小学校教員一級、中学校教員(国語)一級、高等学校教員(国語)一級、中型自動車、大型自動車免許が、自分の持ってる免許のすべてだ。
あと資格としては、珠算2級、英検4級、漢字検定2級、吹奏楽指導者3級。
しまった、資格は書くべきではなかったか。そんな程度でよく偉そうなこと言ってるなと言われそうで。
でも、もし川東に特化した免許なり資格があったら、まあまあ上の方まできたのではないだろうか。
つまりよその学校で使い物になるかどうかは別にして、本校で本校の生徒さん向けに国語を教える技は、大分身についてきたのではないかと。初段はいってるっしょ。
運転免許は、日常的に目にするし、実際生徒さんをバスで送ったりのするので、免許をもっているという自覚はあった。
教員免許については、取得した記憶はあるものの、つまり取得するための単位を履修し認定されたという事実はあるはずだが、免許状自体を見たことがない。
免許更新にあたって学園に提出を求められて、どうしても見つからず、結局石川県に申請して取得証明を送ってもらった。
なかったらどうしようかと思ってドキドキしてた。
山形県で、教員免許を持たずに30年以上教えていた先生がいたことが発覚したというニュースがあった。
その方も、大学で必要な単位は修得し、免許状の申請手続きを怠ったまま、採用試験に合格しそのまま教員になったという。
自分とどこがちがうのだろう。
そもそも免許をもってなかった、つまり教える資格がなかったというなら問題だが、「紙」をもってなかったというだけではないか。
免許状って、そんなに大事か?
運転免許は大事だ。車を運転できる技術があるかどうかを、ちゃんとテストされ、合格した人にだけ発行されるものだから。
免許のない人が勝手に車に乗って、事故などおこされては困る。
教員免許は異なる。
大学で必要な単位を修得すれば、もれなくいただける。
実際に教壇に立って教える能力があるかどうかは、一切問われない。
子どもとコミュニケーションをとれるかどうかのテストもないし、事務処理能力があるかどうかも問われない。
大学に通う学費は必要だ。
講義を受けて試験を受けたり、レポートを提出したりし、単位を修得することも必要だ。
しかし、大学の単位をとることにどの程度の努力が必要なのか、そのゆるさは文系学部を卒業した人なら誰でも知っているだろう。
そこで学んだことが、直接教壇で教える技術には繋がらないことも。
免許自体が教員として働くための必要条件であるなら、採用時に確認すべきであり、それを怠った県教委の非は確実に存在する。
その先生も、教えるだけの知識はもっていて、30年も勤め上げられたのだから、教師としての「実」の面では問題なかったのだ。
採用して30年働き続けたなら、時効の概念からいっても、実質の教員であることを疑えないと思う。
教育委員会が、その先生に支払った給料の返還の求めることを検討しているという話には目を疑った。
おかしいでしょ。彼女はお給料分の働きはしていた。
免許を持たずに教壇に立っていたことが問題なら、それを認めていた管理職や教育委員会が責任をとるのが筋ではないだろうか。
NHKの職員がお金を使い込んでいたので、役員が報酬の一部を返納しているという報道があったが、それと同じで。
千葉県だったかな、年末にも同じような事件があった。
無免許の先生が教えてた分の授業は無効扱いになり、その分を補習したと報道されていた。
自分がもしそんな目にあったら、つまりそんな補習を受けろと言われたら、たぶん学校を訴えると思う。
自分たち(上の人たちね)が反省せずに、生徒にだけ負担を押しつけて問題を解決しようとする、その姿勢はどういうことだと。
山形県の教育委員会とか県知事さんのコメントは反省してるようで、実は、一切の責任をその該当の先生に押しつけ、自分たちは被害者だったふうな言い方だ。
免許状をもっていなかった先生に習ったことよりも、教育界のトップがこんな感覚でいる県で学んだことの方が、よほどその高校生にとっては不幸せだろう。
それに、免許状をもってても、ちゃんと教えられない先生とか、不祥事をおこす人とかいるよねと、世間の方は思ってしまうだろう。
免許状なんて意味ないよねって、そんなふうに思わせてしまうという意味でも、この対応はお粗末だった。
教育関係者なんて、そんな程度だよねってたぶん思われてる。しかたないけど。