水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

太宰と世間

2016年02月01日 | 日々のあれこれ

 

 ~ 井伏氏は、その日に帰京なされ、私は、再び御坂に引き返した。それから、九月、十月、十一月の十五日まで、御坂の茶屋の二階で、少しずつ、少しずつ、仕事を進め、あまり好かないこの「富士三景の一つ」と、へたばるほど対談した。(太宰治「富岳百景」) ~

 問:「富士三景の一つ」とは何か。答:御坂峠から望む富士の景色
 問:なぜ「あまり好かない」のか。答:あまりに注文通りで通俗的すぎるから。

 という流れの授業で、「富士」が悪いのか、と聞いてみた。
 富士山そのものが絶対悪なのですか?
 ちがうよね、あくまでも太宰が(「私」だけど)気に入らないと感じているのであって、富士山そのものに非があるわけではない。
 じゃ、何は嫌いなのですか? そうですね、この富士を良しとする世間の価値観に、太宰は反発しているのです。
 「それはどういうこと?」と考えてみよう。
 たとえばベッキーさんは、悪の存在なのですか?
 「不倫」とよばれる行為は、歴史的に、世界的に、絶対的な悪なのでしょうか。
 実はそうではありません。「民主主義」が近代の一イデオロギーに過ぎないのと同じで、近代日本における一つの制度からはずれたふるまいということです。
 ベッキーさんが批判されるのは、彼女自身が悪なのではなく、みんなが暗黙の了解として従っている近代社会の秩序からはずれたことをしたからです。
 内心は自分だってはずれた行いをしたい人、実際にしている人も多いのは事実ですが、それを公然と認めるわけにはいかない。
 たとえ建前でも批判しないといけないし、口ではダメと言わないといけない。
 公の場で本音を口にしたり、彼女を擁護したりすると、その人も批判されます。
 これが「世間」であり、村社会の論理ですね。
 太宰が忌み嫌った「富士」です。
 SMAPさんは、なぜあんなふうにテレビで謝罪しなければならなかったのでしょう。
 芸能界の暗黙の了解に逆らおうとしたことについて、けじめをつけろと言われたのですね。
 グローバルな社会を目指そうとか、国際社会の一員にならなければいけないとか言う人は多いですが、残念ながら、そういう文化を生きる世の中がくる感じはしません。
  … 的な話題を少しだけ話した。
 世の中をかえる力はないが、本質はなんなのだろうという発想をもてるようにはしたい。
 

コメント
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