書くことが溜まってるのですが・・・時間が足りず(汗)
パソコンに、ずっと向かってるんですけどね~
おかげで、腕、肘の痛みは、相変わらず・・・
結局、同じ姿勢でいるからなんでしょうけどね。
先日、彦根のキャッスルロードにある、湖東焼のお店、
「一志郎窯」へ行ってきました~
湖東焼というのは、幕末に、ほんの70年間、
彦根藩の藩窯として栄えた焼き物です。
銘品が産まれ、一番栄えた時期は最後の20年と言われてます。
江戸末期になると、多くの藩が、御用窯を持ち、
名工と言われる陶工を各地から呼び寄せて、
芸術的な焼き物を競うように作らせたそうです。
湖東焼もその一つで、彦根藩の御用窯となり、
伊万里や九谷などから名工を呼び、佐和山の麓で作られました。
しかし、桜田門外の変で井伊直弼が亡くなると、世情の不安もあり、
職人たちは次々彦根を去り、残った地元の陶工が続けていたものの、
やがて、明治に入って終焉してしまいました。
それから、150年という長い空白期を乗り越えて、
湖東焼を再開しようという声があがり、県と市の賛同を得て
再興湖東焼が始まりました。
少し青みを帯びた素地に繊細な絵付け、湖東焼の特徴ですね。
仲川一志郎さんは信楽生まれで、信楽焼をしてたそうです。
絵付けが好きで、母や祖母が彦根生まれということもあり、
信楽焼をしながら、湖東焼にもチャレンジしていたとか。
キャッスルロードにショップを開いたのは10年ほど前。
生活陶器を制作して販売、陶芸教室もしてます。
湖東焼きは、幻の焼き物と言われるのですが、
本当に、銘品が多かったそうですよ。
現在、当時の古い湖東焼きは、彦根城博物館や、
たねやさんの美術館で観られるそうです。
おっと、招き猫と猫の箸置きが!!
絵付けは、家紋をデザイン化して描いてあります。
土地柄、石田三成の家紋「下がり藤」の招き猫は完売。
手前、左は「葵」・・家康ですね。
右の蝶々は・・・大谷吉継です!!
なので? 愛之助さん、やなく(笑)、大谷吉継さんと、
藤の絵が描かれた、箸置きを購入~~
招き猫のコレクションが、またまた増えた次第~~
湖東焼の流れを大切に製作している一志郎さん。
彦根で採れた粘土を使用した土物食器等もあるそうです。
一志郎窯は、→ こちら
パソコンに、ずっと向かってるんですけどね~
おかげで、腕、肘の痛みは、相変わらず・・・
結局、同じ姿勢でいるからなんでしょうけどね。
先日、彦根のキャッスルロードにある、湖東焼のお店、
「一志郎窯」へ行ってきました~
湖東焼というのは、幕末に、ほんの70年間、
彦根藩の藩窯として栄えた焼き物です。
銘品が産まれ、一番栄えた時期は最後の20年と言われてます。
江戸末期になると、多くの藩が、御用窯を持ち、
名工と言われる陶工を各地から呼び寄せて、
芸術的な焼き物を競うように作らせたそうです。
湖東焼もその一つで、彦根藩の御用窯となり、
伊万里や九谷などから名工を呼び、佐和山の麓で作られました。
しかし、桜田門外の変で井伊直弼が亡くなると、世情の不安もあり、
職人たちは次々彦根を去り、残った地元の陶工が続けていたものの、
やがて、明治に入って終焉してしまいました。
それから、150年という長い空白期を乗り越えて、
湖東焼を再開しようという声があがり、県と市の賛同を得て
再興湖東焼が始まりました。
少し青みを帯びた素地に繊細な絵付け、湖東焼の特徴ですね。
仲川一志郎さんは信楽生まれで、信楽焼をしてたそうです。
絵付けが好きで、母や祖母が彦根生まれということもあり、
信楽焼をしながら、湖東焼にもチャレンジしていたとか。
キャッスルロードにショップを開いたのは10年ほど前。
生活陶器を制作して販売、陶芸教室もしてます。
湖東焼きは、幻の焼き物と言われるのですが、
本当に、銘品が多かったそうですよ。
現在、当時の古い湖東焼きは、彦根城博物館や、
たねやさんの美術館で観られるそうです。
おっと、招き猫と猫の箸置きが!!
絵付けは、家紋をデザイン化して描いてあります。
土地柄、石田三成の家紋「下がり藤」の招き猫は完売。
手前、左は「葵」・・家康ですね。
右の蝶々は・・・大谷吉継です!!
なので? 愛之助さん、やなく(笑)、大谷吉継さんと、
藤の絵が描かれた、箸置きを購入~~
招き猫のコレクションが、またまた増えた次第~~
湖東焼の流れを大切に製作している一志郎さん。
彦根で採れた粘土を使用した土物食器等もあるそうです。
一志郎窯は、→ こちら