3軒目は、ヴォーリズ記念病院の礼拝堂です。
ヴォーリズ記念病院は、ヴォーリズが結核患者のためにつくったサナトリウム。
現在は、ふつうの病院であり、終末医療のホスピスを併設しています。
肝臓癌に冒されていたうちの母が病院の治療を拒否して自宅治療を選んだけど、
最後に、「行ってもいい」というたのがヴォーリズ記念病院でした。
ホスピスがあったからやけど、あの当時はちょうどホスピス病棟を建設中で、
一般病棟の一角で終末医療をしていました。
わずか2週間ほどやったけど、本当に心穏やかに過ごせた日々でした。
お医者さんも看護師さんも、信仰があるからなのか、とても優しく、
看護師さんがほおずりするように話しかけてくださった姿は忘れられません。
病院付きの牧師さん。
毎日、母をたずねてくださって、母の話を聞いてくださいました。
病棟の裏にある礼拝堂を、母は訪ねられへんかったと思うけど、
でも、賛美歌の入ったカセットは聴いていたようです。
礼拝堂は現役の建物です。
だれでも入ることができると、現在の牧師さんがおっしゃってました。
病気で苦しむ人の心の癒しになってるんやろうなぁ。
窓の形が、ヴォーリズを感じられる建物です。
後ろを振り向くと、大きな、キリストを描いた絵が飾られています。
午前と午後、ボランティアの方が、コーヒーや紅茶を出してくださいました。
患者にも、付き添いの家族にも振る舞ってくれます。
コーヒー好きな母は、コーヒーの香ばしい香りが漂うと、
とっても、うれしそうにしていました。
もっと早く、ここへ連れて来てあげれば良かった、って思いましたね。
ここがあることを知らなかったのと・・やっぱりお金の心配。
甲斐性なしの子どもらで、ほんと、申し訳なく・・・
ヴォーリズは、伝導のために日本に来て、英語教師として八幡商業学校に赴任。
でも、わずか2年で退任します。それでも近江八幡にとどまり、
YMCAで近江ミッションの布教活動をしながら、建築の仕事を始めるんですね。
ヴォーリズ建築の特徴は、合理性とか経済性とか言われています。
大丸百貨店のように、商業的な建物は独特の意匠デザインとか凝っているけど、
一般住宅は、本当に、日本人の生活に合わせたものが多いようです。
ヴォーリズ記念病院は、ヴォーリズが結核患者のためにつくったサナトリウム。
現在は、ふつうの病院であり、終末医療のホスピスを併設しています。
肝臓癌に冒されていたうちの母が病院の治療を拒否して自宅治療を選んだけど、
最後に、「行ってもいい」というたのがヴォーリズ記念病院でした。
ホスピスがあったからやけど、あの当時はちょうどホスピス病棟を建設中で、
一般病棟の一角で終末医療をしていました。
わずか2週間ほどやったけど、本当に心穏やかに過ごせた日々でした。
お医者さんも看護師さんも、信仰があるからなのか、とても優しく、
看護師さんがほおずりするように話しかけてくださった姿は忘れられません。
病院付きの牧師さん。
毎日、母をたずねてくださって、母の話を聞いてくださいました。
病棟の裏にある礼拝堂を、母は訪ねられへんかったと思うけど、
でも、賛美歌の入ったカセットは聴いていたようです。
礼拝堂は現役の建物です。
だれでも入ることができると、現在の牧師さんがおっしゃってました。
病気で苦しむ人の心の癒しになってるんやろうなぁ。
窓の形が、ヴォーリズを感じられる建物です。
後ろを振り向くと、大きな、キリストを描いた絵が飾られています。
午前と午後、ボランティアの方が、コーヒーや紅茶を出してくださいました。
患者にも、付き添いの家族にも振る舞ってくれます。
コーヒー好きな母は、コーヒーの香ばしい香りが漂うと、
とっても、うれしそうにしていました。
もっと早く、ここへ連れて来てあげれば良かった、って思いましたね。
ここがあることを知らなかったのと・・やっぱりお金の心配。
甲斐性なしの子どもらで、ほんと、申し訳なく・・・
ヴォーリズは、伝導のために日本に来て、英語教師として八幡商業学校に赴任。
でも、わずか2年で退任します。それでも近江八幡にとどまり、
YMCAで近江ミッションの布教活動をしながら、建築の仕事を始めるんですね。
ヴォーリズ建築の特徴は、合理性とか経済性とか言われています。
大丸百貨店のように、商業的な建物は独特の意匠デザインとか凝っているけど、
一般住宅は、本当に、日本人の生活に合わせたものが多いようです。
目覚めの悪い朝です。予想通りです(苦笑)。なんせ、孝行息子達やないんでね。
今年は近江八幡に御縁がありますね。私も御一緒させていただいた時はとても楽しかったです。好きな街です。
ヴォーリス記念病院、素敵ですね。病院に素敵ってと思いますが、私のところは目的が違うので余計に感じます。
母は病気がすでに終末期であり彼女の希望で選んだ病院でも緩和病棟に移る間もなく駆け足で逝ってしまいました。うずらさんにはあの時期からとても気を配っていただき、感謝しています。お母様の事も聴いていましたが写真を見るとよけいに胸が詰まります。私達はドライな親子だったのですがもっといろいろ話せば良かったと今も思います。
麦秋の風景がブログにアップされるとお会いしたことはないけれどお母様の事を思います。
さあ、息子達はホームに帰ってくるのでしょうか?
孝行息子たちやないね、ほんまに!
あんだけ打てへんかったら完敗やと思うけど、守備妨害って!
ちょうどテレビで見てしまったから、よけいに腹立ちますわ。
その話はともかく、今回のヴォーリズメモリアル50、良い企画です。
講座やコンサートには行けなかったけど、見学できたのは良かった~
建築についてはシロウトやけど、そこに真実の物語があるのを実感できるし。
うちの母、牧師さんや先生に、野球の話をいっぱいしてました。
藤川を甥って言うてたのには、まいりましたけどね(苦笑)
講演、たくさん聞かれたんですね。
土日は、イベントやら仕事やらで、まったく行けず、
もっぱら、建物探訪で終わりそうです。
でも、ハイド館で満喜子さんの肉声の録音を聞きました。
お正月の、兄弟社で学ぶ子どもたちへの訓辞?のようですが、
現在の若い人にも通じるお話をされてました。
海外留学して、幼児教育を学んだこと、お兄さんが大同生命の代表で、
その建物を設計したヴォーリズと、運命の出会いがあったこと、
確かに、ドラマチックですね~