水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

10月6日

2012年10月06日 | 学年だよりなど

はじめて秋の野球応援にでかけた。
 夏に比べて圧倒的に気温が低く、すごしやすい。ただ、今日は途中雨に降られて、雨の強さと長さを考えながら、いったん撤収指示をだすべきか、いやこのままがんばり続けてた方が、バックネット裏にいるはずの学校長へのアピールにもなるはずだとか、ここでしか言えないことを考えながら演奏してたが、小一時間で雲は去り、帰りがけには日が差していた。
 試合の方は1対3の惜敗である。初回に2点奪われたときは、地に足がついてないように見えなくもなかったので、正直先行き不安だった。でもすぐに2回に1点返してからは互角の展開、前にも秋の大会でベスト4にすすんだことがあるが、そのときは今日と同じ徳栄さんに歯が立たなかったはずだ。そのときはエース高梨くんの絶対的な存在感が目立つチームだったが、今年のチームは素人目にみても総合力で強い。わが吹部の方も、徳栄さんと互角の勝負ができるとこまでいってみたい。
 学校にもどり、少しだけ「マードック」の合奏をして、楽器の手入れを指示して練習を終えた。


 

 1学年だより「ナルナル詐欺2」

 漫画家になると言って勉強しない「ナルナル詐欺」高校生について前回書いた。
 それがほんとに本気なら、ちゃんとした漫画を何本も描かせて出版社に持ち込ませるべきだと、岡田氏は言う。それが大人のとるべき態度だというアドバイスだった。
 さらに、岡田氏は具体的にこう提案する。


 ~ 期間は一年。ダメなら普通の大学に行く。
 いま孫は高校二年ですよね? これから一年間を以上の努力で棒に振ってもまだ間に合います。一年やっても編集さんから注文が来なければ、孫には「10代でデビューする才能」がありません。長期戦略に切り替えるべき。
 すなわち「マトモに就職して、仕事しながらマンガ描いて持ち込み続ける」という戦略です。
 中途半端にマンガ学科のある大学や学校に行かせてもムダ。「10代でデビューする才能」はないんですから。(岡田斗司夫『オタクの息子に悩んでます~朝日新聞「悩みのるつぼ」より』幻冬舎新書) ~


 たとえばミュージシャンになりたいという夢をもつ高校生がいたとする。
 「いつかなりたいなあ」というレベルで。
 高校生段階でそういう夢レベルで、しかもオリジナルを一曲も作ってない、ライブ経験が一回もないとか、もしくはギターを買ったばかりということであれば、普通はプロにはなれない。
 プロになれるような人は、十代後半にもなれば何らかの形で音楽的才能を形にしはじめているのが普通だから。
 スポーツにおきかえてみるとなお想像しやすいかもしれない。
 高校からサッカーをはじめてJリーガーになれる人は、現実にはまずいないだろう。
 それだけ才能というものが、それが類いまれなものであればあるほど、隠そうとしても、たとえ環境が悪くても発揮されてしまうものだからだ。
 そして、そのレベルのものであってはじめて、その能力は「才能」とよばれ得る。
 だから、今現時点で何をやっているかで、○○についての才能が自分にあるかないかは、大体あきらかになっていると思ってよい。
 もちろん、遅咲きの開花をする人もいる。
 運動でも、種目によっては大学から始めた競技で、トップレベルに達する人もいる。
 60歳を過ぎて小説家になった人、70歳で画家になった人もいる。
 ただし、その人たちは眠れる才能の開花を座して待っていたわけではない。
 そこにいたるまで充実した人生経験を送ることによって、年若きうちにあふれ出るほどではなかった自分の能力を、大事に大事に才能へと育てていったのだ。
 漫然とやりたいこと探しをしていても、才能は育たない。
 自分のやりたいことや夢を意識しながらも、地に足のついた現実の生活をしっかり積み上げることによって、可能性は生まれてくる。
 そういう自分を育てる場として、大学というところは、実によくできた場所なのだ。

コメント (1)
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