彦根へ行ってきました。
彦根は仕事以外でも何度も訪れるところやけど、
今回は、子どもたちに絵画や造形を教えているという、
「シブヤ美術研究所」を訪ねました。
もちろん、お仕事やけど、主宰の渋谷先生から、
この界隈が、かつての「足軽組屋敷」のある地域やと聞いたので、
取材後に、このあたり、芹橋2丁目を少し歩きました。
芹川に平行して細い道が2筋走り、その道に垂直に交わる16筋の道の両側に、
短冊型の敷地が整然と区画されています。
彦根藩の足軽衆・善利組(せりくみ)がこのあたりに住んでいたらしいのですが、
同じ大きさの土地(50坪らしいです~)に、同じような家って、
なんか、社宅というか、公務員住宅みたいな感じですね(笑)
道幅は3m弱ですね。ところどころくねっていたり、
十字路がぐいちになっていたり、行き止まりになっていたり、
城下町らしく、直線が避けられているつくりになっています。
「どんつき」とか「くいちがい」と言うんやって。
お城の防御のためにそういう道にしてるんですね。
(彦根仏壇で知られる、「七曲がり」もそうですよね~)
で、ここに、足軽衆が住まわされたんですわ。
足軽衆の住まいなので、武家屋敷風ながらこじんまりしてるようです。
区画割りがそのまま現在に至っているのも面白いのですが、
かつての趣を残すような、白壁の土塀や蔵などがあるかと思えば、
新しい家も多いんですよ。アパートもありました。
瀟洒な現代風の建物に建て替えられたり・・・しかも、大きい家が多いんですよ。
かつての足軽衆も、今はお金持ちなんでしょうかね?
狭い道なので、車も少ないしとても静かです。
でも、ちゃんと車庫があるし、大きな乗用車も止まってたりします。
ま、3mもあれば、車は通れますけどね~
これは、十字路に置かれてたという、「辻番所」とよばれる建物。
角に小窓がつけられているんやけど、この窓から敵を見張ってたらしいです。
いわゆる「見付け番所」。
足軽屋敷もやけど、こういう建物が残ってることが珍しいですよね。
彦根景観フォーラムが編集している、「彦根歴史散歩」によれば、
芹川も、もともとは今の位置ではなかったらしいです。
もっと北に向かって流れてたみたいですよ。
彦根城築城の時に、お堀として使うために付け替えられたんやって。
計画的に城下町を作ったようで、身分によって住む地域が異なったんですね。
日が暮れ始めた頃に、この界隈をうろつくオバサンひとり・・・
めっちゃ、怪しいけど・・・
お城が見えるすぐ側に、こういう町が残ってるんやね~
発見は他にもいろいろあったんやけど、
彦根は、歴史ある町やと、つくづく思いますわ~