2020年度から導入される大学入試の新テストは、「複数回実施」と「記述式問題」の二つが、改革の柱とされている。
ただ、どちらについてもなかなか技術的に難しい部分があるという意見は多く、「複数回実施」はおそらく実現しないだろう。
記述式問題については、先日試案が発表された。
現役教員としての感想を言わせてもらうなら、「あえて記述で問うほどのものではない」というのが正直なところだ。あくまでも国語についてだけど。
この試案で調べようとしている国語力は、普通にマーク式でも調べられる。そういう問題をつくればいいだけのことだ。どうしてもというなら作ってあげてもいいけど、オファーがないからなあ。
もちろん記述問題で出題してもいい。ちゃんと採点してもらえるなら。
でも全国50万人分の記述答案を、公正に採点してもらえるだろうか。
同じ答案が、A先生は○で、B先生は△にするというようなことがあってはならない。
「公平公正」な採点をするために、採点基準の明確化が相当徹底されることになるだろう。
すると「外見的な」基準が、配点の大きな部分を占めるようになる。
たとえばこういう例だ。
二段落に分けなさいという条件を満たしている、200字以上300字以上で書いてあるか。
引用した言葉はカギ括弧でくくってあるか、主語・述語は対応しているか、誤字はないか、など。
内容面については、○○という単語が使われているか、という私大の入試で多く採用されていると聞く、判断すやすい基準が設けられるだろう。
いかにも必要そうなキーワードが答案に入ってなくても、内容をよく理解したと思われる記述答案は存在しうるが、そういうのは点数になりにくいのではないか。
もっといえば、記述することによって答案に現れる受験生の「自分」は、評価しにくいのではないか。
ある大学が、「うちはこんな学生がほしい」という観点で、すべての答案を見てくれるなら可能だろうが、50万人分でそれができるのか。
そんなことを考えると、あえて記述にすることにどれだけの意味があるのかと思ってしまう。
もっと正直に言おうか。試験監督さえきちんとできない先生方がたくさんいらっしゃるのに、大事な教え子たちの採点を完全に信頼してまかせよと言われても、とまどうしかない。
~ 安西座長が記述式問題にこだわるのは、「知識や技能を踏まえた統合的な思考力・判断力・表現力を評価できる。番号を塗りつぶすだけの(マークシート式)問題と、自分で数値を書く問題は本質的に異なる」との信念からだ。思いは問題例に反映されたようだ。これまで議論を見守ってきた高校や大学、受験産業の関係者らも「考えて解くように工夫されている」と一様に評価する。 ~
「高大接続システム改革会議」座長の安西先生にお言葉をかえすようだが、「番号を塗りつぶすだけ」ではセンター試験でいい点数はとれない。
設問によっては、かなり高度な「統合的な思考力・判断力」が必要だ。
大学で学問の入り口に触れるための基礎学力を測る資料としては、今のセンター試験は機能している。
プラスアルファは各大学の個別試験で測れる。
改革しようと言っている人たちが測りたいとおっしゃる「総合的な力」は、大学で教えてもらえばいいのではないだろうか。
そんなとこまでこっちにおしつけないでほしい。まず我々は基本を身につけさせることだと思うし、それさえ難しいのだから。