お城があるから、掛川へ行ったんですね。
なんせ、夫婦の、というか私の?旅のテーマには、「城」があるから~
掛川城、かわいいお城ですね~
日本で初めて復元された、木造天守だそうです。
戦国時代に建てられたのはこの近くにあったという掛川古城。
その後、今川氏の勢力拡大に伴って手狭になり、
1520年~21年、この地に、遠江支配の拠点として建てられたそうです。
桶狭間で今川義元が倒れた後、息子の氏真が武田氏に駿河を追われ、
立てこもったのがこの城だそうです・・・去年、「直虎」でやってたね。
この周囲は掛川城公園になっていますが、桜の花ももう終わりでした。
三層四階建ての天守。
白い漆喰塗りの壁、軒唐破風と火燈窓、小ぶりですが、
キレイなお城です~
1590年に秀吉が天下統一をすると、山内一豊が入城し、
城を整備し、初めて天守を造りました。
家康が幕府を開いた江戸時代には、松平定勝、太田氏などが藩主になったそうです。
三階です。
1854年、安政の東海大地震によって天守など大半が損壊。
再建されることなく明治を迎え、廃城となったそうです。
現在の天守は、平成6年、市民の熱意から140年ぶりに木造で再建されました。
最上階の望楼。
望楼から見た、北方面。
西方面。
東方面。左の端、奥の方に、つま恋リゾートがあります。
なんと言っても、私には思い出の地(笑)
拓郎&かぐや姫のコンサート?? まぁ、それもやってましたけど、
それには行ってないんで、それではなく・・・
応援する俳優さんのファンクラブイベントがあったところなんです。
ファンクラブイベントなんて、生まれて初めて参加したんやけどね。
・・・ひとり、感慨にふけり・・・
あ、ダンナは、そんなヨメにまったく気付いてません(苦笑)
桜は、さすがに散ってます~
すぐそば、二の丸にあるのが御殿。
当時のまま現存する数少ない城郭御殿です。
かなり広いですね。
藩主の公邸であり、政務の場であり、儀式も行われたとか。
江戸後期の書院造りの建物。
安政の東海大地震で倒壊したため、1855年~61年に再建されました。
廃藩置県後、掛川宿に無償で下付されて、女学校、役場、市役所、
農協、消防署などに使われて来たそうです。
正面玄関。
藩主や家老は、ここから入ったんですね。
足軽が入る土間は北側に、他の武士入る入り口は東側にあります。
昭和47年から3年かけて保存修理が行われ、
55年には、国の重要文化財に指定されました。
内部も、広いです~
藩主の居間、それぞれの役職の部屋、警護の詰所など、
約20部屋があります。
台所などがあった北側の部分は明治時代に撤去されたらしいです。
山内一豊が藩主になったことから、
大河ドラマ「功名が辻」のパネルなどが飾られてました。
この日は、掛川の山手にある倉真(くらみ)温泉に宿泊。
・・静かで、な~んもないところ・・旅館が数軒・・
翌日は、遠州三山を目指しました~
なかなか、終わりませんね・・・
なんせ、夫婦の、というか私の?旅のテーマには、「城」があるから~
掛川城、かわいいお城ですね~
日本で初めて復元された、木造天守だそうです。
戦国時代に建てられたのはこの近くにあったという掛川古城。
その後、今川氏の勢力拡大に伴って手狭になり、
1520年~21年、この地に、遠江支配の拠点として建てられたそうです。
桶狭間で今川義元が倒れた後、息子の氏真が武田氏に駿河を追われ、
立てこもったのがこの城だそうです・・・去年、「直虎」でやってたね。
この周囲は掛川城公園になっていますが、桜の花ももう終わりでした。
三層四階建ての天守。
白い漆喰塗りの壁、軒唐破風と火燈窓、小ぶりですが、
キレイなお城です~
1590年に秀吉が天下統一をすると、山内一豊が入城し、
城を整備し、初めて天守を造りました。
家康が幕府を開いた江戸時代には、松平定勝、太田氏などが藩主になったそうです。
三階です。
1854年、安政の東海大地震によって天守など大半が損壊。
再建されることなく明治を迎え、廃城となったそうです。
現在の天守は、平成6年、市民の熱意から140年ぶりに木造で再建されました。
最上階の望楼。
望楼から見た、北方面。
西方面。
東方面。左の端、奥の方に、つま恋リゾートがあります。
なんと言っても、私には思い出の地(笑)
拓郎&かぐや姫のコンサート?? まぁ、それもやってましたけど、
それには行ってないんで、それではなく・・・
応援する俳優さんのファンクラブイベントがあったところなんです。
ファンクラブイベントなんて、生まれて初めて参加したんやけどね。
・・・ひとり、感慨にふけり・・・
あ、ダンナは、そんなヨメにまったく気付いてません(苦笑)
桜は、さすがに散ってます~
すぐそば、二の丸にあるのが御殿。
当時のまま現存する数少ない城郭御殿です。
かなり広いですね。
藩主の公邸であり、政務の場であり、儀式も行われたとか。
江戸後期の書院造りの建物。
安政の東海大地震で倒壊したため、1855年~61年に再建されました。
廃藩置県後、掛川宿に無償で下付されて、女学校、役場、市役所、
農協、消防署などに使われて来たそうです。
正面玄関。
藩主や家老は、ここから入ったんですね。
足軽が入る土間は北側に、他の武士入る入り口は東側にあります。
昭和47年から3年かけて保存修理が行われ、
55年には、国の重要文化財に指定されました。
内部も、広いです~
藩主の居間、それぞれの役職の部屋、警護の詰所など、
約20部屋があります。
台所などがあった北側の部分は明治時代に撤去されたらしいです。
山内一豊が藩主になったことから、
大河ドラマ「功名が辻」のパネルなどが飾られてました。
この日は、掛川の山手にある倉真(くらみ)温泉に宿泊。
・・静かで、な~んもないところ・・旅館が数軒・・
翌日は、遠州三山を目指しました~
なかなか、終わりませんね・・・