学年だより「遠回り」
いろんな報道で聞いた人も多いかもしれないが、山中伸弥教授は、もともと研究者ではなかった。
神戸大学の医学部を経て、整形外科医として臨床の現場で働いていたのだ。
~ もともと整形外科の臨床医だった私が研究者に転身するきっかけの一つは、ある重症リウマチの女性患者さんを担当したことでした。全身の関節が変形し、ベッドの傍らに置かれた写真にあるかつての面影をほとんど残していないその姿に、ショックを受けたのです。
そして、基礎研究を行えば、こういう患者さんも救える治療につながるかもしれないと考えるようになりました。現状の治療法には限界があるということも、痛いほどよくわかりました。新たな治療法を求めて研究していくことは、患者さんを実際に診療するのと同じくらい、もしくはそれ以上に患者さんを助けることになるかもしれないと考えました。こうして、臨床の世界を飛び出したわけです。(『科学者になる方法 第一線の研究者が語る』東京書籍) ~
せっかく医者になれたのに、なぜ? 私たち一般人は考えてしまう。
しかし、山中教授は自分が本当にやりたいことは基礎研究だと思うようになった。
実はこの転身にはもう一つの理由があった。手術が苦手だったのだ。
手術の手際が悪くて、普通なら30分で済む手術が二時間かかる。同僚から「ジャマ(邪魔)ナカ」よばれたこともあると言う。
そして目の前には手術さえできない重傷の患者さんも大勢いる。
自分の無力感を感じた山中先生は、大阪市立大学の大学院に進み、研究者としての道を目指すことにした。ただしその後も、紆余曲折はある。まっすぐ万能細胞の研究に向かってわけではないし、アメリカ留学後には、精神的においこまれる期間もあった。
~ 振り返ってみると、そもそも整形外科医だったのが、ノックアウトマウスを使って動脈硬化の研究をするためにアメリカに留学し、気が付いたらむこうでは癌の研究をしていましたし、癌の研究をしていたはずが日本に帰ってきたら今度は万能細胞を研究していました。自分の中では、その時々の研究結果から興味の対象がどんどん変わっていき、それに従って行動しているのですが、フラフラしているようにしか見えなかったかもしれませんね。研究結果は予測できませんし、偶然に左右されたところも大きいです。
はたから見たら、僕の人生は、遠回りで非効率に見えるかもしれませんし、無駄なことばかりやっているように思えるかもしれません。もっと合理的な生き方が出来たんじゃないの? と思われるかもしれませんが、そうやって遠回りしたからこそ今の自分があるんじゃないかと思います。(山中伸弥・益川敏英『「大発見」の思考法』文春新書) ~