ウリパパの日記

自由気ままに・・・

友部のお菓子のお店 「くりーむ」 2015.12.23

2015-12-23 19:45:59 | グルメ・お店
ドライブから戻り遅い昼食をとってから部屋を大掃除。一息ついてから近くのスーパーへ買出しへ出かけました。いつもは会社帰りの夜に立ち寄っているので、今日のように明るいときに出歩くと新鮮な気分です。

早速スーパーの近くにお洒落なお菓子屋を発見。買い物が終わってから寄ってみました。お店の名前は "くりーむ"。笠間の栗とクリをかけているのでしょうか。笠間の栗を使った美味しそうなお菓子やケーキが陳列されています。明日はクリスマスですね。一日早いけれど、どうしようか・・・


笠間ブランド栗「極み」を使用した笠間のモンブランを衝動買いしちゃいました。

栗がとっても大きく、甘くて美味しいですね。モンブランは甘さ控えめですが、結構ボリュームあって大満足でした。
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八溝山から涸沼までドライブ 2015.12.23

2015-12-23 19:30:07 | 茨城県
今日は天皇誕生日の祝日です。昨夜は先週に続いて忘年会で帰りが遅くなったため、自宅に戻らず茨城県で過ごすことにしました。天気が良ければ日中筑波山に登り、夕方は茨城県南部からダイヤモンド富士を狙っていたのですが、あいにく天気は下り坂・・・

いつもと同じ朝5時に目が覚めてしまいました。上空は星空が広がっています。しかし茨城県南部から雲に覆われ始めているようです。北ほど天気がよさそうなので、急遽八溝山まで行ってみることにしました。朝5時40分に友部のアパートを出発。いつもと同じルートで、内原から茂木街道を経由、御前山から県道を利用して常陸大宮の北で国道118号に合流。大子町を抜けて茨城県最北の八溝山へ至る約100kmのコースです。早朝は道が空いているので1時間40分で山頂の展望台に到着しました。

今日も先客が1名いました。青空が広がっているのですが湿度が高いせいか遠くの山々は霞んでいます。東の空には薄雲が広がり美しいハロを見ることができました。山頂から見るハロは実に雄大です。


期待した遠望は全く得られず那須連山がうっすらと見えた程度でした。到着した時には高原山の右奥に冠雪した山々が姿を見せていましたが15分ほどで霞んでしまいました。安達太良山や筑波山も全く姿を現しません。日が高くなれば湿度が下がり多少遠くまで見えるようになるかもしれません。しかし山頂は風が冷たく風邪を引きそうなので、今日は退散することにしました。

袋田の滝は紅葉の時期に訪れたばかりです。この暖冬では結氷も期待できないためパスし、竜神大吊橋へ向かうことにします。


大子町から国道461号と県道33号を20分ほど南下して竜神ダムの上部に到着。前回ここを訪れたときは営業時間外のため外から眺めて終わりでした。今日は310円払って375mと本州一の長さを誇る橋を渡ることができました。


橋を渡ってから振り返ります。日当たりの良さと暖かさのためロウバイが早くも満開です。


ダム湖面よりの高さは100mあります。橋の上からの眺めは絶景です。きゃーっと悲鳴が聞こえたので何事かと思い展望台にかけつけたところ、なんと、この橋の中央部からバンジージャンプをやっているではありませんか。残念ながら、落下する姿は見ることができませんでした。


ズームしてみるとサンタクロースの格好をした女性の方です。勇気ありますね。私にはとても無理です。

もう一人飛ばないか暫く待っていましたが、その気配がありません。天気も下り坂のようなので、今日の最終目的地である涸沼へ向けて先を急ぎます。

県道33号から県道29号で常陸大田へ向かい国道349号を南下する予定でした。しかし常陸大田市内で道に迷い、いつの間にか県道61号を走っていました。戻ろうかと思ったその時、右手に古刹がチラッと見えたので急遽寄り道することにしました。


常陸太田市にある真言宗豊山派の古刹である佐竹寺です。山号は「妙福山」、院号は「明音院」と号します。山門は最近塗り替えたらしく朱色が鮮やかです。


本堂です。明治39年(1906年)に国の重要文化財に指定されました。以降、茨城県教育委員会のHPから引用します。

佐竹寺は真言宗智山派で妙福山明音院と号し坂東22番の札所である。佐竹氏の祈願所として発展した。当初は稲村神社の北の洞崎の峰にあり、観音寺と称したという。1543年(天文12)に兵火にあい、同15年に現在地に再建された。
本堂は茅葺き屋根の寄棟造りで、桁行き五間、梁間五間の主屋の周囲をこけら葺きの裳階をめぐらして、正面中央に唐破風をあげている。元禄時代に大きな梁を入れて堂内の6本の柱を抜き、床を取り去り、格天井を設け、窓や戸口の周囲を改造して裳階を付けるという大改造が行われている。正面の火頭窓や柱・外陣の繋ぎ梁の海老虹梁や組物などに、桃山時代建築の先駆としてのつくりを残している(引用終わり)


近くに稲村神社が佇んでいると案内図に記載されていたので、さらに寄り道しました。参道入口です。寂しい参道が200mほど続いています。


神門前の鳥居です。


階段を上がると正面が拝殿です。神紋は水戸徳川の葵の紋です。水戸光圀が天神七代の神々を稲村神社に合祀して七代天神宮と称し、社殿を修理し、扁額をかかげ神宝を奉納し、自ら祝詞を奏上して鎮座祭を行ったそうです。


本殿です。現在の本殿は光圀の時代より後に立てられたものです。


本殿の裏手に稲村神社の摂社「雷神社」がありました。説明によると、

「続日本書紀」等に嘉祥2年(849年) 稲村神は旱魃の時に祈れば必ず雨を降らせてくれるので官社となり、従五位の位を授かりました。のち雷神社が摂社として独立し「雨乞い神事」が始まりました。雷神の石祠を中に入れて「神輿」を作り町内を練り歩きました。

昔はここに祠があったのでしょうか・・・

寄り道が長くなってしまったので先を急ぎます。会社(エレベータ実験棟)を右手に見て、工場団地から、なかみなとへ向かいます。


途中ひたちなか海浜鉄道の踏み切りを横断しました。キハ205系に遭遇。車内からコンデジでパチリです。


午後1時過ぎ、最終目的地の涸沼に到着です。アパートから東南東へ20kmと比較的近くにありながら一度も訪れたことがありませんでした。網掛公園で休憩。湖の向こうには筑波山から笠間市の山々がうっすらと見えています。


走ってきた大洗町方面です。すっかり雲が厚くなってきました。涸沼はもともと海だったところが那珂川の堆積作用で封鎖されて湖となりました。従って海抜0mです。海の干満と同じく1日2回水位が約40cm(大潮のときには最大90cm)上下し満潮時には海水が涸沼川を逆流するのが見られるそうです("いこいの村ひぬま"のHPより引用)。涸沼はしじみの産地でもあるようで、あちらこちらで案内の看板を見かけました。


最後に筑波山をズーム。天気が良ければ今日登る予定でした。アパートから一番近い日本百名山なので、早く制覇したいところです・・・
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