「先生! 飲み屋のおねえちゃんの話とか書いてないで、添削してください」と言われてはいけないので(言われてないけど)、ちょっとお休みして仕事に没頭してました。
「先生、これ小論文じゃなくて普通の国語ですけど、記述ばっかなんでみといてください」
「わかったよ、おいてって」
「先生、終わってますか?」
「○○くん、おれだってゼロから解いて、それで直すんだからすごい時間かかるんだぞ」
「すいません、おねがいしま~す」
それにしても入試に出題されるような文章は、どれほどの時間を費やして書かれたものだろう。
短くても3000字くらいはあるし、慶応の文学部みたく「勘弁して」という長さのもある。
ちなみに、こんなブログの文章にしても、長い日で2000字までいくことはあまりないけど、書いてる時間はけっこう長い日もある。
せっかくだから数ヶ月考え続けてきたことをまとめておこうかという気分の時もある。
いわんや入試評論文をや。
入試に出題された評論文は、それを書いている物理的な時間の長短ではなく、その文章が生まれるにいたった思考の時間を考えたなら、そこに表出された知見の深さを読み取ろうとするなら、その紙切れ一枚の重さたるや、いかばかりであろう。
何気なく読み飛ばしてしまいそうな2、3行、いや一言にさえ、ものすごく深い思いや思想が表されているはずだ。
これを、大学入試ではせいぜい30分とか40分で読み取って、20分とか30分で答えをつくらねばならない。
考えてみるとものすごく知的に過酷な作業を強いられている。
えらいぞ、受験生。
教えてる側も、毎日こんなに難しい文章を読んでいると、さすがに少しは頭がよくなった気がしてくる。
「評論を一題読むことで、ものの見方を一つふやしていこう」なんて言いながらやってるが、自分も多少は増えてるのかもしれない。
少なくとも、3年前、6年前に高3生をもっていた自分より今の方が頭いいので、ひょっとしたらまだ老化してないのかもしれない。やったぁ。
オタキング岡田斗司夫氏が、朝日新聞の悩み相談で、ある女子高生の質問に答えている。
「世の中には悲惨な事件が多く社会的な背景がその要因であるようだ、なんとか政治的な力で解決できないでしょうか」という質問だった。
それに対して「政治家の役割はもう終わっているんです」と岡田氏は言う。
日本は近代化の過程で、最も優秀な人材を政治家や官僚にするシステムをとってきた。でもそれは完全に失敗だったと。
~ 頭が良い奴ほど、ズルをするとタチが悪い。政治家や高級官僚のズルは完成度が高いので、追求したり反省させたりするのにひと苦労します。 … 政治問題の大部分は「一流の人材を議会や官僚組織に」という発想自体にあります。最優秀の人材がズルや縄張り争いを始めると「最優秀な犯罪者」になってしまう。被害を受ける人は膨大になるし、最優秀な人材を犯罪者にしちゃうのは、二重の国家的大損害です。 ~
なんか、すごい納得した。
最近はオリンパスとか、ちょっと前だとホリエモンの粉飾決算とかが問題になって、みんな相当に悪人扱いにされた。
でも、国家レベルで行われている今のうそくさいお金の使い方は、桁違いのものだ。
お役人は誰も罪を問われてないし、そればかりか何年にもわたり合法的に多額のお金をもらい続ける人生を手にしている。
頭のいい人が自然に最優秀の犯罪者となるシステムは、なんとかしないといけない。
みんな肌ではそれを感じているのだろう。だから橋本市長みたいな方が出現すると、これも肌で危険性は感じながらも、「どんどんやって」という気分になるのもしかたないのだ。
岡田氏は、政治家ではなく民間政治家を目指せと女子高生に教える。
1億人を幸せにしようという政治家が百人でてきたら、けんかで終わる。
しかし、1000人を幸せにできる会社の社長が10万人いれば、一億人が幸せになれるからと。
おれの教えのおかげで、どんどん問題を解いて新しいものの見方を身につけ、ものすごい情報処理能力を身につけつつある本校の3年生たちには、ぜひとも政治の道ではなく民間でその能力を発揮してほしいと思うのだ。
できれば10年後ぐらいには自分の会社をもって、「先生、車もお部屋も秘書も用意しますよ、定年後はうちの顧問になってください」と言ってきてほしい。「ほんとに? えらそうにしてるばかりじゃ悪いから、社内報書かせてもらっていい」「どうぞどうぞ」
そんな日がくるような気がしてきた。それを思えば、添削ぐらいいくらでもできまんがな。