一ノ関市にある世喜ノ一(せきのいち)酒造の、酒造りと文学の博物館に立ち寄りました。
醸造蔵の外、市道に面して、立ち上がる蒸気。活きている姿を、わくわく眺めました。
昔の醸造蔵のなかでは、当時の醸造の様子や器材の大きさ、重さに圧倒されます。
階段をあがり、酛を甕にいれこむ説明に、当時の酒造りの大変さが偲ばれました。
蔵の階段や、角飾りに使われた、餅花の枝。岩手県南部、一ノ関市や奥州市は、餅文化があるので、繭玉の他に、餅花も賑やかでした。
餅花を拡大すると、祝い酒樽まであって! なんとも不思議な光景でした。
蔵の中座敷、の再現風景をみると、お軸はやっぱり、松尾さま(酒造りの神様)でした。(ニッコリ)
蔵の神棚の前には、髪切り細工が下がる不思議! 細工が、お魚、打ち出の小槌に見えるのも、不思議でした。
神棚に挙げられた祝い絵の年号は、皇紀2683年…おぅ、令和5年! この神棚が活きておいでなのだと、おどろきました。
一斗瓶!初めてみました。十升入る硝子瓶は、手作りの品とのこと。
お酒を作り、販売する仕事の周りには、沢山の産業が関わっていると、気づきました。
昔の精米所の建物は、いまはビアホールに転用されているとのこと。
時代ごとの暮らしの中心に、醸造所はあったのだと、面白く尋ねました。
岩手県南部は、多くの近代文学者を生み出してきています。若き日の文学者が、豪商の家に寄宿し、執筆の道にあったことも、文学館や石碑から偲ばれました。
楓につつまれた、この碑にあるのは『あぁ、わたしのようなものでも、どうにかして生きたい。』、島崎藤村はこの地に寄宿していたのでした。切ない溢れるような言葉に、しばし、たたずみました。
▪️世喜ノ一酒造、一ノ関市
にほんブログ村 今日食べたもの