おかんのネタ帳

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高知城

2014-04-18 23:48:22 | 旅の想い出
二日目は曇り。朝イチで、高知城へ向かいました。
山内一豊の居城として知られる高知城。
築城は1603年。関ヶ原の戦いの3年後ということになりますね。



出発は、お城の入り口、追手門から。
小さなお堀があっ・・当時の1/3しか遺っていないらしい。

1727年に、城下の火災で天守などを焼失しますが、この追手門だけは、
当時のまま遺ったらしい。他の建物は、その後に建て替えられたものだとか。
枡形に築かれた石垣は3方から敵を攻撃できるものだとか。



ちょうど、門をくぐったところで石垣の修復工事を行っていました。
野面積みの手法のよう・・穴太衆ですかね~?

門をくぐって左手の石段を登っていくと、もう天守が見えてきます。



右手は、三の丸があったとされる場所の石垣。
2010年に石垣の修復工事が行われたようですが、
このあたりは、打ち込みハギという手法で築かれたもので、
追手門の石垣とは異なるし、再建当時に積まれたようですね。



「ロッククライマーやったら、登れるんちゃうか~?」

ダンナが言うねんけど、確かにそんな気もしなくもなく・・・



このあたりは鉄門があったと言われるところ。
当時は門扉に小鉄板が打ち付けられていたとか。
この先は、枡形になっていて、目の前に詰門があります。



詰門は、右手の二の丸と左手の本丸を結ぶ櫓門で、
敵がまっすぐ前に進めないようになっているんですね。

左手の石段を登り、二の丸から本丸に向かいます。



高知城は12ある、現存する天守の一つですが、
唯一、本丸御殿が当時のまま遺っていることで知られています。
本丸御殿は、城主が暮らした家ですけど、実際に、山内一豊も、
奥さまの千代さん=見性院と、二の丸御殿ができるまで暮らしていたとか。



本丸御殿と、奥に天守がそびえている本丸。
焼失後、1749年に再建されたもの。
4層6階で、創建当時のものを周到して再建されたようです。

入母屋の屋根に唐破風、黒漆の高欄、
小ぶりながら、特徴あるたたずまいですね。



本丸御殿の中ですね~



天守の最上階。



三の丸を見下ろしたところ。  

お城は防御のための建物。
「矢挾間」や「石落とし」のほかに、「しのび返し」があるのが特徴。



すごいもんが造ってあるんですね。
ロッククライマーな忍者が来ても、これがあればそれ以上は登れないと。
実際に活躍したかどうかは知らんけど、江戸時代は平和やったはず。

もう少しゆっくりしたかったけど、まだまだ行きたいところがあるんで、
今回は、このへんで~

あ、そうそう、高知では桜が終わった時期とはいえ、
お城のわりには、桜の木は少ないような気が~
梅林とかはるみたいやけどね。