「肩が痛い!」とて自宅にいるだけでは耄碌するだけである。作業療法のつもりで水源地に行った。行う作業はただ一つ、粛々と砂礫を掘り続ける事なのだ。砂礫にスコップを押し込むのは長靴で踏み込めば入るけれど砂礫に入った剣先に砂礫を載せて起こすには右手でスコップの握りを下げて剣先を上げねばならない。要はシーソーの様にするだけなのだがこの時が痛いのだ。砂礫の載った剣先を速度を付けて放り上げるのも右腕を伸ばす事になってやはり痛みが来る。仕方が無いので動作は小振りになる結果、掘り出される砂礫の量も「それなり」なのである。
それでも「やらないよりは進む」とボチボチ作業を続けて身体が温まる頃合いで撤退する。いつ果てるかも知れない砂礫掘りに痛みをこらえてやったところで長引かせるだけだろう。しかしながら送水条件の不具合は長引かせる訳にはいかず、現状の砂礫層の透水が止まれば水域は全滅するのは必至なのであって、これは時間との勝負でもある。さて何時もの様に脱線するのだが、ここに柴犬がいれば「ポチ‼ポチ!」と慰み相手にもなるけれど生憎「愛犬同行」にはならず、昔、飼っていたキャバリアはリードを外せばダッシュして迷子になる馬鹿犬だった。ものの本には「愛玩犬として育種された犬なので訓練性能は低い」とあり納得したのである。
さて、深く掘れば掘るほどすり鉢状の開口部は広げなくてはならないし、掘り下げる深さで排出される砂礫より深さを温存するために掘り出さねばならない砂礫の量が圧倒的に多くなる。この日の最深部はスコップの剣先を押し込めるだけ押し込んで、掘り始めからスコップの長さ程度までに達したけれどまだ構築物には当たらない。まあ、直下にあるかどうかさえ判明しない場所を掘っているのであるから当然なのだが「山の神様、水の神様、助けてください!」と沢の中で独り叫んだところで信仰心の無い孤爺には木霊さえ帰ってこないのだった・・・。ああ!天も行政も取水復活の助けにはなりそうも無く「天は自ら助ける者を助ける」はまやかしなのであった。かくして孤爺は災の河原の砂礫掘りをボトボトと行う。