昨日の古文で二次対策講習を打ち上げた。
帰りがけ、アトレの地下で、遅い時間にもかかわらずまだ半額とかになってないお総菜を、自分のごほうびと思って買った。さらにルミネの成城石井で、ふだんは買わないシーバスリーガルを一本。でも円高還元セールで2200円ぐらいなのは驚く。学生時代、田舎の親からくすねてきたリーガルが部屋にあるなんてことが伝わったら、寮中から人が集まり、持ち主は富豪として皆からあがめたてまつられたものだ。洋酒はほんとに安くなった。
夜は、国立組の健闘を祈りながら御神酒をいただき、待ちに待った窪美澄さんの新作を読む。あいかわらず濃い。
読み切ってないのでわかんないが、野之花ちゃんという女子高生が主人公の一人で、たぐいまれな絵の才能を持っている。
その子が、はじめて展覧会に行き衝撃を受けたシーンがよかった。
まさに芸術作品が人を変える瞬間を描き、つまりその瞬間新しい自分のなったのだ。
県立美術館で開催されている展覧会に訪れた野之花が、一枚の絵の前で立ちつくす。
~ 湿気を多く含んだ空気と風、尾の長いカラフルな鳥がくり返す浅い呼吸の音、小さな蝶のはばたき、濃密で体にまとわりつくような花の香り、遠くからやってくる雨雲の低い響き。一枚の絵を見ているだけなのに、なぜだか音や温度や、自分の頬をなでていく生暖かい風を感じた。画家がどんな人生を送ったのかなど、知るよしもなかった。だが、野之花の体の、奥深くがびりびりと震えた。体中の細胞すべてが感応したのだ。体のどこかにしまわれたままになっていた硬く乾いたスポンジが、たくさんの水を含んだように、急激にやわらかく大きくなっていくのを野之花は感じていた。涙が顎をつたって落ち、深紅のカーペットに丸いしみをいくつも作った。我慢していても嗚咽が漏れた。(窪美澄『晴天の迷いクジラ』新潮社) ~
美術でも音楽でも、こんな経験をしたなら、外見はまったく変わってなくても、中身は別人になっているはずだ。