「勉強時間の確保が大事」と先生に言われて、日々の過ごし方を、時間の帯グラフとか円グラフに書かされたりしたことはないだろうか。
自分もクラスをもっていた頃、何回かやったことがある。
20:00帰宅、20:30まで食事、20:30~21:30風呂・休憩、21:30~23:30学習とか書かせるやつだ。
君はここにロスタイムがあるので、ここで15分つめてみようとか二者面談でアドバイスしたりする。
効果が全くないことはないのだが、15分の使い方を数日間変えたところで根本的解決につながらない。
それは15分に意味がないのではなく、そういう解決の仕方しか思いついてないところに問題がある。
その解決法によって習慣に変化が起きて、なんか生活の仕方が変わったというようになると、勉強の成績もあがったりするけど、正直そういう例は多くない。
それよりも、なんとなく自分の目標をみつけられた子が、いつしか日々の過ごし方を変えていて結果も出たという例の方が多いかな。
おちまさと氏『「気づく」技術』を読んでたら、「時間を線ではなく面でとらえる」とあって、なるほどと思った。
本質的に脳の柔軟性が不足しているわれわれ教員にはできにくい発想だと思う。
つまり帯グラフや円グラフで時間をとらえている感覚ではだめだという。
~ みなさん、時間を直線的に考えてしまってはいませんか。過去があり、今があって、未来がある。1時間、2時間、3時間と過ぎていく。しかし、僕は時間は、直線ではなく、360度の方向に広がっていくものではないかと考えているのです。(おちまさと氏『「気づく」技術』ダイヤモンド社) ~
とはいえ、決して難しいことではない。
多かれ少なかれみんながやっていることだ。
たとえば朝お弁当を作るとき、唐揚げを作ろうとして油を火にかけ、熱くなるまでじっと見つめている人はいない。
その横でちくわを切ってチーズとキューリをつめているはずだ。
あ、鶏肉は前日から醤油と酒とショウガ汁につけてしまってあるので。
油に投入した鶏肉を見ながら、よこで卵をやく。
これを時間の流れが複数あることだと、おち氏は言う。
料理ではなくいろんな面でこの時間の感覚を使っていくと、時間は円から球になっていく。
具体的にどうすればいいか、まだイメージわかないが、ちょっと意識して生きてみようと思う。
~ もしかしても失敗するかもしれません。しかしそれでも、間違いなくたくさんの気づきが得られます。そしてその経験は、のちに人生に必ず役に立つでしょう。なぜなら、脳に「新しい体験と記憶」がインプットされるからです。 ~
~ 恥をかいても、死ぬことはないんじゃないの? ~
なんかもお気に入り。