水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

模試

2011年01月27日 | 日々のあれこれ
 模試の日。
 午前中は試験監督が入ってなかったので、会議室で国語の問題を解いていると、調子がいい。一読で大体頭に入ってくる。いきなり線もひけた。
 不調の日だと、評論を読んでて最後の方にいくと、最初に何が書いてあったかを忘れてしまうものだが。
 駿台の稲垣先生だったと思うが、線をひいたり、大事な言葉にチェックいれながら読むのは、数学で言えば途中計算だとおっしゃってて、なるほどと思う。
 問題は、何が大事か、どこに線をひけばいいかを生徒さんが習ってないからで、それを教えるのが大事だ。
 このさえた頭脳でセンターの評論を読み返してみたけど、やっぱり設問の質はよくなかった。おそらく我々が一題つくるのに比べたら何十倍も時間をかけて練っているはずだ。
 ひょっとしたら、練りすぎてダメにしちゃったのかもしれない。
 あいまに、一昨日読んだ芥川賞をとった西村賢太「苦役列車」をぱらぱらとめくる。
 恋人もいない、友人とよべる存在もいない、兄貴分もいない。一日5500円の日雇い仕事での、その日暮らし。唯一の計画性はわずかづつ積み立てたお金でたまに風俗店に行くことが、北町貫太の楽しみだ。
 「苦役列車」は、坂本純平とは真逆のそんな若者を描く。
 なんとなくだが、実に芥川賞らしい雰囲気をもつ作品だ。
 なぜだろう。
 よくよく考えてみると、書いてある内容自体は、小学生の作文と大差ないのだ。
 この素材が小説になるなら、日本人誰しも小説が書けることになる。
 ていうかもっと波瀾万丈の人生を送っている人の方が多いと思う。
 働いた、酒呑んだ、友達らしい存在ができた、でも気に入らないことがあった … 。
 「ぼくは、昨日○○をしました。そのとき、こう思いました」というだけのものだ。
 じゃ、なぜこれが文学作品として成り立つのか。
 これが小説だよなと感じさせるのか。
 「ぼくは」ではなく「貫太は」となっている点がまず第一なのだろう。
 「貫太は」となっていれば、表現としては「ぼくは」でもいいのだろう。
 物語と小説のラインをこれでひけないかなと考えているうち、冴えてた頭脳の冴えてる性が急におさまってきてしまい、試験監督中にいろいろ片付ける予定だった知的作業はあまりすすまなかった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする