週末。高文連西部地区で、武生商業高校の植田薫先生をお招きして講習会が行われた。
金曜の夜、練習をおえて和光市駅前の居酒屋に出向き、和国の榊原さん、星野の中島啓さん、そして植田薫先生と一献。植田先生に久闊を叙し、土日のレッスンの打ち合わせをする。
土曜日、星野さんへバスを走らせ、一年生40人強を本校まで連れてくる。日曜のレッスンはけっきょく本校と星野高校1年生とのバンドを指導していただくことになったのだ。ならば、前日は合同で練習し、そのまま楽器をおいていけばいいいと半ば強引に提案した。迎えに行くからと。ふふ、これで逃げられまい。
日曜に向けて、パート練習と合奏をする。どう盛り上げるか、どう踊るかは、教えてもらえるので、音譜と音形の確認だけ行った。
そして当日。午前中は「セレブレーション」のレッスン。曲のレッスンもさることながら、合間に話される部活に対する考え方に、深く心を打たれた。生徒さんたちも同じだったのではないだろうか。
そして「哲学」さえ浸透しはじめれば、「この部分はこう」と一々言わなくても演奏は必然的に変わる。
午後は「ダイナソー」の振り付けや、アドリブ演奏の仕方のレッスン。
「アドリブなんて難しくない、ほらこんなふうにやればいいんだよ」と教えていただいたあとの通しでは、アドリブ演奏希望者が列をつくった。うちのバンドではなかなか想像しにくい光景だ。
この列に並んでみんなの前で吹いた子たちにとっては、大きく言えば人生の財産になる経験だったと思う。
こういうのって、ほんとにずっと忘れないものだから。
考えてみれば、人生ではむしろアドリブ力こそが問われる。
ただし、アドリブを吹くにも、基礎技術が大切なことも気づけたのではないだろうか。
こう吹きたいというフレーズが思いついても、それを瞬時に音にする技術がないと外には現れない。
人生のいろんな局面で、どんなアドリブができるかは、それまでのストックの多寡が決める。
そのストックは、勉強、部活、読書、人との関わりでつくっていくしかない。
生徒達はすっかりファンキー教の信者になったようだ。
自分は、ごはんを食べながら聞いた、植田先生の不遇の時代のお話を興味深くうかがった。
武生東時代、何度も全国大会に出場し、その後の異動で今の学校に赴任し、部活をやれなかった時代のお話は味わい深かった。
すぐれた指導者に習うということは、習った内容そのものだけでなく、それだけのことを教えるにいたった、指導者の人生そのものを習うということなのだろう。