水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

伝統芸能

2010年12月09日 | 日々のあれこれ
 入学式の記念演奏の担当をしていると、いろんな会社から企画のお申し出の連絡をいただく。
 ただそれが、合奏がはじまったとたんだったり、授業の空き時間でしかも頭が働いているという数少ない貴重な時間だったりすると、電話で中断させられるのはつらい。
 今日も、あまりに頻繁な会社さんに、必要ならこちらから連絡するので、電話はやめてください、と言ってしまったが、不機嫌が声にでてしまったと思われる。
 だいたい、ほかに連絡手段がないならともかく、自分たちの都合のいい時間に自分たちの都合にあわせて仕事をされる方が、民間にもあるなんて。
 それくらいの想像力もない業者さんだから、企画そのものに疑問をいだいてもしょうがない。
 もちろん、業界がなかなか大変なのは承知しているつもりだ。
 楽器のトレーナーの先生方と話していると、学校公演や芸術鑑賞会、ぞくに音教とよばれるお仕事が減りこそすれ、さかんに行われる方向性になる地域・学校はまずないようだ。
 子供の数の減少、文化的なものに回される予算枠の縮小などが主な理由なのだろう。
 でも、難しいですね。学校がどこまでやるのか。
 芸術鑑賞会と銘打って、学校で無理矢理鑑賞させることにどの程度意義を見いだせるか。
 担当の先生に、まず深い見識が求められるのはまちがいないが、そんな先生がそこらじゅうにいるわけはない。
 生徒に鑑賞させるべき芸術でいま旬なのは、歌舞伎ではないだろうか。
 歌舞伎ってどんなものなのか知らずに、少なくとも歌舞伎座に足を運んだことのない人の方がたぶん多い状況で、みんな楽しげに海老さまいじめをやっている。
 海老蔵さん自身「歌舞伎を愛する皆様におわびしたい」と言っておられたが、だとしたら、謝罪の対象となる人はきわめて少ない。
 メディアでコメントしてらっしゃる方も、実際に身銭をきって歌舞伎を見にいらっしゃっている方が、どれだけいるのだろう。
 今朝の「天声人語」にも「『心の勉強』を重ね、荒々しく戻ってきてほしい。夜の街へではない。」と、よけいな一言ともにコメントされてたが、海老蔵さんの価値をこの方はわかって書いてるのか。おれもわからないけど。
 それにしても、自業自得の面があるとはいえ、被害者でありながらこれだけバッシングされる海老蔵さんは、ひょっとしたら天性のヒールかもしれない。
 それなら、松竹から謹慎になっている間だけでも、衰退の一途をたどるプロレスのリングに来てはもらえないか。
 いい仕事してくれそうな気がする。同じ伝統芸能なのだから(天声人語ちっくな終わりでしょうか)。
コメント
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