
なにせ足場が悪く着手を遠ざけてはいたものの、また何時なんどき太枝が落ちて来るやも知れず、担当部署に電話すれば処理してくれるだろうけれど、説明するのもうざったい。そもそも姥捨て山には公衆電話なんて文明の利器など無いのだった。てなもんや三度笠で、いつも通り不承不承のお約束、孤爺が孤樹を伐採する事にしたのだった。
ちなみにコジュケイは狩らない。愛妻家では無くても愛鳥家である。「あい、ちょうかい!」なんて言わずよく聞いておくべき事柄であって里山保全活動の一環なのだから。
さて態勢を十分に構えられない急傾斜で、すぐ下は擁壁で落ちている。始める前から十分な注意をせねばと腹を括り、神仏の御加護は無いにしても不測の事態だけは避けたいから道中、光明真言を唱えながら肝に刻む。チェーンソーを入れる前にも三度唱えるのは伐採樹に対するお詫びでもある。年輪までは数えなかったが、切断径は2尺に少々不足する太さで、先日に伐採したコナラとほぼ同径だったが足場は更に悪い。

手順通り「受け口」を刻まなければならないのだが立ち位置からは刃が見えない。チェーンソーの握り方も両腕を右方向にさしだしたようにして構え切断方向も自分向きになる方向なので痛い腕には負担だった。「受け口」の形成は「覗き見」も出来ず、感覚だけで行わざるを得なかったからやや小さく不十分だった。これが結果的に「伐倒」までには至らなかった一因で、更に立ち位置の向こう側にある20cmほどのひこばえの幹が邪魔をして主幹が折れた拍子にひこばえの切断面に乗ってしまったのだった。掛かった距離は5cm程度なのだがヤマザクラの木質は丈夫で潰れる事も無い厄介な状況を発生させてくれた。
ましてや倒した樹形を見ても歴然とするが太枝二本がつっかえ棒のように地面へ踏ん張っている。泣きっ面に蜂とはこのことであろう。伐倒可能空間は180度あるのだが太枝2本の重心には太刀打ち出来なく止むを得ない。安全作業を心掛けても人智体力の及ばない範疇は在るのであって綺麗ごとでは済まない事も多いのだ。

思案投げ首した結果、枝の先端部から切り離し、先端重量を軽減させ着地している太枝を切り詰める策にした。これも「行ってはならない危険行為・作業」の範疇だけれど、自然相手の作業では不可欠・不可避の出来事などいくらでも発生する。だからこそ大樹1本が相手でも理詰めも必要だし手落ちの無い手順で進行させなければならないのだ。行ったり来たりなどの無駄な動きとも思える事が極端に多くなる傾向の作業となったが、このひと手間ひと手間が安全確保には重要で、先手を使い口頭支持を出せば済むような慣れた人もいない現実では単独作業の方が身体的には厳しいものの安心感は高いのである。

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手の届く枝は落としても太枝2本が支えとなり着地しない。切断部を確認すると前述のひこばえの木口に乗っていて落ちないのだ。人力では動かせず、道具小屋まで牽引器を取りに行き横方向から曳き外した。だからと言って平坦部に落ちる訳もなく切断面から外れただけなので全体を林道まで落とさねば帰れない。
万が一でも林道上に落下する事態は考えられない状況はあるが、こういう状況を「放置」して現場を離れてはならないのも鉄則の一つであって、全てが可能ではないが可能な事は優先せねばならないのも安全確保行動として重要で具現化させなければならぬ。

昼近くになって刈り払い作業を終えたYさんが様子を見にやってきた。この時点では太枝の切り詰め作業に入っていたのだが、接地している2本の太枝を切断する際、主幹の重心位置に留意して交互に50cm程度づつ切り詰めていった。主幹は頭上だし太枝は2本接地していると言えど、片側を詰めれば重心位置は下がるし移動する。この際、思わぬ挙動もありうるから気は抜けないが枝は抜かねばならぬ。

なんとか昼のチャイムが風に乗って聞こえた頃には林道の中央部から排除出来た。この後の集積は急ぐ事も無く暇つぶしの作業で良いのだが、予定の作業が今回のような突発的な大作業で後回しになる事も多いのだ。ホント予定は未定であって、だからこそまあ、森の総合職、プロデュースの能力が必要なのであって、こんな時だからこそ「里山栗栄太」の本領発揮なのである。
しかしまあ、しんどかったのはいつも通りで、孤軍奮闘、伐採を終わる。やれやれで「昼喰ったら昼寝!」こういう飴玉が二度童には奏効なのだった。注意喚起を忘れず困難を乗り越えさせる持続力を生み出すにはマカや朝鮮ニンジン、スッポンだけでないのが姥捨て山であって「まーいいか」とか「挑戦忍人」とか「素呆」とかいろいろ必要だが無料だわい。
とにもかくにも無事終了したのは山神様、神仏の恩寵「お陰様で無事済みました」と言うしかない。しかしまだ玉切りした材の集積が待っていて、これも一筋縄ではいかず一筋ロープで牽引が必要だ。あーあ、仙路は続くよどこまでも・・・。