水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

ソロモンな日々3

2012年10月18日 | 日々のあれこれ

 いよいよ、学校内裁判がはじまった。最初に弁護側の証人として召喚されたのが、事件当時校長だった津崎先生である。
 「現実の法廷とは異なりますから」と、判事の井上君が説明を始める。
 検事側の証人だから検事の味方、弁護側の証人だから弁護側の味方とは限らない、真実を明らかにするためにどちらの証人でもあっても予断をもたずきちんと聞くようにと、陪審員をつとめる9人の同級生に注意する。
 傍聴席を埋めた大人たちにとっても、この法廷のシステムを理解させる言葉になった。


 ~ 「津崎先生には、こちらが主尋問を行いますご足労いただきましてありがとうございます。」
「判事の説明のおかげで話しやすくなりました。こちらこそありがとう」
 津崎の声音は穏やかで、笑みをふくんでいた。誇らしいのだろうと、礼子は思った。わたしが津崎なら、きっと誇りに思う。そうやって胸をふくらませる分だけ、この子たちに、こんな形で真相究明という仕事を残してしまった自分自身に恥じ入りながらも。 ~


 津崎の誇らしさはよく理解できる。
 勉強でも部活でも行事でも、教員のイマジネーションをはるかの超える成果をあげる生徒がいる。
 そのレベルまで達する子どもたちは、教員の指導があったから、そうなったとは言えないことを、分別のある教員ならわかっている。
 持ってうまれた能力、それを開花させる努力。「その」教員が関わらなくても、その成果は達成された可能性は大きい。
 でも、と思いたい。でも、自分はその子の成長の邪魔をしていない。
 そういう子は「邪魔」されてさえ伸びきる能力を持っているが、でも、その子が成長する環境をつくってあげたのは自分だし、少しは自分が背中を押してあげたのがよかったのかもしれない。
 何より、その生徒のその結果が、自分のことのようにうれしいのだ。

 津崎先生が事件後にとった対応は、結果的に問題もひきおこしはしたが、その時点での現場の判断としては最善に近かったのではないか。
 保護者への説明のしかた、告発状の処理、マスコミへの対応などのどれをとっても。
 それは、最終的には自分が責任をとる、何より自分の学校の生徒を守るという一線を基準にしていたからだ。
 そういう目で先の大津市の事件をふりかえってみると、学校長、教育委員会ともに問題があったとあらためて感じてしまう。
 情報をすべての教員に明らかにしなかったことも、危機管理としては正しいと思う。
 不都合な形で情報が外にもれ、そのせいで一部の生徒が傷つく事態もありうることを津崎先生は想定していた。
 そういう事態をひきおこしかねない教師も中にはいるという認識があったからで、そういう職員室の様子もきわめてリアルだ。
 学校の管理経営面と、対生徒への教育活動とは、ときに対立矛盾する場面もあり、そういう意味では非常に難しいお仕事を校長という役職は担うが、津崎先生は有能だった。
 だからこそ、藤野さんや井上くんが育つ環境もできていたと思いたい。

コメント
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