3連休の中日は午前中と夕方にマンションのお仕事がありました。奥さんは昨日、今日と娘の吹奏楽のイベントでドタバタしているため、食事の準備や片づけ、洗濯物、買い物、留守番など家事も全てパパの仕事です。昨日は息子がiphone5を買いたいと言うので近くのAuショップに連れて行ったのですが、本人確認の学生証が必要となって一旦戻ってきたり、夜は突然娘から迎えに来てほしいと電話が入って息子が塾から帰ってくる時間と重なるためヒヤヒヤしながら車を飛ばしてお迎えなど・・・何だか息つく暇もなくドタバタと1日が過ぎ去っていきます。それでも今日は午後から3時間ほど空き時間があったため、上川霊園へ先祖のお墓を掃除に行って、そのついでに以前から気になっていた大仙寺を訪れてみました。
大仙寺は「八王子上川やまゆりの里」として八王子市のHPにも紹介されています。説明によると、「八王子やまゆり咲かせ隊」の皆さんが平成17年より八王子市の花でもあるヤマユリを絶滅から救おうと活動が始まり、6年の歳月をかけ「八王子上川やまゆりの里」として復活。その矢先、昨年は病気が多く発生してしまったようです。
大仙寺は秋川街道の南側に広がる丘陵地の高台に佇み、山門手前の北斜面には沢山のヤマユリが見られます。イノシシによる被害を防ぐためでしょうか、一帯は電気柵で囲われています。
斜面の上のほうにピンク色の山百合が咲いていました。中に入れないのが残念ですがズームしてみました。
帰りに本堂をのぞいてみました。インターネット情報によると、大仙寺は鎌倉時代の建暦二年(1212年)、源実朝の開基によるもので、開山は頼空上人と伝えられています。安土桃山時代の天正十八年(1590年)に焼失し江戸慶長7年(1602年)に再興。由緒ある真言宗豊山派のお寺です。暫く無住時代が続いたが、あきる野市の大悲願寺の末寺となった記録も残されているみたいです。
鐘楼です。その向こうには山門が見えています。山門を下ると両側にヤマユリの群生がひろがります。
山門とは反対側の坂を下ると、とっても古そうな石仏群が佇んでいました。
大仙寺は「八王子上川やまゆりの里」として八王子市のHPにも紹介されています。説明によると、「八王子やまゆり咲かせ隊」の皆さんが平成17年より八王子市の花でもあるヤマユリを絶滅から救おうと活動が始まり、6年の歳月をかけ「八王子上川やまゆりの里」として復活。その矢先、昨年は病気が多く発生してしまったようです。
大仙寺は秋川街道の南側に広がる丘陵地の高台に佇み、山門手前の北斜面には沢山のヤマユリが見られます。イノシシによる被害を防ぐためでしょうか、一帯は電気柵で囲われています。
斜面の上のほうにピンク色の山百合が咲いていました。中に入れないのが残念ですがズームしてみました。
帰りに本堂をのぞいてみました。インターネット情報によると、大仙寺は鎌倉時代の建暦二年(1212年)、源実朝の開基によるもので、開山は頼空上人と伝えられています。安土桃山時代の天正十八年(1590年)に焼失し江戸慶長7年(1602年)に再興。由緒ある真言宗豊山派のお寺です。暫く無住時代が続いたが、あきる野市の大悲願寺の末寺となった記録も残されているみたいです。
鐘楼です。その向こうには山門が見えています。山門を下ると両側にヤマユリの群生がひろがります。
山門とは反対側の坂を下ると、とっても古そうな石仏群が佇んでいました。