日々、出てくる情報に心が痛みます・・・
ホントに、祈るしかないもどかしさを感じますね。
東日本の時もそうやったけど、わずかながらの義援金しかできないです。
何度も大きな震災があって、経験を活かした救援が行われています。
それでも、どうにもならないこともあります。
本当に、これ以上の犠牲が出ないこと、
早く余震が治まることを、お祈りしています。
夫婦円満温泉の旅から帰ってきて、震災がおこり、
ほんま、気持ちが沈んでしまってるのですが、
思えば旅の途中から、テンションが下がったのでした・・・
せっかく白浜まで行ったのに、
せっかく温泉に入ったのに、
翌日の13日水曜日。
白浜アドベンチャーワールド、
休園日やったんです~~涙
え~っ、
パンダに会えへんのん~~~涙
せっかく行ったのに・・・
まぁ、ちゃんと調べていかない私が悪いねんけど、
まさか、季節の良いこの時期に、休みがあるなんて・・・
あっちゃ~~!!
おそらく、春休みが終わり、GWに向けてのメンテがあるんでしょう。
急遽、iphoneで調べたら、翌週の20日の水曜日も、お休みとのこと。
しゃあないので、検索いっぱいしましたがな。
「たま電車の貴志川線に、ニタマ駅長を見に行こう!」
初代のたま駅長が亡くなって、ニタマが就任してるはず・・・
調べましたよ・・・・そしたら・・・
水曜日は、ニタマ駅長は公休日ですって!
貴志駅に、出勤してないんかいな!
しゃあない。
次を調べましたがな。
和歌山市加太沖に浮かぶ、戦争遺構のある無人島・友ヶ島!
旧陸軍の要塞跡が残るという神秘的な島は、
ハイキングルートがあるというので、人気のスポットです。
調べたら・・・
火曜日・水曜日は、フェリーが運休・・渡られへんやん!
え~っ、ことごとく水曜日は休み。
そういや、レストランとかも休みが多い。
水曜日は鬼門ですやん!(涙)
仕方ないので?
年中無休のところへ行きました。
ま、最初から、ここへは行く予定でしたけどね。
和歌山城! 年中無休!
現在の天守は昭和33年に再建されたもの。
1798年に落雷で消失、御三家ということで特別に許されて、
1850年に、ほぼ元のまま再建された天守は、昭和20年の空襲で消失。
岡口門と底に続く土塀は、1621年に建てられ、
空襲にも焼け残った数少ない遺構で、重要文化財。
手前にトイレがあるんやけど、一応しっくい仕様の建物。
天守の最上階からの眺め。
海が見えますね~
西の丸庭園。
奥に、珍しい、木造の橋廊下があります。
西の丸と向こうがわの二の丸とを結ぶ橋で、
奥女中らが通るために壁や屋根を付けたとか。
傾斜があります。
これは、復元された平成の建物。
入り口はこんな感じ。
建物は焼失しても、石垣は遺っています。
時代によって積み方が異なるのですが、和歌山城も、
古くは創建時代の秀吉の頃に積まれたものもあるようです。
城造り名人といわれた、藤堂高虎が手がけたとか。
関ヶ原の戦い以後は、浅野幸長が城主になり、
連立天守や、本丸、二の丸、西の丸が建てられたようです。
西の丸の近く、鶴の渓にある石垣は、野面積み。
自然石を積んだなだらかな石垣、秀吉の頃のもの。
本丸付近の石垣は、打ち込みはぎ。
石の表面を荒く加工して接ぎ合わせて積んだ石垣。
浅野期、その後の、御三家になった徳川時代に積まれたもの。
こけむしてますね。
地元産の砂岩をつかっているそうです。
このあたりは、もう少し新しく、切り込みはぎで算木積み。
角がシャープな算木積み。
熊野の花崗岩が使われているらしい。
石垣の高さはそれほど高くないけど、400年以上前に、
こういう技術があったことが素晴らしい。
なので・・・
熊本城の石垣の崩壊は、ショックです・・・
当時のままの建造物の約半数が壊れているとか。
「東十八間櫓」、「北十八間櫓」、「五間櫓」と
櫓門の「不開門(あかずのもん)」が倒壊。
現存する最大の建造物である「宇土櫓」でも続櫓の一部分が壊れたとか。
重要文化財やからね・・・
ちなみに、石組みの権威である穴太衆の末裔が、やはり、大津にいはります。
何度も、メディアにも登場されている粟田建設。
「石の心の声がわかる」穴太衆の口伝の技術を受け継いでいる方が、
熊本城の石垣の修復には、お金も日数もかかるとおっしゃってました。→ こちら
加藤清正が手がけた城、あの「武者返し」という勾配の急な石垣。
現代の技術と合体して、熊本県民のシンボルを修復させて欲しいです。
しばらく、熊本には行けないなぁ・・・
ホントに、祈るしかないもどかしさを感じますね。
東日本の時もそうやったけど、わずかながらの義援金しかできないです。
何度も大きな震災があって、経験を活かした救援が行われています。
それでも、どうにもならないこともあります。
本当に、これ以上の犠牲が出ないこと、
早く余震が治まることを、お祈りしています。
夫婦円満温泉の旅から帰ってきて、震災がおこり、
ほんま、気持ちが沈んでしまってるのですが、
思えば旅の途中から、テンションが下がったのでした・・・
せっかく白浜まで行ったのに、
せっかく温泉に入ったのに、
翌日の13日水曜日。
白浜アドベンチャーワールド、
休園日やったんです~~涙
え~っ、
パンダに会えへんのん~~~涙
せっかく行ったのに・・・
まぁ、ちゃんと調べていかない私が悪いねんけど、
まさか、季節の良いこの時期に、休みがあるなんて・・・
あっちゃ~~!!
おそらく、春休みが終わり、GWに向けてのメンテがあるんでしょう。
急遽、iphoneで調べたら、翌週の20日の水曜日も、お休みとのこと。
しゃあないので、検索いっぱいしましたがな。
「たま電車の貴志川線に、ニタマ駅長を見に行こう!」
初代のたま駅長が亡くなって、ニタマが就任してるはず・・・
調べましたよ・・・・そしたら・・・
水曜日は、ニタマ駅長は公休日ですって!
貴志駅に、出勤してないんかいな!
しゃあない。
次を調べましたがな。
和歌山市加太沖に浮かぶ、戦争遺構のある無人島・友ヶ島!
旧陸軍の要塞跡が残るという神秘的な島は、
ハイキングルートがあるというので、人気のスポットです。
調べたら・・・
火曜日・水曜日は、フェリーが運休・・渡られへんやん!
え~っ、ことごとく水曜日は休み。
そういや、レストランとかも休みが多い。
水曜日は鬼門ですやん!(涙)
仕方ないので?
年中無休のところへ行きました。
ま、最初から、ここへは行く予定でしたけどね。
和歌山城! 年中無休!
現在の天守は昭和33年に再建されたもの。
1798年に落雷で消失、御三家ということで特別に許されて、
1850年に、ほぼ元のまま再建された天守は、昭和20年の空襲で消失。
岡口門と底に続く土塀は、1621年に建てられ、
空襲にも焼け残った数少ない遺構で、重要文化財。
手前にトイレがあるんやけど、一応しっくい仕様の建物。
天守の最上階からの眺め。
海が見えますね~
西の丸庭園。
奥に、珍しい、木造の橋廊下があります。
西の丸と向こうがわの二の丸とを結ぶ橋で、
奥女中らが通るために壁や屋根を付けたとか。
傾斜があります。
これは、復元された平成の建物。
入り口はこんな感じ。
建物は焼失しても、石垣は遺っています。
時代によって積み方が異なるのですが、和歌山城も、
古くは創建時代の秀吉の頃に積まれたものもあるようです。
城造り名人といわれた、藤堂高虎が手がけたとか。
関ヶ原の戦い以後は、浅野幸長が城主になり、
連立天守や、本丸、二の丸、西の丸が建てられたようです。
西の丸の近く、鶴の渓にある石垣は、野面積み。
自然石を積んだなだらかな石垣、秀吉の頃のもの。
本丸付近の石垣は、打ち込みはぎ。
石の表面を荒く加工して接ぎ合わせて積んだ石垣。
浅野期、その後の、御三家になった徳川時代に積まれたもの。
こけむしてますね。
地元産の砂岩をつかっているそうです。
このあたりは、もう少し新しく、切り込みはぎで算木積み。
角がシャープな算木積み。
熊野の花崗岩が使われているらしい。
石垣の高さはそれほど高くないけど、400年以上前に、
こういう技術があったことが素晴らしい。
なので・・・
熊本城の石垣の崩壊は、ショックです・・・
当時のままの建造物の約半数が壊れているとか。
「東十八間櫓」、「北十八間櫓」、「五間櫓」と
櫓門の「不開門(あかずのもん)」が倒壊。
現存する最大の建造物である「宇土櫓」でも続櫓の一部分が壊れたとか。
重要文化財やからね・・・
ちなみに、石組みの権威である穴太衆の末裔が、やはり、大津にいはります。
何度も、メディアにも登場されている粟田建設。
「石の心の声がわかる」穴太衆の口伝の技術を受け継いでいる方が、
熊本城の石垣の修復には、お金も日数もかかるとおっしゃってました。→ こちら
加藤清正が手がけた城、あの「武者返し」という勾配の急な石垣。
現代の技術と合体して、熊本県民のシンボルを修復させて欲しいです。
しばらく、熊本には行けないなぁ・・・