トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

今日のエッ!品「酒粕のクッキー」

2021-11-23 | 何よりの楽しみ
 かねてより用意していた酒粕1袋を使ってクッキーなのかクラッカーなのか、はなはだいかがわしいスイーツを作ったのだ。当初はクラッカー仕立てで考えていたものの、やはり粘度が妨げになってボテボテ焼きと相成ったのだ。まあ、愛があるから許せるけれど心情を吐露すれば哀そのものである。ここは自ら禿げ頭を「いい子いい子!」と撫でて慰めておこう。些細な事の様でもカバーが完璧なら人間、凹む事も道を踏み外す事も無い。レシピは以下の通り。

             酒粕        300g
             バター油脂類     30g(バターが無くバター30%含有のマヨネーズ状油脂を使用)
             砂糖        大さじ3
             卵           1
             ベーキングパウダー 小さじ1
             シナモン      少々
             薄力粉       適量(粘度調整用だ。お茶漉し3杯程度使ったか)

 薄力粉以外を全て混ぜたら、やはり緩々になってしまった。型抜き出来る程度まで固くするために薄力粉を加えて調整したのだがお茶漉し5杯程度まで混入しないと型抜きが出来そうもない。型抜きは諦め、試作だから早く試食する算段でボテボテ焼きにした。
 170度15分焼く。裏面は軽く焦げ目が付いたが表面はほとんど変わらない。少し冷ましてから半分試食してみると、火は通っているけれど生地と同じ程度の緩さが残っている。酒粕の性質上、水が抜け難いのは予想してはいたものの「半生お菓子」風では意に添わず二度焼きした。

 150度20分焼く。全体に焼き色は濃くなったものの水分が少なくなった印象は薄い。冷却台に乗せ冷えるまで我慢・辛抱・イライラ待っていたらおやつの時間はとうに過ぎ去って、今日も空茶と相成ったのだ。まあ、端的に言えば愛無くて哀成ったのである。これも人生の楽しみでお八つみたいなもんじゃぁ焼き焼き。
 食感はソフト、酒粕ベースなので咀嚼していると歯にまとわりつく。砂糖の甘さもシナモンの風味も感じられないのは、砂糖は少なめにしたし、シナモンは酒粕の風味に負けたのだろう。この点はどっちでも構わない。

 焼き1回目 ➡   二度焼き後

 酒粕が主材料なのは酒粕の栄養成分を手軽に摂取出来ないかと考えたからで、甘酒より高温で加工するから成分の変性や喪失も有ると思われるものの、気分は損なわれない。小麦粉ではなく玄米粉を混合したかったが全て使い切っていた。新たに挽いて用意する気にもならず薄力粉にしたのだが、混ぜ合わせでグルテンが生じるから玄米粉よりネチネチするだろうし水分は抜け難くなるのは道理であろう。その点、米粉はグルテンが生じないから混ぜ合わせが必要な段取りでは役に立つ。食感も随分と変わるだろう。再試行は小豆クラッカーの後にする。

「ニンジャーッ!」隠形の術・・・極まる!

2021-11-23 | 小父のお隣さん
 越冬蛹や幼虫も種によって姿や場所はまちまちなのだが、棲む場所が街なのは知らないもののお菊虫は自宅にぎょうさんくっついておる。これがまた派手で色彩もさまざま、「私ここにいます!。振袖よ!」てなもんや三度笠。まあ、毒々しいと言うべきかおどろおどろしと言うべきか、虫によらずけばけばしいのに「毒がありそう」なのは浮世も似た様なもので粉飾とは良く言ったものだが叩けば埃が出るという事なのかどうか。
 でもしかしチョウ類が鱗粉を纏っているのは「粉飾」であるとは露ほども思ってはいませんよ…。

 さてエノキの葉、まだ緑が残っている樹では食べている幼虫がいる。すべてがギリギリまで食べ続けるのかと思いながら越冬位置に座を決めた幼虫が居るかどうか確かめたくて眺めていたら数体を確認できた。葉の上で確認できた個体は2頭だけだったから、それに倍する幼虫が生息していたことになる。食痕はあっても簡単には視認できないのは保護色のお蔭だろう。

   



 保護色と言って良いのか擬態と言うべきなのか偽装なのかどうか判然としなくなったのは老眼や乱視のせいばかりではない生きる事にくたびれ果てた老化脳のストライキみたいなもんか…。
 一方で、先日に蛹化を開始した個体の様子を確認したくて立ち寄ったら、当然ではあるけれど蛹化が終わっている。そしてなんと見事な古色蒼然とした体表で枯れ枝の突起のように見せている。子細に見れば見る程、その筆のタッチに感心する。迷彩模様と一口で言えるけれど布地の迷彩模様など比較にならない芸術品で、ただただ眺めいってしまうだけだった。なんでこうなるのぉー。あの議員様たち、官僚様たちと全く同じなのではないかい。「類は供を呼ぶ」諺は知っているものの種を越えて繋がるとは、いやはや愚弄張極まれり・・・。

   

 このような姿を見るたびに忍者を思い出すのだが、フランス映画の「タクシー」だったか、狂言回しの警察署長の台詞「ニンジャーッ!」で再生されてしまう。もう摺り込まれているも同然で少々迷惑なのだが今更記憶の交換も出来ぬ。忘れてはいけない事は忘れ、忘れたいのは忘れない。「忘却とは忘れ去る事なり」棒脚とは疲れ切った事なり!。某脚とは雲隠れする早い脚の事なりけり。あの人、ボーナス200万円受け取るのだろうか。手も足も出せない議会は機能しておらず越冬幼虫に同じだ。それでも歳費満額獲るのだから、コロナ窮乏大拡散のおり「やらずぶったくりの」類で「ニンジャーッ」も泥炭火災のように拡大中。