学年だより62
ラグビー元日本代表平尾剛氏は言う。
~ 何のためにラグビーをやっているかというと、勝つためにラグビーをやっているというひとは、やっぱり間違っていると思うんです。ラグビーを通じて開発した心身の能力を、ラグビーコートの外でどうやって発揮するかという、そのための、グラウンドは一種の実験場なわけですから。
そう、グラウンドは実験室ですから、ここではいろいろなことを実験していい。思いつく限り、あれこれいろいろな試みをして、そこで育てた能力やそこで発見した法則を、実際の生活で使ってみよう。何度も言いますが、いちばんたいせつなのはグラウンドのなかで育てた力をグラウンドの外でどう生かすかですよね。(内田樹・平野剛『合気道とラグビーを貫くもの』朝日新書) ~
「学校での勉強は社会に出てから役に立たないから意味がない」というような言葉を耳にすることがあるが、それはあまりにも勉強の本質を見失った言葉だ。
たしかに勉強の内容そのものだけを見たら、将来の現実の生活に直接は役に立たない内容もあると言えるだろう。
しかし、その内容を学ぶことで脳の中にどんな回路が構築されるか、その内容を学ぶ経験によってどんな姿勢ややり方を身につけられるかを考えるならば、役に立たない勉強などないと言うこともできる。
要は、勉強の過程によって、どれだけ自分を変えることができたかなのだ。
受験に成功した先輩とは、受験を通して自分を変えることができた人たちだと言える。
もちろん本人にその自覚がないかもしれないが、結果として受験勉強を始める前の自分と、合格が決まった後の自分とには、見た目は多少大人っぽくなったというぐらいでもあ、中身は全然変わっている場合が多いはずだ。
~ そのひとの人生において大きな意味があったとか、それが実は人生を決める分岐点になったとか、自分自身のOSがバージョンアップしたとかってのは、ある程度時間がたたないとわからないかもしれないですね。時間がたって振り返ってみたときに、「実はあのときバージョンアップ」していたんだな」というふうに自覚されるもんなんですよ、きっと。 ~
つまり、自分というOSをどれくらいバージョンアップできるか。
高校時代というのは、その貴重な実験の場ではないかと思う。
もちろん、大学、社会人と進んでいく人生のそれぞれの場所で、それぞれのバージョンアップのチヤンスに出会うことだろう。
ただし、その瞬間瞬間においては、自分が何にでくわしているかはわからない。
しかし懸命にその瞬間を乗り越えようとしていく過程のなかで、何かそれまでになかったものが自分の中に生まれる。
OSをかえる練習をしないといけないんだろうなあ … 。
言うのは簡単だけど、やるのは難しい。