天気予報がよく当たるというか、また雨ですね。
わが家のオープンハウスの初日も、雨でした。
その日はダンナも休みで、家にいても居場所がないという・・
なので、ダンナと信楽の多羅尾まで行ってきました。
多羅尾代官屋敷跡が、29日まで公開されていると聞いたからです。
今まで何度か、このそばを通ったことがあるんやけど、
私有地なので、中に入ることができなかったところです。
柵越しに、石垣がチラッと見える程度・・・
でも、その石垣が気になるやないですか~
そういう声に応えて、地域おこしの願いを込めて、
地元の人が所有者に働きかけて、公開が実現したそうです。
入り口。信楽の市街地から奥まった里山。
お天気がイマイチなせいか、土曜日でも訪れる人もなく、
ひっそりとしています。
右に斜めに石垣が伸びています。
左に、古写真を引き伸ばした大きなパネルがありました。
明治30年頃に撮影されたらしい写真だそうです。
多羅尾氏は、在地領主として栄えた甲賀武士。
天正10年の本能寺の変の時、和泉の国・堺にいた徳川家康が、
本拠地の三河へ急ぎ戻ります。このとき、宇治田原から信楽の朝宮に入り、
伊賀・伊勢を通ったらしいのですが、その伊賀越えに、
多羅尾氏が関与したと言われています。
その功績が認められ、江戸幕府が開かれたあと、
多羅尾氏当主は代官職を任ぜられ、江戸期の慣例に反して、
10代にわたって代々、代官職を世襲したそうです。
石垣の坂道は、歩けるように整備されてます。
上り詰めると・・・
一面が、カエデの絨毯が~
古い地図の写真もパネルになってました。
かなり広い土地です。
現存する建物はないのですが、居宅もあったようです。
石垣がキレイに残っている多羅尾代官屋敷。
もう少しゆっくり見たかったけど、なんせダンナと一緒やし、
お天気もイマイチなんで・・・・また次回・・・
公開は29日まで。
わが家のオープンハウスの初日も、雨でした。
その日はダンナも休みで、家にいても居場所がないという・・
なので、ダンナと信楽の多羅尾まで行ってきました。
多羅尾代官屋敷跡が、29日まで公開されていると聞いたからです。
今まで何度か、このそばを通ったことがあるんやけど、
私有地なので、中に入ることができなかったところです。
柵越しに、石垣がチラッと見える程度・・・
でも、その石垣が気になるやないですか~
そういう声に応えて、地域おこしの願いを込めて、
地元の人が所有者に働きかけて、公開が実現したそうです。
入り口。信楽の市街地から奥まった里山。
お天気がイマイチなせいか、土曜日でも訪れる人もなく、
ひっそりとしています。
右に斜めに石垣が伸びています。
左に、古写真を引き伸ばした大きなパネルがありました。
明治30年頃に撮影されたらしい写真だそうです。
多羅尾氏は、在地領主として栄えた甲賀武士。
天正10年の本能寺の変の時、和泉の国・堺にいた徳川家康が、
本拠地の三河へ急ぎ戻ります。このとき、宇治田原から信楽の朝宮に入り、
伊賀・伊勢を通ったらしいのですが、その伊賀越えに、
多羅尾氏が関与したと言われています。
その功績が認められ、江戸幕府が開かれたあと、
多羅尾氏当主は代官職を任ぜられ、江戸期の慣例に反して、
10代にわたって代々、代官職を世襲したそうです。
石垣の坂道は、歩けるように整備されてます。
上り詰めると・・・
一面が、カエデの絨毯が~
古い地図の写真もパネルになってました。
かなり広い土地です。
現存する建物はないのですが、居宅もあったようです。
石垣がキレイに残っている多羅尾代官屋敷。
もう少しゆっくり見たかったけど、なんせダンナと一緒やし、
お天気もイマイチなんで・・・・また次回・・・
公開は29日まで。