじめられたら 黙ってられないからな」 と オヤジ
「OO大がかわいそうだし、お友達もいないようだし」と お母さん。
だから~ 家業は関係ないだろ このクソおやじ! それに友達かどうかの問題じゃないんだってお母さんさあ と思っていたが O大はぐにゃぐにゃもじもじするだけである。

その時、息子が
「あっ お前さ 帰りの会の時 Mと喧嘩してたじゃん。髪の毛ひっぱられて泣いてただろ」と 口を挟んだ。
私はそのとたん激しく状況を理解した。
Mは その当時、クラスで一番背が高く頭も口も回るリーダー格の女の子だった。悪い子じゃなかったが、元気があまって 男の子も追っかけまわしてケリを入れるような女の子。家の息子も口げんかしたりはしていたらしいが。だいたいこの年代は女の子の方が身体も大きいし強いのである。
後日談だが Mはそのまま地元の中学、都立高校とすすみ、バスケットで活躍したそうだ。つい先日近所のファミレスで男の子とデートしている所を目撃したが、可愛くなっちゃって、男の子にケリを入れたり、家のそばで肉まんを食べながら 「中村やの肉まんってうまいよな」と 大声で言っていたことなど忘れたようだ(笑)

まっ とにかく 女の子に泣かされたって言うのがとうちゃんに言えず、通学路が一緒になるうちの息子の名前をとっさに出しちゃったというのが真相だと確信した。

「そんなことあったの? O大くん 覚えてるかな?」と私
「う~~ん そうだったかもしれない」と一層ぐにゃぐにゃするO大。
「O大 はっきりしろ ××君にやられたんか? M君か?」 と オヤジ

「あの~ Mさんは女の子なんですが・・・・」と 私はそこで口を挟んだ。

           以下続く 引っ張ってすみませぬ。

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テキ屋との戦い vol.1

2007-02-04 21:30:20 | 記憶の箱
昨日は節分。近くの神社が豆まきをするとかでにぎわっていた。
前を通りかかると、いくつか屋台が並び、その中に忘れもしない顔があった。
久しぶりにみたOの父ちゃんだった。

もう10年以上前になるだるうか?家も息子は近所の公立の小学校に進学していた。幼稚園も近所だったが、そこは小さいながらもしっかりした方針のキリスト教系の幼稚園で、バス無し、給食無し、延長保育無し、ついでに余計な早期知能教育も無しで 親の手はかかるけど、結構子供を丁寧に育てる親たちが集まっていて、そこで知り合った親子とも信頼できるし、気も合う友人に恵まれた。その仲間とは今でも親子で付き合いが続いている。
で、その延長にあると思って、地元の公立に進ませたわけだけど、これが結構問題の小学校だった。色んな子がいて、色んな親がいた。幼稚園は立地上とか、歴史とか考えると温室だったんだな~と 一年の初頭からイヤというほど思い知らされた。今思うと、まあ親子とも揉まれ、たくましくならざるを得なかったってことでよかったなとも思う(。ただ女の子にその轍は踏ませたくなかったので娘は私立に避難させたけど・・・)

で、息子も私も地元の小学校に慣れてきた、彼の3年生の秋のことである。
その夏、息子の通学路の途中に一軒の建売住宅が建った。まだバブルは弾けたとはいえ、今よりも住宅が高価だった時代、その8000万くらいの物件、どんな人が引越してくるんだろう?と思っていたのだけど。一階がガレージになっている所には何故かキッチンのような調度やガスボンベが何本も入っていた。それに たこ焼きとか焼きそばとかというのぼりも何本か。あまり広いとはいえない道にO興業と書かれたトラックも止まる様も見られるようになった。
「へ~ テキ屋さんか」と思った。テキ屋さんって結構お金があるって大学の授業でならったし(どんな授業だ)その時はなんとも思わなかった。
そうしてそこの家の長男(姉、弟の下の子)が息子のクラスに転校してきた。
その時も別になんとも思わなかった。

で、その秋の事、土曜日の夜だった。当時夫は今よりも忙しく、土日もなく職場に詰めている状態で家はかなりの母子家庭だった。その夜も夫はいなかったがもう10時過ぎ、子供たちは寝ていたし、私もお風呂から出て、そろそろ寝ようかなと思っていた時間だった。
電話がなった。
「Oの親だけど ××さんかい」と最初から居丈高な声のOのオヤジだった。
私は心当たりがなく、びっくりしたが、確か
「OO君のお父様ですか?はじめまして、なにかご用でしょうか?」と答えたと思う。
「ご主人はいるかい」とオヤジ
「主人は今日仕事で帰ってこないと思います。私がうけたまわりますが」と局
オヤジ 舌打ち
「お宅の息子がなあ 今日 家のO大に怪我をさせたんで そこんところ聞きたいと思って電話したんだけど、奥さんは知らないんか」
と最初から喧嘩越しのオヤジ。さすがにあせった私は寝ていた息子を起こしOのお父さんからO大君があなたから怪我をさせられたって言って電話してきているけど、覚えはあるか聞いた。息子は寝ぼけながらも ??状態 まるで覚えがないと言う。
身びいきで言うわけじゃないが、確かに彼はやんちゃで悪いこともしていたと思うが(苦笑)やったことをやらないと言い張るタイプじゃないし、どうせ検証すればわかるようなウソをつこうとするほどアホじゃなかったと思う。
様子を見て 多分これは誤解だなと私は確信した。
「申し訳ないんですが、うちの子は覚えがないと言っております。何か誤解があるのではないでしょうか?」と言ったら 烈火のごとく怒り出すオヤジ
「それじゃ あんたは家のO大がウソ言ったって言うんかい? お宅の息子がやったって家の息子は言ったんだよ」
私は頭に血が上りつつも極力レイセイであろうと努めた。
そして、水掛け論になりそうだったので、こちらから息子と二人で出向くことにした。

もう、寝る体勢だったが 本能的に私はしっかり化粧をして娘の学校用のお出かけスーツに着替えた。戦闘服のつもりだった。ここで女だと思って馬鹿にされちゃいけないぜ と言う身構えだったと思う。息子にも着替えさせ、当時小学校1年だった娘一人残して、Oの家に乗り込んだのである。
初めて訪れるOの家。チャイムを鳴らしたら、フィリピン系のお母さんがドアを開けてくれた。今まで挨拶はしたことはあるが話すのは初めてである。いつもはひかえめながらニコニコしている彼女の表情は硬かった。
玄関には タイマイの甲羅が飾られ、デコラティブな服を着せられた太ったチワワが出てきてワンワンほえた。
内心「すげ~ これがテキ屋の自宅か らしい!らしすぎる!」と思ったが 結構びびっていたことは否めない。
リビング兼応接間に通された。洋間だったが 床の間のようなところがあり、何かテキ屋関係の権利書(?)の入った賞状のようなものが飾られ、おまけに日本刀も飾られていた。(らしい、らしすぎる・・・・・)
そして 「あなた」とちょっとアクセントが違う日本語で呼ばれて二階から下りて来たOのオヤジ。私はその時オヤジとは初対面だったが、絵に書いたようなテキ屋であった。かなりきつめのパンチパーマ。はでなゴルフシャツ、おまけに袖口からは皮膚にお絵かきがのぞいているではないか・・・・

ひえ~~~~~
私は夫や実家の親にも告げず 単身(息子つきだが)乗り込んだことに後悔したわね。

          長くなったので明日続き書きます。
コメント (3)
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節分メニュー

2007-02-03 22:41:41 | 食べる
太巻きを恵方の方を向いてまるかじりにするって風習はいつ頃から定着したのだろうか? 関西は昔からあったらしいが、関東ではついここ3,4年くらいに広まった風習ではないかと思う。だいたいコンビニのしかけたことじゃないかと思うけど、スーパーやデパ地下なんかも巻き込んで、バレンタインデイなどと同じに定着しそうな感じでちょっとびっくりしている。

私もつい影響されて 今日は太巻き(卵、カニかま、かんぴょう、きゅうり)を作り、酢飯があるからついでにお刺身を買って手巻き寿司とそれだけだと寒いから豚しゃぶにした。




写真は太巻き(さすがに丸かじりはしないなあ)と 福茶
私の実家では 節分に必ず これを飲んだ。番茶の葉と豆まきの豆、梅干と結びこぶと栗を入れて熱いお湯を注いでいただく。栗は昔は勝ち栗を入れたそうだが、そんなもの今は探してもないから 「甘栗むいちゃいました」 を 入れてみた。
これが結構いい味が出て、私は昔から好きだった。



↑なんとたくさん食べなくてはならないんだろう(泣)



我が家の愛犬も数え年で10歳 結構嬉しそうに食べていた。

形ばかりの豆まきをして節分の夜が暮れた。
2月って受験とか定期試験シーズンで なかなかせわしなくて この行事も忘れがちだったけど、こういうものを ちょっと照れくさいけど家族でやってみるか って いうのもいいもんだなって思った。




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まつげエクステ

2007-02-01 20:28:51 | 日々の生活
友人にすすめられた まつげエクステに行ってきた。
今日はお試しのつもりで 自然に見える長さで 左右30本ずつつけてもらった。

すっぴん目↓



つぶると↓



要するに私はアイメーク~アイシャドウ塗ったり ビューラーでカールしてマスカラ塗ったりって言うのが嫌いなわけです。(面倒なんだもん)
家の娘は夫似の奥二重が悩みらしいが、芸術的アイメイクで目の印象と共に顔の印象が激変させる技術を持っている。ところが私みたいな幅広二重目ってあんまりメイクで変わり映えしないから研鑽を積むチャンスがなかったわけです。
だけど年取るっていや~なもんで 最近目力も衰えてきた感じもするし、心なしかまつげも薄くなった気がするし たまには塗ってみるかと思ったものの 修行が足りなくてどうもうまくいかない。
それで最近友人のまつげエクステだけのすっぴん目のインパクトに魅せられ 真似してしまった。

さすがに渋谷のファッションビルにいるおねえさんみたいにまばたくと音がするようなエクステはつける気がしないが、目立たないけど結構インパクトありますね、これは・・・

だいたい3週間~一ヶ月もつって言ってたけどいかがであろう?クレンジングオイルなどに弱いって言ってたから 目の周りの化粧をしなければいいわけですよね。

別に誰に見てもらいたいわけじゃないんだけど(苦笑)こういう自己満足にお金をかけて女はちょっと幸せになれるもんですね~ 




コメント (2)
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