川越市合同音楽祭で演奏予定の「たなばた」の練習に入る。
何回もやったことがあるので、さすがに音が間違っているのにはすぐ気づける。
今日は、分奏にして譜読みをしていった。
自分がどういうところでまちがいやすいのか、どんなところが苦手なのか、もうだいぶ分かってきたはずだ。
他人に言われてではなくて、自分で自分の悪いところを直していかなきゃ。
自分で自分を否定していかないと成長できないよ。
と最後の集合で話した。
おれって、なんていい話ができるのだろう。
これは野口芳宏先生の「進歩と向上は、現状の否定と破壊から生まれる。」とのお言葉に基づいているな、と頭のなかで出典まで浮かんでいる。
しかし。
言うは易しだが、自分で自分を否定するのは難しい。
他人の否定は簡単だけど。
今日も尾木先生にからんでみたくなったのは、このお言葉。
~ 教育評論家の尾木直樹・法政大教授は「都教委は進学実績を上げることに必死だが、高校生活を受験勉強に特化させて東大に入っても、国際社会では全く通用しない。そんな高校教育は疑問だ。豊かな文化活動をする思春期を過ごした人間こそ、将来世界で活躍することができるのではないか」と話している。(毎日新聞) ~
これは、東京都が、進学重点校に指定したいくつかの高校の取り組みを強化するという報道に対するコメントだ。
進学重点校の指定、そしてその取り組みを強化しようとする都の施策は、間違っていると思う。
億の予算を用意して、東大対策の冊子を作ったり、学生アルバイトを雇って指導させたりするそうだ。
一方指定された側の学校では、部活動の時間を強制的に短縮して、家庭学習に取り組ませるという。
学校じゃなくなってきてるな。
すくなくとも公立の学校がやろうとする方向とは違う。
そういう学校を求める親もいるから仕方ないと言うべきだろうか。
ちがうな。やはり公の学校は、指導要領に書いてあるように「人間として調和のとれた」生徒を育てることが第一なのではないか。
「東大合格者を増やせ」が都立高校のスローガンになること自体、おかしいと思う先生はたくさんいると思うのだが。
埼玉の県立高校さんにも、同じようにあるべき姿を見失っている学校さんはあるけど。
公立学校の教育と違ったものを求める方は、私立に行けばいいだけであって、私立っぽいことも公立もやるべきだと発想するのはおかしいのだ。
それに、私立高校に子供を通わせている親御さんは、そちらの学費を負担しながら、税金で進学重点校にかかるお金も負担することになってしまう。
なので、都の方針はおかしいと思うのだが、だからといって「そんなことをしても国際社会では通用しないから」と批判するのは、ずれている。
やっぱり、東大を出た子の方が、そうじゃない子よりも国際社会で通用する可能性は高いはずですよ、尾木先生。
受験勉強レベルをきっちりこなせるぐらいの基礎力はないと、「国際社会」なんて大きな話にはつながらない。
尾木先生の言われる「豊かな文化活動」に、受験勉強も実は含まれるのだが、そういうレベルの勉強には想像が及ばないのだろうか。
現場を離れると、ここまで感覚がにぶるものかと今日も思ってしまった。