東大1987年の古文で出題された『義経記』の一節を教えてて、ちょっと驚いた。
「次は義経の北国落ちの一節である」と前書きに書いてあるのだが、文中に「判官」と書いてあるのを義経と理解してないのだ。
「え? 判官びいきって言うじゃん。源九郎判官義経ってきいたことない?」
「中学のときに私立専願にしちゃったんで、社会あんまりやってないんです」
う~ん、そういう問題でもないと思うんだけどなあ。
「じゃ、ここにある武蔵坊って誰か、わかんない?」
「はい」
「牛若丸ってきいたことない?」
「きいたことはあるかな」
本校でもきわめて優秀な生徒さんである。
でも考えてみれば、牛若丸と弁慶の話なんて教科書で習うものでもない。
世界史は必修で日本史は教えなくていいという不思議な学習指導要領のせいとも言えないだろう。
ニューイヤーコンサートのとき「松田聖子を知らないなんて日本人としてだめですよね」とMCで話したら、多くのお客さんが笑いながら頷いてくださったが、そういう教養みたいなのが、なんかずれてきてる … なんて思うのはたんに年寄りなのだろうか。
ぎゃくに現役高校生からすれば、え、先生、まゆゆとゆきりんの区別つかないんですか? という驚きの目で見られているのかもしれないし。
なんかのテレビで「忠臣蔵を知らない若者が何%」とか言ってるのをみたことがあるが、そのうち猪木氏の「1・2・3・ダァーッ」を知らない時代さえくるかと思うと嘆かわしい。
ということは、そうか「寿限無」を知らない子もけっこういるな、きっと。
課題曲Ⅲをみんなで聞いて、うまくリズムに乗せてるよね、と話しかけてもきょとんとする様子が目にうかんできた。
車のなかで聞いて二回目で、「寿限無、寿限無、五劫のすりきれ … 」と全部あわせて言うことができた。
冒頭のリズミカルな部分が吹奏楽連盟のHPで試聴できてたようで、なんか楽しそうな曲だなと感じてた方は多いだろう。
でも、そのあとの中間部に、かくも美しいバラードパートが用意されてることを予想した人は少ないんじゃないかな。びっくりした。
そのまま「ALWAYS」のテーマになりそうだ。ほんといい曲だ。
課題曲Ⅰの「さくらのうた」もせつない。マーチも不自然じゃないし。
課題曲でなくても演奏してみたいと思える曲ばかりの今年は、ほんと楽しみだ。
ただ、曲がいいとますます、音そのものの質が問われるのが大変だ。