大洗港で魚釣りが終わってから、コンビニで軽く昼食を食べ、水戸市の薬王院へ向かいました。上空には雷雲が発達し、雷鳴が聞こえてきます。薬王院は平安時代初期、桓武天皇の勅願により創建されたと伝えられる天台宗の古寺です。関東唯一の青蓮院直末の天台寺院であり、かつては、北へ800mほど進んだところに位置する常陸第三宮吉田神社の神宮寺として栄えました。江戸時代まで、時の権力者や領主などの庇護のもとに栄華を極め、現在、本堂は国指定重要文化財に指定されています。
地図を見ると、薬王院の北に吉田神社、すぐそばに吉田古墳、南には元吉田地区が今でも残り、この一帯は古くから信仰の拠点になっていたことをうかがい知ることができます。
寺院の敷地の一番奥まったところにある駐車場に車を停め、仁王門方面へ向かいます。境内の案内図です。
薬王院の文化財ついての説明です。見学できるのは本堂、仁王門、五輪塔です。
まずは近くの五輪塔を見学します。塔の高さは225cm、安山岩の五輪塔です。水戸市指定重要文化財となっています。この塔は松平亀千代丸の供養のために建立されました。薬王院のHPより引用します。
松平亀千代丸は、水戸藩初代藩主である徳川頼房の次男として生まれました。二代藩主光圀の異母兄にあたりますが、光圀誕生の年、寛永五年に夭逝しました。
「水戸紀年寛永五年戊辰の条」に、「公子亀千代丸君卒ス。水戸薬王院二葬ル。後、瑞竜山ニ改葬ス」とあり、この改葬に際して、地中に埋葬されたものが、近年薬王院境内を整理中に発見され、新たに整備されたものです。引用終わり。
ちなみに、我が家の先祖のお墓(祖父が建立)も同じ五輪塔です。10年近く前に福島のお墓から八王子の上川霊園に移しました。
続いて仁王門です。道路から本堂方面を眺めます。寄木造り、茅葺きの八脚門で低い基壇の上に立ち、正面は連子で、その中に仁王像を安置しているので、外から仁王像は見えません。脚固貫のところにぐるりと長押を周している手法は大変珍しいものとされています。茨城県指定有形文化財となっています。
境内側からの眺めです。
石畳の参道の両側に2本のイチョウの老木があり、その先に目指す本堂が姿を現します。
向かって右側のイチョウは水戸市の保存樹に指定されています。樹高22m、幹周4.4m、推定樹齢は500年です。
大きな銀杏の実が鈴なりです。
イチョウの老木の奥にはクスノキの大木。こちらも水戸市の保存樹です。樹高はイチョウより高い26m、幹周はイチョウより少し小さい4.35m、推定樹齢は180年です。
石畳の先に佇む国指定文化財の本堂です。とても大きく、頑丈そうで貫禄ある姿です。
本堂の説明です。字が小さいので薬王院のHPと水戸市のHPから以下に引用します。
薬王院は平安時代の開基といわれ、第50代恒武天皇の勅願により、大同2(807)年に伝教大師最澄が創建したものと伝えられています。薬王院本堂は、大永七年(1527)6月に前本堂の焼失に伴い、薬王院の外護者であった江戸氏のもと復興に着手し、享禄三年(1530)に完成しました。江戸時代になると貞享四年(1687)光海法印の代に、光圀公の外護のもと修理が行われ、南向きであった本堂が東向きに改められています。
昭和43(1968)年にも解体修理がなされました。芽葺型銅版葺入母屋造の堂々たる姿で、室町期の建築手法を今日に伝えています。
本堂内には、本尊薬師如来と十二神将立像が安置されています。
室町期の建築です。500年前なのでイチョウの樹齢とほぼ同じ。この本堂が復興再建された時期に、イチョウも植樹されたのでしょう。
斜め横から見た姿です。
本堂を後にして四脚門へ向かいます。水戸市のHPから引用します。
本柱2本の前後にそれぞれ2本の控柱があり、本柱を除いた柱が4本ある門のことを四脚門といいます。構造については、側面から見て妻が見える切妻造で、現在の屋根は関東には少ない本瓦葺です。
門に彫られた彫刻です。右側は龍、左は?この彫刻には江戸時代中期の特徴的な手法が見られること、江戸時代中期以降には見られない垂木の反りが見られることなどから、江戸時代中期の建造物であると判断されているそうです。
門をくぐり振り返ります。
四脚門の先には回向堂。法要などの際にはこちらが現在使われています。
回向堂の前で見かけました。この動物は何?
(おまけ)
笠間では栗の収穫を迎えています。
友部周辺の栗畑では、イガイガが弾けています。